白狼 白起伝

松井暁彦

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白という少年

 四

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 全身が酷く痛んだ。痣だらけ、少なくともあばら骨の一・二本は折れているかもしれない。だが、この程度の痛みは慣れっこだった。奴隷になってからは、毎日のように暴力を受けていたし、戦いの才能があると認められてからは、戦場に駆り出されるようになった。
 
 戦場といっても、千軍万馬が衝突を繰り返すような大戦ではない。秦の国境を侵し、都邑を襲う略奪行為を指す。所詮、駆け付けた地方軍との小競り合い程度である。幾度となく、死に兵として殿しんがりを務めさせられた。同じく奴隷の少年達が、共に殿を務めさせられたが、覚えている限りでは皆死んだ。
 
 なまじ剣の腕が立つだけに、少年は今の今まで死線を潜り抜けてきた。別に生き長らえたかった訳ではない。ただ相対する敵、全てが己より弱かったというだけのことである。無感動な眼で、同じような境遇である、死に兵と化した少年達の死に様を見届けた。

 無様であった。だが、死とは平等に無様なものだ。栄耀栄華を極めた王も家畜の豚も死ぬ時は、所詮孤独なのである。そして、己も何時か無様に死ぬ。幼い頃から底辺を蛆のように這い、数多の死線を潜り抜けてきたからこその達観である。

「ほらよ」
 厩に繋がれた少年の元に、中年の使用人が現れ、汚い桶に入った水と飼葉を眼の前に置いた。男は意地の悪い笑みを浮かべている。

「お前達、蛮人は馬と夜を共にするそうだな。だったら飯は馬と同じものでいいよな」

「戦場で馬は人間より遥かに信用できる相棒だ。お前達も少なからず、馬の恩恵を受けているだろ。俺を愚弄するのは勝手だが、馬を悪く言うのはよせ」
 男は舌を打ち、頬に平手打ちを食らわし、踵を返す。そして、四肢を鎖で繋がれた少年を見遣って、ほくそ笑む。

「口を遣って食うことだ。畜生のようにな」
 やれやれと嘆息すると、男の入れ替わりで人目を忍ぶように若い男が現れた。痩せたみすぼらしい少年だ。歳は近い。

「大丈夫か?」
 襤褸らんるの内側から、恐る恐る取り出した干し肉を持つ手は震えている。

「旦那様を怒らせるからだぞ」
 少年は傲岸不遜な旦那様とやらに買われた奴隷なのだろう。同じ匂いがする。干し肉を口に押し当てる。肉の血の臭気が残滓ざんしとして残っている。それでも、腹は減っていたのだろう。腹の虫が合唱する。時を掛けて咀嚼する。決して旨くはないが、それでも飢えた全身に染み渡る。

「いいのか?蛮族の奴隷に情けをかけるようなことをして」
 少年の煤塗れの顔が綻んだ。厩の入り口をちらちらと見遣り、そっと枯草に塗れた地面に座り込む。

「奴隷の身の上に下も上もないさ。奴隷が人を卑下するようになったら、人として終わりだ」
 人の良さそうな笑みだった。だが、知っている。戦場では甘い奴から死んでいく。

「君、名前は?」

「あると思うか?俺は蛮族の奴隷だぞ。かつてはあったのかもしれない。でもそんなもの、とうに忘れている」

「そうかー」
 奴隷の少年は、眉根を顰め一拍置いて名乗った。

「俺は王齕おうこつ

「聞いてない」
 にべもない返答に、王齕は愛想の良い笑みを浮かべる。

「でも、呼び名はあったはずだ。でないと、幾ら奴隷といっても不便だ」

「さぁな。それより王齕。ささっとここを抜け出した方がいい。誰か来る」

「えっ?何も聞こえないけど」

「俺は広大な平原で育った。五感はお前達より優れている」

「分かったよ。また来るからな」
 おどおどと立ち上がり、周囲を見遣り、厩を後にしようとする王齕を呼び止めた。

はくだ。それが俺の呼び名だった。」
 生まれつき全身の体毛が白かった。奇異な容貌だ。短絡的で蔑称とも捉えられる呼び名であった。だが、訊いた王齕は太く笑みを刷いた。

「良い名前だな。白」
 王齕が夜陰に熔けていくのを見送り、一人ちる。

「変な奴」
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