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澱み
六
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「運べ‼運べ‼」
「いや、だからこの荷物はこっちだ!」
白起軍の陣営に穣内から夥しい量の物資が運び込まれていく。荷物を満載に積み上げた、荷馬車が街道を埋め尽くしている。
王翦は実の父と共に、外の喧噪を歩墻の上から眺めていた。
「今日の調練は良いのか?」
父の声には隙間風のように力がない。
「はい。今日はーその父―」
「無理をしなくともよい」
穏やかに笑むと眼元にくっきりと深い皺が刻まれる。
「申し訳ございません」
「何を謝ることがある。悪いのはわしだ」
父は秦の宰相である。国の柱石ともいえる男が、深々と頭を下げる。
「よして下さい」
父が勢いよく咳き込む。崩れ落ち口元をおさえると、手には喀血の跡があった。
「見苦しいものを見せたな」
ふらりと立ち上がり袖で血を拭う。顔は蒼褪め、今にも倒れそうだ。
「魏冄殿。館に戻られては?」
「いいや。白起が親子水入らずの時間を与えてくれたのだ。床に臥してたまるか」
父は笑んだが、その力のない笑みはあまりにも弱弱しかった。
「随分と白起にしごかれているようだな」
「あっ。これは」
頬の新しい痣に触れる。白起麾下の天狼隊は一万を五千に分け、実戦さながらの調練を毎日行っている。調練は苛烈を極め、並の兵士ならば死人すら出るほどだ。王翦も白起の従者として調練に参加しているが、幾度も死を近くに実感している。だが、決まって限り限りの所で死なない。恐らく白起が敢えて、己を死の淵に追い込んでいるのだろうと思う。
「戦は好きか?」
「はい」
辛いが調練を一つ乗り越える度に、強くなったことを実感できる。
「わしも好きだ」
「魏冄殿もですか?」
意外だった。父はいわば、秦国の頭脳である。血腥いことより、勉学など好むと思っていたが。
「わしもかつては先王と共に無茶をしたものよ」
「想像できません」
「そうだろうな。今の風貌では想像するのは難しかろう」
自嘲するように笑う。
「いや。そういう意味では」
「良いのだ。本当はわし自ら馬を駆り、剣を執ってお前に戦とは何たるかを手解きしてやりたったがな。だが、戦を学ぶには白起の下におるのが一番じゃ。今やわしがお前に教えてやれることなどあまりない」
「魏冄殿は王に相応しい御方だと、殿は仰っておりました」
父は瞼を閉じた。不意に深く息を吐くと王翦に向き直る。よろよろと歩き反対側の女墻に掴まり、穣の賑わう城市を指さした。
「わしはこの城郭が好きだ。わしがこの城郭を豊かにしたのだという誇りもある」
「ええ。豊かだと思います。私も城郭内を一人で歩き回ったりしましたが、不満を口にする者など誰一人居ませんでした。皆が不羈であり、城郭は活気に溢れている。本当に良い城市です」
「満たされておる」
言った父の顔は、言の通りに幸福に満ちていた。
「こうして息子と語り合い共に、自分が築き上げた都を満たされた想いで見下ろしている。これほど幸せなことがあろうか」
照れ臭くなる。未だに父子という実感は欠如しているが、この人が父で良かったと心から思える。
「故にわしの器量はその程度ということよ」
突如、父の顔が険しいものと変わる。
「えっ?」
「わしに天下を統べる王は務まらないということよ。本来、王は満たされてはならぬのだ。わしが王となれば、天下に停滞を齎すだろう。天の輪に組み込まれた人という生き物は、停滞の中で光輝に見出すことはできない。光輝を求めるからこそ人は輝けるのだ。わしは老いた。達観した老人は、天の輪から弾き出される。もう光を求める必要はない。後は死を待つだけだからの。そんな男に泰平の世を導くことはできんよ。そうさな。やはり天下万民を導くのは情熱を持った若い男ではなくてはならん」
肩の置かれた手。それは病み衰えた老人にものとは思えないほど力強い。
「翦。お前が天下を導くのだ」
「俺がー」
