3 / 13
3
しおりを挟む
第3話 草の市と灰色の瞳
〇
翌朝、私は荷をまとめていた。布袋に乾かした薬草を詰め込み、肩にかける。今日は週に一度の市の日。村人や旅人が集まって物々交換をする大事な日だった。わずかな収入源であり、私にとっては生きていくための糧そのものだ。扉を開けると、朝露の冷たさが頬に触れ、森の奥から鳥の声が重なり合って届いてきた。
小道を歩く間、頭の片隅には昨日のアルディスの姿が焼きついていた。灰色の瞳、微笑んだときの柔らかさ、そして「友人」と名乗ったこと。思い出すたびに胸が高鳴り、肩の袋が軽くなるように感じられた。だが同時に、あれほどの人がどうして私に歩み寄ってくれるのか、理解できずに戸惑いもあった。
村の広場に着くと、すでに人々の声が飛び交っていた。農家の人々はかごいっぱいの野菜を並べ、旅の商人は布や飾りを売り歩いている。私は小さな木箱に布を広げ、その上に薬草を束ねて並べた。乾燥させたミント、カモミール、タイム……香りが風に乗って漂い、近くを通る人々が足を止める。
「リオナ、今日は元気そうだな」
顔なじみの老婆が声をかけてくれた。
「はい。おかげさまで」
「このカモミール、孫の眠りに効くんだ。今日も分けてもらうよ」
私は微笑みながら小さな袋に詰め、代わりに卵を受け取った。こうして暮らしは細々と続いていく。
昼近く、広場のざわめきが急に変わった。人々が道を開け、馬の蹄の音が近づいてくる。目を向けると、昨日の青い外套が視界に飛び込んできた。アルディスだった。村人たちはざわつき、誰もが驚きと緊張を隠せない様子で彼を見つめている。私は慌てて立ち上がり、胸がどきどきと騒いだ。
「リオナ」
彼は広場の真ん中で私を見つけ、真っ直ぐに歩み寄ってきた。灰色の瞳が揺らぐことなく、ただ一人を射抜いている。その視線に周囲のざわめきが遠のき、鼓動の音だけが響いた。
「よかった、ここにいた」
「……アルディス様、どうして」
「市の日だと聞いたから。君の草を見てみたかった」
そう言って微笑むと、村人たちの驚きの声が一斉に広がった。誰もが、公爵が自ら市に現れたことに目を疑っていた。
彼は私の並べた薬草をひとつひとつ手に取り、香りを確かめていった。
「乾燥の仕方が絶妙だ。香りが失われていない」
「ありがとうございます。工夫しているつもりですが……」
「いや、つもりではない。確かな腕だ」
褒められた瞬間、周囲の視線が私に集まった。今までただの薬草売りとしてしか見られなかった私を、誰もが新しい目で見ている。それがくすぐったくもあり、誇らしくもあった。
アルディスはやがて、束ねたラベンダーを手に取り、銀貨を数枚置いた。
「これは私が買おう」
「えっ、でも……」
「値段のことではない。君の草に、それだけの価値がある」
硬貨が陽に輝き、私の胸にまで温かさが広がった。周囲からは驚きと羨望の声が上がる。私は思わず、視線を落として赤くなる頬を隠した。
市はその後も続いたが、私の屋台には途切れなく人が訪れるようになった。アルディスが認めたというだけで、人々は急に関心を持ち始めたのだ。私は忙しさに追われながらも、彼の灰色の瞳がずっとそばにある気がして、不思議な安心感に包まれていた。
夕暮れどき、広場の喧騒が収まるころ。私の木箱の上には、ほとんど薬草が残っていなかった。袋の軽さを手に感じながら、私は深く息を吐いた。そのとき、背後から低い声が響いた。
「よく頑張ったな」
振り返ると、アルディスが立っていた。光を失いつつある空の下、その姿は落ち着きと威厳をまとっていた。
「今日の市は、君にとって大きな一歩だった」
「……そうかもしれません。みんなが、急に私を見てくれるようになって」
「君の価値を、誰よりも私が先に知っていた。ただそれだけのことだ」
その言葉に胸が震えた。私は目を伏せ、溢れそうになる感情を押しとどめる。だが、心はすでに彼の言葉に縛られていた。
