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第十五話 鬼神の刀はかく語る
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そしてさらに数日後、今日は寿彦の復帰一日目である。
事前に客には知らせていたせいで開店直後にも関わらず太郎茶屋の店内は満席どころか寿彦を一目見ようと店の外まで人がごった返していた。
そんな中、寿彦の影が店の奥から現れる。
女性客はワッと声を上げようとしたが、寿彦の姿を見るなり驚いたようにそのまま凍りついた。
寿彦の姿は女装姿ではない。化粧もせず、鬘も脱ぎ去り長めのざん切り頭を晒した書生姿に前掛けと言う出で立ちで寿彦は皆の前に姿を現したのである。
「いらっしゃいませ……」
恥ずかしそうに微笑む寿彦だが、なお店内は静まり返っていた。
やはり女装をしなければならないのか、と書生姿の寿彦は後悔し始めてしまう。しかし、あの刀、池田鬼神丸国重の持ち主に相応しいほど強くなると決めたのだ。だから女装ではなく男の格好でこれからは生きたいのである。
しかし。
「きゃあっおトシ様!! 男装も素敵!」
「お化粧をしてもしなくても変わらない美貌! 神様は不平等過ぎる!」
「えぇ……お髪まで切って……」
「でも、格好良くありません? 軍国の母を目指すなら強くあらねばなりませんって先生も仰ってましたし、とても凛々しいですよ」
「確かに短い髪だと清潔ですわね」
待ってなんか様子がおかしい。
寿彦の予想であればここは、
「ええっ、男だったの!? 信じられない!」
「私たちを騙していたの!?」
と悲鳴が上がり、非難されるはずだったのだ。
何故、女学生を始めとした女性たちは皆、今のこの姿を男装として受け入れているのだろうか。
「はいはい、皆さん、お静かに」
ざわついている店内を静めるように、パンパンと手を叩きながら太郎茶屋の店主である吉太郎が立ち上がる。
その姿に寿彦をはじめ全員が口をつぐみ彼を見つめた。
「実は彼女、あまりに美しすぎるが故にやっかみを受け、この前暴漢に怪我を負わせられましてね。その怪我の回復のためにお休みをいただいていたわけでして」
「まあ!」
「そんな酷いことが!?」
「犯人は捕まりましたし、当分は大丈夫かとは思いますがね、命の危険がありますのでね、念の為こうして男装をすることもありますので、以後ご承知おきくださいませね」
「えっ? あっ? は?」
吉太郎の言葉に寿彦はこれでもかと目を見開いて仰天してしまう。
そんな話全くしていない。
もう女装は嫌だから男として給仕すると告げただけだ。
しかし目を丸くする寿彦に吉太郎は近づいて耳元で囁いた。
「裏切るの? このお客様たちを」
寿彦が周りを見渡すと、何故か女性たちは皆俯いている。
「おトシ様、お可哀想……」
「髪は女の命なのに、それを切り落として生きなきゃいけないなんて……」
「……美しさが仇になるなんて……」
同情の眼差しをちらちらと向けつつも、「美し過ぎるが故にやっかみを受けて怪我をさせられたおトシ」に皆が寄り添おうとしている。
「うっ……うぅ……っ」
そんな彼女らの姿に寿彦は顔を青くして呻く。
彼女らのそんな純粋な善意を無視して自分の道を決めた道を歩めるほど寿彦はまだ強くはない。
狼狽える寿彦に再度吉太郎の怨霊めいた言葉が囁かれる。
「裏切るの?」
まだ吉太郎は寿彦の看板娘商法を貫き通したいのだ。と言うか他のウリなんて何も考えていない。
そんな父親を軽蔑の眼差しで俊太郎が見つめる。
自分を拐かした張本人なのにそれでも尊敬の眼差しを送るほど、黒船屋の弛まぬ経営努力を賛美している彼にとって父親のその姿はどう見えているのだろうか。
いや、恐いからやっぱり聞きたくない。
「え……えっと……大丈夫です! 今の鬘はとても良いものがたくさんありますので! 素敵な髪飾りや結い方を今後も皆様に紹介できたら良いなと思っております!」
困りきった寿彦はいかにも手弱女らしい仕草と笑顔で胸の前で両の拳を軽く握ってみせる。
「ですが、この姿で外を出歩いていても、声を掛けたりせずにそっとしてくださると嬉しいです」
それだけが精一杯の譲歩であった。
パチパチと店内に温かな拍手が鳴り響く。その温もりが今はちょっと恨めしい。
その恨めしい目つきのまま寿彦は吉太郎を横目でじとりと見やる。太郎茶屋の店主はニタニタとしていた。
まさに「計画通り」と言った顔である。
その悪どい顔に流石に寿彦にも怒りが湧いてしまう。
(こっこの野郎……)
そんな店内のやり取りを、寿彦の双子の妹である寿々と、五郎がそして時尾が店の片隅の席で見守っていた。
寿彦の右往左往する様子に寿々と五郎は苦笑いし、時尾は不甲斐ないと言わんばかりに重たい溜め息を吐いている。
寿彦の強くなると言う道のりはどうやらまだまだ遠いらしい。
――となれば、まだこちらにもお役目はありそうだぞ。
太郎茶屋の二階にある寿彦の部屋。
刀掛けに掛けられた池田鬼神丸国重は、自慢の鞘を障子越しの光で柔らかく照らしている。
――前の主に捨てられた時は途方に暮れたものだが、中々どうして縁というものは奇妙なものだな。