「白起は必ず天下を奪る。白起の想いに応えてやれるのはお前しかいない。その為にわしはお前に全てを授けよう」
「いや、だからこの荷物はこっちだ!」
白起軍の陣営に穣内から夥しい量の物資が運び込まれていく。荷物を満載に積み上げた、荷馬車が街道を埋め尽くしている。
王翦は実の父と共に、外の喧噪を歩墻の上から眺めていた。
「今日の調練は良いのか?」
父の声には隙間風のように力がない。
「はい。今日はーその父―」
「無理をしなくともよい」
穏やかに笑むと眼元にくっきりと深い皺が刻まれる。
「申し訳ございません」
「何を謝ることがある。悪いのはわしだ」
父は秦の宰相である。国の柱石ともいえる男が、深々と頭を下げる。
「よして下さい」
父が勢いよく咳き込む。崩れ落ち口元をおさえると、手には喀血の跡があった。
「見苦しいものを見せたな」
ふらりと立ち上がり袖で血を拭う。顔は蒼褪め、今にも倒れそうだ。
「魏冄殿。館に戻られては?」
「いいや。白起が親子水入らずの時間を与えてくれたのだ。床に臥してたまるか」
父は笑んだが、その力のない笑みはあまりにも弱弱しかった。
「随分と白起にしごかれているようだな」
「あっ。これは」
頬の新しい痣に触れる。白起麾下の天狼隊は一万を五千に分け、実戦さながらの調練を毎日行っている。調練は苛烈を極め、並の兵士ならば死人すら出るほどだ。王翦も白起の従者として調練に参加しているが、幾度も死を近くに実感している。だが、決まって限り限りの所で死なない。恐らく白起が敢えて、己を死の淵に追い込んでいるのだろうと思う。
「戦は好きか?」
「はい」
辛いが調練を一つ乗り越える度に、強くなったことを実感できる。
「わしも好きだ」
「魏冄殿もですか?」
意外だった。父はいわば、秦国の頭脳である。血腥いことより、勉学など好むと思っていたが。
「わしもかつては先王と共に無茶をしたものよ」
「想像できません」
「そうだろうな。今の風貌では想像するのは難しかろう」
自嘲するように笑う。
「いや。そういう意味では」
「良いのだ。本当はわし自ら馬を駆り、剣を執ってお前に戦とは何たるかを手解きしてやりたったがな。だが、戦を学ぶには白起の下におるのが一番じゃ。今やわしがお前に教えてやれることなどあまりない」
「魏冄殿は王に相応しい御方だと、殿は仰っておりました」
父は瞼を閉じた。不意に深く息を吐くと王翦に向き直る。よろよろと歩き反対側の女墻に掴まり、穣の賑わう城市を指さした。
「わしはこの城郭が好きだ。わしがこの城郭を豊かにしたのだという誇りもある」
「ええ。豊かだと思います。私も城郭内を一人で歩き回ったりしましたが、不満を口にする者など誰一人居ませんでした。皆が不羈であり、城郭は活気に溢れている。本当に良い城市です」
「満たされておる」
言った父の顔は、言の通りに幸福に満ちていた。
「こうして息子と語り合い共に、自分が築き上げた都を満たされた想いで見下ろしている。これほど幸せなことがあろうか」
照れ臭くなる。未だに父子という実感は欠如しているが、この人が父で良かったと心から思える。
「故にわしの器量はその程度ということよ」
突如、父の顔が険しいものと変わる。
「えっ?」
「わしに天下を統べる王は務まらないということよ。本来、王は満たされてはならぬのだ。わしが王となれば、天下に停滞を齎すだろう。天の輪に組み込まれた人という生き物は、停滞の中で光輝に見出すことはできない。光輝を求めるからこそ人は輝けるのだ。わしは老いた。達観した老人は、天の輪から弾き出される。もう光を求める必要はない。後は死を待つだけだからの。そんな男に泰平の世を導くことはできんよ。そうさな。やはり天下万民を導くのは情熱を持った若い男ではなくてはならん」
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「翦。お前が天下を導くのだ」
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