夕暮れの風が吹き抜け、薬草の香りをさらっていった。私は小さな木箱を抱え、彼と並んで歩き出した。森への帰り道が、これほど心強く感じられたことはなかった。
△
森へ戻る道を並んで歩きながら、私は胸の奥でざわめきを抑えられずにいた。市で交わされた視線、囁かれた噂、そしてアルディスが私の草を買い上げてくれたこと。そのすべてが、これまでの孤独な暮らしを一変させるほどの出来事だった。夕陽が木々の隙間から差し込み、彼の横顔を金色に照らしていた。歩調を合わせてくれる音が、心地よい伴奏のように続いていた。
やがて小川のせせらぎが近づき、森の中に柔らかな水音が広がる。彼は立ち止まり、馬を休ませると、私に向き直った。
「市での君は見事だった。堂々と人々と向き合い、草を語り、笑みを向けていた。……その姿を見て、私は誇らしかった」
「誇らしいだなんて……私はただ必死に売ろうとしていただけです」
「必死さもまた、美しいものだ。君の手が育てた草を、誰もが認め始めている」
彼の声音には偽りがなく、私は胸を押さえながら俯いた。心臓が強く打ち、言葉が喉でほどけてしまう。
荷物を下ろして一息つくと、アルディスは布袋からいくつかの草を取り出した。小さな銀のナイフで茎を整え、葉を摘み取る。
「今夜は試してみたい調合がある。リオナ、君も一緒に味わってくれないか」
「……私も、ですか?」
「もちろんだ。君の舌と心が必要なんだ」
まっすぐに見つめられると、拒む言葉など浮かばなかった。私は小さくうなずき、泉のほとりに腰を下ろした。
湯を沸かし、彼が摘んだセージと私の持参したカモミールを一緒に落とす。湯気が立ち上り、夜気に混じると、まるで森全体が深い眠りに包まれるような香りが広がった。
「ほら、飲んでみて」
差し出されたカップを受け取り、そっと唇を触れさせる。舌の上に広がるのは、落ち着きと甘さ、そしてほのかな苦味。胸の奥のざわつきまで鎮められるようだった。
「……すごい。心が落ち着くのに、目は冴えるような……」
「そう、昼の疲れを癒やしつつ、夜の語らいを深める。私の好きな調合なんだ」
アルディスは満足げに笑み、火の揺らぎを見つめた。
「リオナ。君はこれからどうしたい?」
唐突に問われ、私は言葉を失った。どうしたい、そんなこと考えたこともなかった。これまでは、ただ生き延びることだけで精一杯だったのだ。
「私は……ただ、草と一緒に生きられれば。それで……」
言いかけると、彼が優しく遮った。
「それでいい。大切なのは望みの形ではなく、望みを持つことだ。君は草を愛し、草も君を生かしている。それは誰にも奪えない絆だ」
その言葉が胸に染み入り、瞳の奥が熱くなる。私は慌ててカップを持ち直し、湯気に顔を隠した。
夜が深まり、森は静けさに包まれた。月の光が水面に揺れ、二人の影を淡く重ねる。言葉少なに座っているだけで、不思議と心が満たされていった。やがてアルディスが静かに立ち上がり、馬のたてがみを撫でながら言った。
「今日はここまでにしよう。君の小屋まで送る」
「ありがとうございます。でも……ご迷惑では」
「迷惑ではない。むしろ、そうすることで私が安心できる」
その一言に心臓が跳ね、胸が熱くなった。
小屋までの道を並んで歩きながら、私は思った。彼と過ごす時間は、草の香りのように心にしみ込み、静かに私を変えていく。昨日までの孤独は、もう遠い記憶になりつつあった。
◇
小屋に戻るころには、月が高く昇っていた。藁葺きの屋根に銀色の光が降り注ぎ、壁に吊るしたハーブの束が影を落としている。私は扉を開き、ランプに火を灯した。温かな橙の光が部屋に広がり、外の冷たい月明かりと溶け合って、不思議な静けさを作り出す。アルディスは入り口で外套を脱ぎ、しばし部屋の中を眺めていた。
「やはり、いい場所だ。君が大切に育てた草が、ここを守っている」
「……ありがとうございます」
