俺様公爵様は平民上がりの男爵令嬢にご執心

狭山ひびき

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逃亡成功!……たぶん。 3

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(…………なんか、あっけない)

 荷馬車の、木箱の中。
 ガタンガタンと上下左右に揺れる居心地の悪さに耐えながら、セレアはむんと小さくうなった。

 いや、別にあっけなかろうとどうしようと、逃げられればそれで構わないのだが、もっと大変な思いをすると思っていたので、拍子抜けと言うか、なんというか……。

 セレアは木箱に潜入成功する前のことを思い出す。
 ジルベールが外出した後、セレアはニナに散歩に行きたいと伝えた。
 ジルベールがいないから渋られるかなと思ったが、ニナは庭はダメだが邸の中ならとあっさりセレアが歩き回ることを許可してくれた。
 当然ニナもついてきたが、ニナ以外の誰かがついてくることはなく――、ニナをうまく邸の裏口の近くまで誘導して、隙を見て逃げ出したというわけだ。

 セレアを見失ってニナが慌てる声は聞こえてきたが、セレアはすでに裏庭に止められていた荷馬車の木箱の中にもぐりこんでいた。さすがにセレアがそんなところにいるとは思わなかったのか、荷馬車はいつも通り裏門からレマディエ公爵家の外に出たというわけだ。
 あとは隙を見て荷馬車から降りれば、逃亡成功である。

(今頃ニナは泣いてるかしら。ニナには悪いことをしちゃったけど……でも、仕方がなかったのよ)

 はっきり言おう。使用人の中で、ニナが一番撒きやすいのだ。
 何故ならニナはおっとりしていて優しいし、すぐに人を信じるし、お化けが嫌いな臆病者。夜の背後から「わ!」と声をかけるだけで飛び上がるし、虫も嫌いだから、黒い害虫がいると言うだけで悲鳴を上げてうずくまる。
 今回も、キッチンの付近で黒い害虫を見たと言えば半泣きになって、退治してくれる心強い男の使用人を探して駆け出して行ったのだ。逃げたともいう。

(うん、わたしは悪くない)

 いくら黒い害虫が怖いとはいえ、監視対象を置いて行ったニナが悪い。
 何故なら、黒い害虫くらい、セレアでも退治できるからだ。市井育ちを舐めないでほしい。まあ、まさか男爵令嬢がスリッパで黒い害虫を退治できるなんて、想像もできなかったのかもしれないが。

 がったんがったん揺れていた馬車の揺れが静かになって、セレアは木箱の蓋をわずかに開けると外を伺った。どうやら馬車は商店の倉庫の裏に停車したようだ。
 次に荷物を運ぶときまで、荷馬車はそのままにされるだろう。
 セレアはそーっと木箱から出ると、ちらちらと外を伺って、近くに人がいなくなったのを確認すると、馬車からぴょんと飛び降りた。

(ぃやったあああああああ‼)

 両手を空に突き上げて、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
 本当は大声で叫びたかったが、声を上げたら人が駆けつけてきそうなのでぐっと我慢だ。

(はあ、七年……本当に長かったわ‼)

 久しぶりの市井だ。
 市井独特の生活臭と言えばいいのか、貴族街とは違う匂いに、懐かしさがこみ上げる。

(まずはこのドレスを何とかしないと!)

 セレアが身に着けているのは、ジルベールが用意した高そうなドレスである。さすがにこのドレスでは目立ちすぎるのだ。
 セレアは駆けだすと、七年前まで自分が小さな家に向かった。
 七年も経っているので記憶は少々曖昧だが、やっとのことでマリーおばさんの隣の家にたどり着く。この家の大家さんはマリーおばさんなので、セレアが住んでいた家はどうやらほかの人に貸し出してしまっているらしい。家の前に見覚えのない植木鉢があるのを見て、セレアは物陰に隠れて様子を伺った。

 デュフール男爵が迎えに来たとき、セレアは着の身着のまま連れていかれた。
 だから家の中には母の形見の服や、自分が来ていた子供服なんかが残っていたはずなのだが、それらも処分されてしまったのだろうか。
 七年も経っているのだ。仕方のないことだとわかっているが寂しくて、セレアはしょんぼりと肩を落とす。
 思っていた以上に七年という歳月は大きいらしい。

(どうしよ……。お母さんの服があればいけると思ったんだけど、もうなさそうだし……、でもこのドレスのままだと目立つし)

 服を買おうにも、豪華なドレス姿の貴族令嬢が平民が服を買う店に行けば怪訝に思われるだろう。
 あれほどしっかり逃亡計画を練ったはずなのに、うっかりしていたセレアは、逃げ出した後のことを考えるのを忘れていたようだ。

(はあ、バカなのかしらわたし)

 とにかくレマディエ公爵家から――貴族社会から逃げることしか考えていなかった。

「これからどうしよ……」

 いつまでもここにはいられない。
 かといって、お金も何もないので宿に泊まることも不可能だ。
 着ているドレスを売ればお金は作れるだろうが着替えがなければどうしようもない。さすがに下着姿で歩き回るわけにはいかないからである。

(これからのことを考えるにしても、もっと人気がないところに行った方がいいわよね)

 ここはマリーおばさんのパン屋のそばだし、大通りも近いから人通りが多いのだ。現に物陰に隠れるようにして立ち尽くしているセレアを、通り過ぎる人たちが物珍しそうな顔で振り返って見ている。
 どこか路地裏に異動しようと歩き出そうとしたときだった。

「セレア? ……お前、もしかしてセレアか?」

 遠慮がちに声をかけられて、セレアは驚いて振り返った。
 すると、ちょうど配達から戻って来たらしいそばかす顔の青年が、目を丸くしてこちらを見ている。

「…………バジル?」

 記憶の中のバジルよりも、ぐんと背が高くなって大人びてはいたが、その勝気な目には幼い日の面影がしっかりと残っていた。

「やっぱりセレアか⁉」

 バジルが慌てて駆け寄ってくる。

「お前こんなところで何して……って、そうか、お前はもう貴族令嬢なんだよな。あんま気やすく声をかけちゃダメだったか?」

 セレアはブンブンと首を横に振った。
 懐かしくて、じんわりと目に涙がたまっていく。

「うわっ、何で泣くんだ⁉」

 止められなくて、ぼろぼろと泣き出すと、バジルが焦った声を出した。

「バジルぅ~~~~~~!」

 セレアは、おろおろするバジルの前で、わーんと声を上げて泣いた。




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