白狼 白起伝

松井暁彦

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光輝の兆し

 十七

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「ただの商人とは思えんな」

「しがない流れの商人で御座います」
 唇は綻んだが、もう眼は笑っていなかった。

「俺に何の用だ?」

「拝見戴ければご理解頂けるかと」

「よかろう」
 呂不韋が手を打つと外で控えていた、下僕らしき男が麻の布に包まれた何かを手渡した。手渡すと下僕は、そそくさと下がっていく。

「それは?」
 白起は銀色の眼を眇める。呂不韋は答える代わりにさっと麻の布を払った。

御笑納ごしょうのう下さいませ」
 大仰に膝をついた、呂不韋が漆黒の鞘に収まる剣を両手で拝して差し出した。気が付くと腰を上げていた。そっと剣の鞘に触れる。

 瞬間。総身に雷電が走った。渦巻く剣気が躰に纏わりつき離さない。この衝撃を知っている。銀牙を手にした時と同じものだ。

「この剣では韓の冥山で鍛え上げられたと聞きます。鍛えた者の素性は不明ですが、唯一伝わっていることは、この剣は二振りで一振りの態を成していたということ」
 剣を持ち上げていた。鞘から剣を抜き放つ。きーん。という澄んだ音が幕舎に谺した。

「剣がいている」
 勢いで言葉が漏れた。何故、そのように感じたのかは分からない。ただ純粋にそう捉えたのだ。

「やはり武安君こそ真の主に相応しい御方のようですね。優れた剣には意志が宿ると聞きます。そして、剣の意志を理解できるのは剣に選ばれし勇者のみ」

「俺が勇者だと?」
 思わず鼻を鳴らした。

「お前とて俺の行いを知らぬ訳ではあるまい。俺は勇者などではない。史上最悪の極悪人だ」

「果たしてそうでしょうか?確かに現世を生きる者達には、武安君の所業は魔人の其れに映るでしょう。ですが数十年後。数百年後に生きる者達の眼に武安君の行いが単純な殺戮行為と映るとは限りませぬ」

「知った口を」

「私は商人です。目利きには自信があります故、私には快楽に任せて武安君が殺戮を行う御方には見えませぬ。いや、むしろ自身の行いを憎んでおられる。そのような気が致します」

「黙れ。商人風情が」
 どういう訳か胸がざわついた。この男の言葉が正鵠せいこくを射ているとは思えない。壁に立て掛けた銀牙を執り抜き放つ。共鳴していた。双刃が再会を喜ぶように鮮烈な光輝が宿る。

「おお。やはり」
 呂不韋が眼を爛々と輝かせ、外連味のない笑みを浮かべる。今まで気がつかなかったが、銀牙の柄頭に親指でなぞらない分からないほどの窪みがある。導かれるように二刀の柄頭を合わせた。

「両刃剣だったのか」
 中央の柄を中心に伸びる両の刃。之が真の姿なのか。奔流のように溢れ出してくる剣気。
 
 呂不韋を二歩下がらせ、両刃剣を振るう。静謐せいひつ―。半呼吸遅れて刹音さつおん。同時に呂不韋の衣の裾が断ち切れた。時を斬った。そう感じた。

「ああ。素晴らしい!!!」
 呂不韋の眼光は鋭く、半狂乱の勢いで巨躯をくねらせる。

「幾らだ?」
 恍惚とした表情で白起は、真の姿を得た剣を眺めていた。どれほど大枚をはたいても惜しくはないと思っていた。その問いに呂不韋は商人として相応しくない、怪訝な顔で返した。

「銭など要りませぬ」

「何だと」

「先程申し上げたはずです。お納めくださいと」
 堂々と呂不韋は言い放つ。狼狽えたのは白起の方だった。
「しかしこれほどの剣だ。国庫の半分を与えても惜しくはない」

奇貨きか(掘り出し物)なのですよ。私の生き甲斐は奇貨を見つけ出し投資すること」

「その奇貨が俺であると?」
 呂不韋の笑みは福福としたものに戻っていた。だが、先ほどの取って付けたようなものではない。

「故に私は武安君に投資させて頂いたのです」

「投資とはつまり少なくとも見返りを求めていると言うことだな。お前の望みは何だ?」

「望みですか」
 一度下げた面が上がる。巨眼が剥き出しになるほど大きく見開かれる。

「万年に亘る名声光輝めいせいこうきです」
 熱波が吹く。呂不韋から放たれた熱量だった。呑まれていた。たかが商人の気配に。再び笑みを刷くと同時に、彼から熱量は引いていく。

「悪い冗談です。ただ今後とも武安君にはご贔屓に頂ければ幸いでございます」
 冗談などではない。白起は呂不韋と同じ眼をした者を知っている。あの眼は新世界を渇望する者の眼だ。

「では」
 悠然と呂不韋は夜の闇へと消えていった。残された両刃剣。

(あの男は一体―)
 呂不韋は謎だけを残し去った。彼は何れ数多の謀略によって、後に天下を統べる始皇嬴政えいせいの後見人となり、魏冄を超える権勢を得ることになる。だが、この時の白起には遠い未来のことなど知る由もない。
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