彼にそう言われると、粗末な小屋でさえ宝物のように見えてくる。私は木の卓に残っていた草を並べ、湯を沸かした。カップを二つ用意する手元が、緊張で少し震えていた。
火の上で水が沸き、白い湯気が立ち上る。私はカモミールを一つまみ、そこにボリジの花びらを散らした。金と青が混ざり、光を受けて淡い紫に変わっていく。アルディスは目を細め、その色合いを楽しむように見つめていた。
「色の移ろいは、まるで心のようだな。君の心も、今日、市で輝いていた」
「そんな……ただ必死だっただけです」
「必死であることを恥じる必要はない。あの場にいた誰もが、君の草と笑顔に力をもらっていた」
真っ直ぐな声に、胸が熱くなった。私は言葉を返せず、カップを差し出した。
二人で椅子に腰を下ろし、静かに茶を啜る。外では夜風が木々を揺らし、草の束がかすかに音を立てた。香りが部屋に満ちるたび、心の奥が柔らかく解けていく。やがて、彼が穏やかな声で口を開いた。
「リオナ。今日、君を見ていて確信したことがある」
「……何でしょう」
「君の歩む道は孤独ではない。草を愛し、草に愛されるその手は、必ず人々に必要とされる」
その言葉に、涙がにじみそうになった。今まで誰からも認められず、追い出された自分が、ここでようやく居場所を見つけたような気がした。
私は視線を落とし、指でカップの縁をなぞった。
「……そんなふうに言ってくださるのは、アルディス様だけです」
「名で呼んでほしい。昨日も言ったはずだ」
「……アルディス」
その名を口にした瞬間、灰色の瞳が柔らかく細められた。胸の奥で小さな灯がともり、頬が赤く熱を帯びる。
やがて夜も更け、彼は立ち上がった。外套を羽織り、扉の前で振り返る。
「また訪れるよ。次は君のおすすめの調合を、もっと教えてほしい」
「はい……ぜひ」
答える声は小さく震えていたが、確かな喜びがそこにあった。
扉を閉めると、残された部屋には草の香りと余韻だけが漂っていた。窓の外には星々が瞬き、静かな夜が広がっている。私は胸に手を当て、深く息を吸った。孤独に沈んでいた日々は、もう過去になりつつある。
ランプの灯を落とし、藁布団に横たわる。まぶたを閉じると、灰色の瞳と微笑みが浮かんだ。心は静かに、しかし確かに高鳴り続けていた。
〇
翌朝、私は荷をまとめていた。布袋に乾かした薬草を詰め込み、肩にかける。今日は週に一度の市の日。村人や旅人が集まって物々交換をする大事な日だった。わずかな収入源であり、私にとっては生きていくための糧そのものだ。扉を開けると、朝露の冷たさが頬に触れ、森の奥から鳥の声が重なり合って届いてきた。
小道を歩く間、頭の片隅には昨日のアルディスの姿が焼きついていた。灰色の瞳、微笑んだときの柔らかさ、そして「友人」と名乗ったこと。思い出すたびに胸が高鳴り、肩の袋が軽くなるように感じられた。だが同時に、あれほどの人がどうして私に歩み寄ってくれるのか、理解できずに戸惑いもあった。
村の広場に着くと、すでに人々の声が飛び交っていた。農家の人々はかごいっぱいの野菜を並べ、旅の商人は布や飾りを売り歩いている。私は小さな木箱に布を広げ、その上に薬草を束ねて並べた。乾燥させたミント、カモミール、タイム……香りが風に乗って漂い、近くを通る人々が足を止める。
「リオナ、今日は元気そうだな」
顔なじみの老婆が声をかけてくれた。
「はい。おかげさまで」
「このカモミール、孫の眠りに効くんだ。今日も分けてもらうよ」
私は微笑みながら小さな袋に詰め、代わりに卵を受け取った。こうして暮らしは細々と続いていく。
昼近く、広場のざわめきが急に変わった。人々が道を開け、馬の蹄の音が近づいてくる。目を向けると、昨日の青い外套が視界に飛び込んできた。アルディスだった。村人たちはざわつき、誰もが驚きと緊張を隠せない様子で彼を見つめている。私は慌てて立ち上がり、胸がどきどきと騒いだ。
「リオナ」
