婚約者に捨てられた私ですが、なぜか宰相様の膝の上が定位置になっています 

さら

文字の大きさ
17 / 25

17

しおりを挟む
第17話 舞踏会の招待



 月下の約束を交わした夜から数日。心に安らぎを得たはずの私に、また新たな試練が舞い込んだ。

 執務室で帳簿を写していると、秘書官が恭しく封筒を差し出してきた。
「閣下、今度は王宮主催の舞踏会の招待状です」
「舞踏会……?」
 思わず声を上げてしまう。

 それは王都でもっとも華やかで、同時に最も注目を集める社交の場だった。私の胸は不安でいっぱいになり、指先が震える。

「……どうしましょう、宰相様。私が出席したら、また皆の視線に晒されて……」
 宰相様は封を切り、淡々と中身を確認した後、即座に言った。
「出席する」
「えっ……」
「避ける必要はない。むしろ好機だ。王都中に見せつければよい――君が誰に庇護され、どこに居場所を持つのかを」

 強い言葉に胸が震える。羞恥と安堵がないまぜになり、どうしていいか分からなかった。

 侍女たちが急ぎ準備に取りかかり、仕立て屋が新しいドレスの採寸に訪れた。鏡の前で布地を当てられながら、私は胸を押さえて思わず呟いた。
「……本当に、私が舞踏会に出てもいいのかしら」

 その背後から低い声が落ちた。
「いいに決まっている」
 振り返れば、宰相様が立っていた。瞳はまっすぐに私を射抜いている。
「君はもう誰にも嘲笑される存在ではない。私の隣に立つ者だ」

 胸が熱く痺れ、言葉が出なかった。

 宰相様は一歩近づき、当然のように私を抱き上げる。
「舞踏会でも膝の上は譲らん」
「っ……!」
「それが君の定位置だ。誰に何を言われようと変わらん」

 その断言に、不安よりも強い安心感が胸に満ちていった。

――こうして私は、王宮の舞踏会へと臨むことになった。



 舞踏会の当日。王宮の大広間は、幾千もの灯火に照らされていた。天井から吊るされた巨大なシャンデリアは星空のように輝き、磨き上げられた大理石の床に光が反射している。華やかな音楽が奏でられ、貴族たちが優雅に踊り、笑い合っていた。

 私はその光景を目にした瞬間、胸がぎゅっと縮むのを感じた。これほど多くの視線に晒されるのは初めてで、逃げ出したい気持ちがこみ上げる。

 だが、隣に立つ宰相様が低く囁いた。
「安心しろ。視線はすべて私が受け止める」

 その声に勇気をもらい、私は彼の腕に抱かれるまま大広間へと足を踏み入れた。

 途端にざわめきが広がる。
「……あれが、宰相様の膝の上の令嬢……」
「舞踏会にまで連れてくるとは……」
「羨ましい……」

 囁きはあちこちで飛び交い、空気が熱を帯びる。私は羞恥で頬が真っ赤になったが、宰相様は表情を崩さない。堂々と椅子に腰を下ろし、当然のように私を抱き上げて膝の上へ下ろした。

 広間が一斉に息を呑む。音楽すら一瞬止まりかけた。けれど、宰相様は気にも留めず、杯を取り上げる。
「これが私の答えだ。彼女が私の定位置にいることを、全員の前で示す」

 その姿に、誰も声を上げられなかった。

 やがて楽団が再び演奏を始め、舞踏会の雰囲気は流れを取り戻した。だが視線は変わらず私に注がれている。羞恥で心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。

 宰相様が気づき、囁いた。
「苦しいか」
「……すこし」
「ならば、甘やかしてやろう」

 彼はグラスの葡萄酒を手に取り、代わりに果実のジュースを私の唇へ運んできた。
「飲め」
「……はい」

 冷たい液体が喉を潤す。周囲の貴族たちが目を見張るのが分かる。だが宰相様は意に介さず、続けて小さな菓子を口元へ差し出した。
「口を開けろ」
「……っ」
 羞恥で俯きながらも口を開くと、甘い味が広がった。

 広間に漂う空気は、嘲笑ではなく驚きと羨望に変わっていた。

 宰相様は低く告げる。
「見ておけ。君がどれほど大切にされているかを、全員に知らしめる」

 その言葉に、胸が熱で満たされていく。羞恥を超えて、誇らしさが確かなものとなっていた。



 舞踏会の熱気は夜が更けても衰えなかった。楽団の奏でる旋律は軽やかで、色鮮やかなドレスが舞い、杯の触れ合う音が響く。その中で私はずっと宰相様の膝の上に座り続けていた。羞恥は最初のうちだけで、今はむしろ「ここが自分の定位置なのだ」と胸を張れるほどになっていた。

 ふと、殿下とアリシアの姿が視界に入った。二人は遠巻きにこちらを見つめ、何かを囁き合っている。嫌な記憶が蘇り、胸がざわめいた。けれど次の瞬間、宰相様が背を支えて囁く。
「視線を向けるな。あの二人はもはや過去だ。君は私の現在にいる」
「……はい」