そして今の持ち主の平和な奮闘を二階から静かに聞きながら、そんな風に思った。
了
事前に客には知らせていたせいで開店直後にも関わらず太郎茶屋の店内は満席どころか寿彦を一目見ようと店の外まで人がごった返していた。
そんな中、寿彦の影が店の奥から現れる。
女性客はワッと声を上げようとしたが、寿彦の姿を見るなり驚いたようにそのまま凍りついた。
寿彦の姿は女装姿ではない。化粧もせず、鬘も脱ぎ去り長めのざん切り頭を晒した書生姿に前掛けと言う出で立ちで寿彦は皆の前に姿を現したのである。
「いらっしゃいませ……」
恥ずかしそうに微笑む寿彦だが、なお店内は静まり返っていた。
やはり女装をしなければならないのか、と書生姿の寿彦は後悔し始めてしまう。しかし、あの刀、池田鬼神丸国重の持ち主に相応しいほど強くなると決めたのだ。だから女装ではなく男の格好でこれからは生きたいのである。
しかし。
「きゃあっおトシ様!! 男装も素敵!」
「お化粧をしてもしなくても変わらない美貌! 神様は不平等過ぎる!」
「えぇ……お髪まで切って……」
「でも、格好良くありません? 軍国の母を目指すなら強くあらねばなりませんって先生も仰ってましたし、とても凛々しいですよ」
「確かに短い髪だと清潔ですわね」
待ってなんか様子がおかしい。
寿彦の予想であればここは、
「ええっ、男だったの!? 信じられない!」
「私たちを騙していたの!?」
と悲鳴が上がり、非難されるはずだったのだ。
何故、女学生を始めとした女性たちは皆、今のこの姿を男装として受け入れているのだろうか。
「はいはい、皆さん、お静かに」
ざわついている店内を静めるように、パンパンと手を叩きながら太郎茶屋の店主である吉太郎が立ち上がる。
その姿に寿彦をはじめ全員が口をつぐみ彼を見つめた。
「実は彼女、あまりに美しすぎるが故にやっかみを受け、この前暴漢に怪我を負わせられましてね。その怪我の回復のためにお休みをいただいていたわけでして」
「まあ!」
「そんな酷いことが!?」
「犯人は捕まりましたし、当分は大丈夫かとは思いますがね、命の危険がありますのでね、念の為こうして男装をすることもありますので、以後ご承知おきくださいませね」
「えっ? あっ? は?」
吉太郎の言葉に寿彦はこれでもかと目を見開いて仰天してしまう。
そんな話全くしていない。
もう女装は嫌だから男として給仕すると告げただけだ。
しかし目を丸くする寿彦に吉太郎は近づいて耳元で囁いた。
「裏切るの? このお客様たちを」
寿彦が周りを見渡すと、何故か女性たちは皆俯いている。
「おトシ様、お可哀想……」
「髪は女の命なのに、それを切り落として生きなきゃいけないなんて……」
「……美しさが仇になるなんて……」
同情の眼差しをちらちらと向けつつも、「美し過ぎるが故にやっかみを受けて怪我をさせられたおトシ」に皆が寄り添おうとしている。
「うっ……うぅ……っ」
そんな彼女らの姿に寿彦は顔を青くして呻く。
彼女らのそんな純粋な善意を無視して自分の道を決めた道を歩めるほど寿彦はまだ強くはない。
狼狽える寿彦に再度吉太郎の怨霊めいた言葉が囁かれる。
「裏切るの?」
まだ吉太郎は寿彦の看板娘商法を貫き通したいのだ。と言うか他のウリなんて何も考えていない。
そんな父親を軽蔑の眼差しで俊太郎が見つめる。
自分を拐かした張本人なのにそれでも尊敬の眼差しを送るほど、黒船屋の弛まぬ経営努力を賛美している彼にとって父親のその姿はどう見えているのだろうか。
いや、恐いからやっぱり聞きたくない。
「え……えっと……大丈夫です! 今の鬘はとても良いものがたくさんありますので! 素敵な髪飾りや結い方を今後も皆様に紹介できたら良いなと思っております!」
困りきった寿彦はいかにも手弱女らしい仕草と笑顔で胸の前で両の拳を軽く握ってみせる。
「ですが、この姿で外を出歩いていても、声を掛けたりせずにそっとしてくださると嬉しいです」
それだけが精一杯の譲歩であった。
パチパチと店内に温かな拍手が鳴り響く。その温もりが今はちょっと恨めしい。
その恨めしい目つきのまま寿彦は吉太郎を横目でじとりと見やる。太郎茶屋の店主はニタニタとしていた。
まさに「計画通り」と言った顔である。
その悪どい顔に流石に寿彦にも怒りが湧いてしまう。
(こっこの野郎……)
そんな店内のやり取りを、寿彦の双子の妹である寿々と、五郎がそして時尾が店の片隅の席で見守っていた。
寿彦の右往左往する様子に寿々と五郎は苦笑いし、時尾は不甲斐ないと言わんばかりに重たい溜め息を吐いている。
寿彦の強くなると言う道のりはどうやらまだまだ遠いらしい。
――となれば、まだこちらにもお役目はありそうだぞ。
太郎茶屋の二階にある寿彦の部屋。
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――前の主に捨てられた時は途方に暮れたものだが、中々どうして縁というものは奇妙なものだな。
そして今の持ち主の平和な奮闘を二階から静かに聞きながら、そんな風に思った。
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