彼は広場の真ん中で私を見つけ、真っ直ぐに歩み寄ってきた。灰色の瞳が揺らぐことなく、ただ一人を射抜いている。その視線に周囲のざわめきが遠のき、鼓動の音だけが響いた。
「よかった、ここにいた」
「……アルディス様、どうして」
「市の日だと聞いたから。君の草を見てみたかった」
そう言って微笑むと、村人たちの驚きの声が一斉に広がった。誰もが、公爵が自ら市に現れたことに目を疑っていた。
彼は私の並べた薬草をひとつひとつ手に取り、香りを確かめていった。
「乾燥の仕方が絶妙だ。香りが失われていない」
「ありがとうございます。工夫しているつもりですが……」
「いや、つもりではない。確かな腕だ」
褒められた瞬間、周囲の視線が私に集まった。今までただの薬草売りとしてしか見られなかった私を、誰もが新しい目で見ている。それがくすぐったくもあり、誇らしくもあった。
アルディスはやがて、束ねたラベンダーを手に取り、銀貨を数枚置いた。
「これは私が買おう」
「えっ、でも……」
「値段のことではない。君の草に、それだけの価値がある」
硬貨が陽に輝き、私の胸にまで温かさが広がった。周囲からは驚きと羨望の声が上がる。私は思わず、視線を落として赤くなる頬を隠した。
市はその後も続いたが、私の屋台には途切れなく人が訪れるようになった。アルディスが認めたというだけで、人々は急に関心を持ち始めたのだ。私は忙しさに追われながらも、彼の灰色の瞳がずっとそばにある気がして、不思議な安心感に包まれていた。
夕暮れどき、広場の喧騒が収まるころ。私の木箱の上には、ほとんど薬草が残っていなかった。袋の軽さを手に感じながら、私は深く息を吐いた。そのとき、背後から低い声が響いた。
「よく頑張ったな」
振り返ると、アルディスが立っていた。光を失いつつある空の下、その姿は落ち着きと威厳をまとっていた。
「今日の市は、君にとって大きな一歩だった」
「……そうかもしれません。みんなが、急に私を見てくれるようになって」
「君の価値を、誰よりも私が先に知っていた。ただそれだけのことだ」
その言葉に胸が震えた。私は目を伏せ、溢れそうになる感情を押しとどめる。だが、心はすでに彼の言葉に縛られていた。
夕暮れの風が吹き抜け、薬草の香りをさらっていった。私は小さな木箱を抱え、彼と並んで歩き出した。森への帰り道が、これほど心強く感じられたことはなかった。
△
森へ戻る道を並んで歩きながら、私は胸の奥でざわめきを抑えられずにいた。市で交わされた視線、囁かれた噂、そしてアルディスが私の草を買い上げてくれたこと。そのすべてが、これまでの孤独な暮らしを一変させるほどの出来事だった。夕陽が木々の隙間から差し込み、彼の横顔を金色に照らしていた。歩調を合わせてくれる音が、心地よい伴奏のように続いていた。
やがて小川のせせらぎが近づき、森の中に柔らかな水音が広がる。彼は立ち止まり、馬を休ませると、私に向き直った。
「市での君は見事だった。堂々と人々と向き合い、草を語り、笑みを向けていた。……その姿を見て、私は誇らしかった」
「誇らしいだなんて……私はただ必死に売ろうとしていただけです」
「必死さもまた、美しいものだ。君の手が育てた草を、誰もが認め始めている」
彼の声音には偽りがなく、私は胸を押さえながら俯いた。心臓が強く打ち、言葉が喉でほどけてしまう。
荷物を下ろして一息つくと、アルディスは布袋からいくつかの草を取り出した。小さな銀のナイフで茎を整え、葉を摘み取る。
「今夜は試してみたい調合がある。リオナ、君も一緒に味わってくれないか」
「……私も、ですか?」
「もちろんだ。君の舌と心が必要なんだ」
まっすぐに見つめられると、拒む言葉など浮かばなかった。私は小さくうなずき、泉のほとりに腰を下ろした。
湯を沸かし、彼が摘んだセージと私の持参したカモミールを一緒に落とす。湯気が立ち上り、夜気に混じると、まるで森全体が深い眠りに包まれるような香りが広がった。