 短い言葉なのに、胸の奥まで沁みわたる。

 やがて曲が変わり、舞踏会の主催者である王妃陛下が中央に姿を現した。白銀のドレスに身を包み、威厳と優雅さを兼ね備えた姿。広間の空気が一気に張り詰める。
「皆の者、今宵はよう集ってくれました」

 その声に合わせて人々が頭を下げる。私も膝の上で身を正した。

 王妃の視線が、真っ直ぐにこちらへと注がれた。
「宰相。……そして、その膝に抱かれた娘がエリナであるな」
 広間が一斉にざわめく。王妃の問いかけは、公然とした認知を意味していた。

 宰相様は少しも怯まず、堂々と答える。
「はい。この娘は私の庇護下にございます」
 静かでありながら、鋼のように揺るぎない声だった。

 王妃は一瞬目を細め、それから柔らかに微笑んだ。
「……ならばよい。女が安心して笑える場所を与えられる者こそ、真に国を支える者だと私は思う」

 その言葉に広間がざわめき、次第に拍手が湧き上がった。殿下とアリシアは顔を引きつらせ、言葉を失っている。

 胸がいっぱいになり、涙が滲んだ。王妃の前でさえ、宰相様は揺るがない。堂々と「私を抱く」姿を示してくれる。

「……宰相様」
 震える声で名を呼ぶと、彼は私を抱き寄せ、額に唇を落とした。
「もう何も恐れるな。お前は国が認めた存在だ」

 羞恥を超えて、胸が誇らしさで満ちていく。

 舞踏会が終わり、馬車に戻ると私は宰相様の胸に顔を埋めた。
「……今日を一生忘れません」
「忘れるな。君は宰相の膝の上に座る娘として、この国に刻まれたのだから」

 その言葉に、涙と共に甘い笑みが浮かんだ。

――こうして私は、舞踏会という華やかな場で、国中に「宰相様の大切な人」として認められたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。

朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。 ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――

『異世界転生してカフェを開いたら、庭が王宮より人気になってしまいました』

ヤオサカ
恋愛
申し訳ありません、物語の内容を確認しているため、一部非公開にしています この物語は完結しました。 前世では小さな庭付きカフェを営んでいた主人公。事故により命を落とし、気がつけば異世界の貧しい村に転生していた。 「何もないなら、自分で作ればいいじゃない」 そう言って始めたのは、イングリッシュガーデン風の庭とカフェづくり。花々に囲まれた癒しの空間は次第に評判を呼び、貴族や騎士まで足を運ぶように。 そんな中、無愛想な青年が何度も訪れるようになり――?

【完結】氷の王太子に嫁いだら、毎晩甘やかされすぎて困っています

22時完結
恋愛
王国一の冷血漢と噂される王太子レオナード殿下。 誰に対しても冷たく、感情を見せることがないことから、「氷の王太子」と恐れられている。 そんな彼との政略結婚が決まったのは、公爵家の地味な令嬢リリア。 (殿下は私に興味なんてないはず……) 結婚前はそう思っていたのに―― 「リリア、寒くないか?」 「……え?」 「もっとこっちに寄れ。俺の腕の中なら、温かいだろう?」 冷酷なはずの殿下が、新婚初夜から優しすぎる!? それどころか、毎晩のように甘やかされ、気づけば離してもらえなくなっていた。 「お前の笑顔は俺だけのものだ。他の男に見せるな」 「こんなに可愛いお前を、冷たく扱うわけがないだろう?」 (ちょ、待ってください! 殿下、本当に氷のように冷たい人なんですよね!?) 結婚してみたら、噂とは真逆で、私にだけ甘すぎる旦那様だったようです――!?

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい
恋愛
王都の春。 貴族令嬢リリアーナ・エインズワースは、第一王子ライオネル殿下との婚約を一方的に破棄された。 涙を見せないことが、彼女に残された唯一の誇りだった。だが運命は、彼女を思いがけない方向へ導く。 「氷の公爵」と呼ばれる孤高の男、ヴァレンティーヌ公爵。 二十四人の花嫁候補を断り続けた彼の元へ、「二十五番目の花嫁」として赴いたリリアーナ。 家の体裁のための結婚――そう割り切っていたはずなのに、氷のような瞳の奥に垣間見えた孤独が、彼女の心に小さな炎を灯してゆく。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる

藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。 将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。 入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。 セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。 家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。 得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。

冷酷侯爵と政略結婚したら、実家がざまぁされました

鍛高譚
恋愛
「この結婚は、家のため。ただの政略結婚よ」 そう言い聞かせ、愛のない結婚を受け入れた公爵令嬢リゼット。 しかし、挙式後すぐに父が「婚約破棄しろ」と命じてきた!? だが、夫であるアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵は冷たく言い放つ。 「彼女を渡すつもりはない」 冷酷無慈悲と噂される侯爵が、なぜかリゼットを溺愛し始める!? 毎日甘やかされ、守られ、気づけば逃げ場なし! さらに、父の不正が明るみに出て、公爵家は失墜―― リゼットを道具として利用しようとした者たちに、ざまぁの鉄槌が下される! 政略結婚から始まる、甘々溺愛ラブストーリー! 「愛なんてないはずなのに……どうしてこんなに大切にされるの?」

処理中です...