「ほら、飲んでみて」
差し出されたカップを受け取り、そっと唇を触れさせる。舌の上に広がるのは、落ち着きと甘さ、そしてほのかな苦味。胸の奥のざわつきまで鎮められるようだった。
「……すごい。心が落ち着くのに、目は冴えるような……」
「そう、昼の疲れを癒やしつつ、夜の語らいを深める。私の好きな調合なんだ」
アルディスは満足げに笑み、火の揺らぎを見つめた。
「リオナ。君はこれからどうしたい?」
唐突に問われ、私は言葉を失った。どうしたい、そんなこと考えたこともなかった。これまでは、ただ生き延びることだけで精一杯だったのだ。
「私は……ただ、草と一緒に生きられれば。それで……」
言いかけると、彼が優しく遮った。
「それでいい。大切なのは望みの形ではなく、望みを持つことだ。君は草を愛し、草も君を生かしている。それは誰にも奪えない絆だ」
その言葉が胸に染み入り、瞳の奥が熱くなる。私は慌ててカップを持ち直し、湯気に顔を隠した。
夜が深まり、森は静けさに包まれた。月の光が水面に揺れ、二人の影を淡く重ねる。言葉少なに座っているだけで、不思議と心が満たされていった。やがてアルディスが静かに立ち上がり、馬のたてがみを撫でながら言った。
「今日はここまでにしよう。君の小屋まで送る」
「ありがとうございます。でも……ご迷惑では」
「迷惑ではない。むしろ、そうすることで私が安心できる」
その一言に心臓が跳ね、胸が熱くなった。
小屋までの道を並んで歩きながら、私は思った。彼と過ごす時間は、草の香りのように心にしみ込み、静かに私を変えていく。昨日までの孤独は、もう遠い記憶になりつつあった。
◇
小屋に戻るころには、月が高く昇っていた。藁葺きの屋根に銀色の光が降り注ぎ、壁に吊るしたハーブの束が影を落としている。私は扉を開き、ランプに火を灯した。温かな橙の光が部屋に広がり、外の冷たい月明かりと溶け合って、不思議な静けさを作り出す。アルディスは入り口で外套を脱ぎ、しばし部屋の中を眺めていた。
「やはり、いい場所だ。君が大切に育てた草が、ここを守っている」
「……ありがとうございます」
彼にそう言われると、粗末な小屋でさえ宝物のように見えてくる。私は木の卓に残っていた草を並べ、湯を沸かした。カップを二つ用意する手元が、緊張で少し震えていた。
火の上で水が沸き、白い湯気が立ち上る。私はカモミールを一つまみ、そこにボリジの花びらを散らした。金と青が混ざり、光を受けて淡い紫に変わっていく。アルディスは目を細め、その色合いを楽しむように見つめていた。
「色の移ろいは、まるで心のようだな。君の心も、今日、市で輝いていた」
「そんな……ただ必死だっただけです」
「必死であることを恥じる必要はない。あの場にいた誰もが、君の草と笑顔に力をもらっていた」
真っ直ぐな声に、胸が熱くなった。私は言葉を返せず、カップを差し出した。
二人で椅子に腰を下ろし、静かに茶を啜る。外では夜風が木々を揺らし、草の束がかすかに音を立てた。香りが部屋に満ちるたび、心の奥が柔らかく解けていく。やがて、彼が穏やかな声で口を開いた。
「リオナ。今日、君を見ていて確信したことがある」
「……何でしょう」
「君の歩む道は孤独ではない。草を愛し、草に愛されるその手は、必ず人々に必要とされる」
その言葉に、涙がにじみそうになった。今まで誰からも認められず、追い出された自分が、ここでようやく居場所を見つけたような気がした。
私は視線を落とし、指でカップの縁をなぞった。
「……そんなふうに言ってくださるのは、アルディス様だけです」
「名で呼んでほしい。昨日も言ったはずだ」
「……アルディス」
その名を口にした瞬間、灰色の瞳が柔らかく細められた。胸の奥で小さな灯がともり、頬が赤く熱を帯びる。
やがて夜も更け、彼は立ち上がった。外套を羽織り、扉の前で振り返る。
「また訪れるよ。次は君のおすすめの調合を、もっと教えてほしい」
「はい……ぜひ」
答える声は小さく震えていたが、確かな喜びがそこにあった。
扉を閉めると、残された部屋には草の香りと余韻だけが漂っていた。窓の外には星々が瞬き、静かな夜が広がっている。私は胸に手を当て、深く息を吸った。孤独に沈んでいた日々は、もう過去になりつつある。
ランプの灯を落とし、藁布団に横たわる。まぶたを閉じると、灰色の瞳と微笑みが浮かんだ。心は静かに、しかし確かに高鳴り続けていた。
133
あなたにおすすめの小説
婚約者は冷酷宰相様。地味令嬢の私が政略結婚で嫁いだら、なぜか激甘溺愛が待っていました
春夜夢
恋愛
私はずっと「誰にも注目されない地味令嬢」だった。
名門とはいえ没落しかけの伯爵家の次女。
姉は美貌と才覚に恵まれ、私はただの飾り物のような存在。
――そんな私に突然、王宮から「婚約命令」が下った。
相手は、王の右腕にして恐れられる冷酷宰相・ルシアス=ディエンツ公爵。
40を目前にしながら独身を貫き、感情を一切表に出さない男。
(……なぜ私が?)
けれど、その婚約は国を揺るがす「ある計画」の始まりだった。
至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます
下菊みこと
恋愛
至って普通の女子高生でありながら事故に巻き込まれ(というか自分から首を突っ込み)転生した天宮めぐ。転生した先はよく知った大好きな恋愛小説の世界。でも主人公ではなくほぼ登場しない脇役姫に転生してしまった。姉姫は優しくて朗らかで誰からも愛されて、両親である国王、王妃に愛され貴公子達からもモテモテ。一方自分は妾の子で陰鬱で誰からも愛されておらず王位継承権もあってないに等しいお姫様になる予定。こんな待遇満足できるか!羨ましさこそあれど恨みはない姉姫さまを守りつつ、目指せ隣国の王太子ルート!小説家になろう様でも「主人公気質なわけでもなく恋愛フラグもなければ死亡フラグに満ち溢れているわけでもない至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます」というタイトルで掲載しています。
【完結】戸籍ごと売られた無能令嬢ですが、子供になった冷徹魔導師の契約妻になりました
水都 ミナト
恋愛
最高峰の魔法の研究施設である魔塔。
そこでは、生活に不可欠な魔導具の生産や開発を行われている。
最愛の父と母を失い、継母に生家を乗っ取られ居場所を失ったシルファは、ついには戸籍ごと魔塔に売り飛ばされてしまった。
そんなシルファが配属されたのは、魔導具の『メンテナンス部』であった。
上層階ほど尊ばれ、難解な技術を必要とする部署が配置される魔塔において、メンテナンス部は最底辺の地下に位置している。
貴族の生まれながらも、魔法を発動することができないシルファは、唯一の取り柄である周囲の魔力を吸収して体内で中和する力を活かし、日々魔導具のメンテナンスに従事していた。
実家の後ろ盾を無くし、一人で粛々と生きていくと誓っていたシルファであったが、
上司に愛人になれと言い寄られて困り果てていたところ、突然魔塔の最高責任者ルーカスに呼びつけられる。
そこで知ったルーカスの秘密。
彼はとある事件で自分自身を守るために退行魔法で少年の姿になっていたのだ。
元の姿に戻るためには、シルファの力が必要だという。
戸惑うシルファに提案されたのは、互いの利のために結ぶ契約結婚であった。
シルファはルーカスに協力するため、そして自らの利のためにその提案に頷いた。
所詮はお飾りの妻。役目を果たすまでの仮の妻。
そう覚悟を決めようとしていたシルファに、ルーカスは「俺は、この先誰でもない、君だけを大切にすると誓う」と言う。
心が追いつかないまま始まったルーカスとの生活は温かく幸せに満ちていて、シルファは少しずつ失ったものを取り戻していく。
けれど、継母や上司の男の手が忍び寄り、シルファがようやく見つけた居場所が脅かされることになる。
シルファは自分の居場所を守り抜き、ルーカスの退行魔法を解除することができるのか――
※他サイトでも公開しています
【完結】生贄にされた私が竜王陛下に溺愛されて、陥れた妹たちにざまぁしたら、幸せすぎて困ってます
深山きらら
恋愛
読書好きでおとなしい伯爵令嬢アリアーナは、義妹セリーナの陰謀で「問題児」の烙印を押され、竜王への生贄に選ばれてしまう。死を覚悟して竜の山を登ったアリアーナだったが、竜王ザイフリートは彼女を食べるどころか、城で保護してくれた。千年孤独に生きてきた竜王は、純粋なアリアーナに心を開き、やがて二人は愛し合うように。
聖獣使い唯一の末裔である私は追放されたので、命の恩人の牧場に尽力します。~お願いですから帰ってきてください?はて?~
雪丸
恋愛
【あらすじ】
聖獣使い唯一の末裔としてキルベキア王国に従事していた主人公”アメリア・オルコット”は、聖獣に関する重大な事実を黙っていた裏切り者として国外追放と婚約破棄を言い渡された。
追放されたアメリアは、キルベキア王国と隣の大国ラルヴァクナ王国の間にある森を彷徨い、一度は死を覚悟した。
そんな中、ブランディという牧場経営者一家に拾われ、人の温かさに触れて、彼らのために尽力することを心の底から誓う。
「もう恋愛はいいや。私はブランディ牧場に骨を埋めるって決めたんだ。」
「羊もふもふ!猫吸いうはうは!楽しい!楽しい!」
「え?この国の王子なんて聞いてないです…。」
命の恩人の牧場に尽力すると決めた、アメリアの第二の人生の行く末はいかに?
◇◇◇
小説家になろう、カクヨムでも連載しています。
カクヨムにて先行公開中(敬称略)
【完結】辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~
深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。
兄にいらないと言われたので勝手に幸せになります
毒島醜女
恋愛
モラハラ兄に追い出された先で待っていたのは、甘く幸せな生活でした。
侯爵令嬢ライラ・コーデルは、実家が平民出の聖女ミミを養子に迎えてから実の兄デイヴィッドから冷遇されていた。
家でも学園でも、デビュタントでも、兄はいつもミミを最優先する。
友人である王太子たちと一緒にミミを持ち上げてはライラを貶めている始末だ。
「ミミみたいな可愛い妹が欲しかった」
挙句の果てには兄が婚約を破棄した辺境伯家の元へ代わりに嫁がされることになった。
ベミリオン辺境伯の一家はそんなライラを温かく迎えてくれた。
「あなたの笑顔は、どんな宝石や星よりも綺麗に輝いています!」
兄の元婚約者の弟、ヒューゴは不器用ながらも優しい愛情をライラに与え、甘いお菓子で癒してくれた。
ライラは次第に笑顔を取り戻し、ベミリオン家で幸せになっていく。
王都で聖女が起こした騒動も知らずに……
役立たずと追放された令嬢ですが、極寒の森で【伝説の聖獣】になつかれました〜モフモフの獣人姿になった聖獣に、毎日甘く愛されています〜
腐ったバナナ
恋愛
「魔力なしの役立たず」と家族と婚約者に見捨てられ、極寒の魔獣の森に追放された公爵令嬢アリア。
絶望の淵で彼女が出会ったのは、致命傷を負った伝説の聖獣だった。アリアは、微弱な生命力操作の能力と薬学知識で彼を救い、その巨大な銀色のモフモフに癒やしを見いだす。
しかし、銀狼は夜になると冷酷無比な辺境領主シルヴァンへと変身!
「俺の命を救ったのだから、君は俺の永遠の所有物だ」
シルヴァンとの契約結婚を受け入れたアリアは、彼の強大な力を後ろ盾に、冷徹な知性で王都の裏切り者たちを周到に追い詰めていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる