実家を追い出され、薬草売りをして糊口をしのいでいた私は、薬草摘みが趣味の公爵様に見初められ、毎日二人でハーブティーを楽しんでいます

さら

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第31話 夜空の下の誓い

 診療所を後にした私とアルディスは、石畳の通りをゆっくり歩いていた。夜風は涼しく、籠の中の草がかすかに揺れて香りを放つ。昼間の喧騒が嘘のように町は静まり返り、遠くの鐘の音が低く響いていた。

「リオナ」
 隣から名前を呼ばれ、私は足を止めた。灰色の瞳が月明かりに照らされ、やさしく揺れている。
「君が今日ここまで歩んできたことを、私は誰よりも知っている。村を追われ、ただ生きるために草を摘んでいた娘が、今は町の人々に希望を与えている」

 その言葉に胸が熱くなり、視界がかすむ。思い返せば、絶望に沈んだ日もあった。けれど今は――。
「……怖くて仕方ないときもあります。でも、誰かの笑顔を見ると、その怖さを忘れてしまうんです」
「それでいい。恐れを知りながらも進むことが、君を強くしている」

 月明かりに照らされる草原の香りが、なぜかここにも漂っている気がした。私は籠を抱きしめ、夜空を仰ぐ。星がいくつも瞬き、まるで未来への道を指し示しているかのようだった。

「……アルディス。私、誓います。薬草師として、人々の願いに寄り添い続けると」
 その声は夜空に吸い込まれ、星々の光に包まれた。

 アルディスはしばし私を見つめ、やがて静かに笑った。
「その誓いは必ず果たせる。私は君の隣にいる。ずっと」

 灰色の瞳に映る自分の姿が、確かに未来へ歩む薬草師リオナであることを告げていた。

 ――夜空の下、私の心には揺るぎない灯がともっていた。



 宿に戻ると、窓から夜の風が吹き込み、室内の灯が小さく揺れた。机の上に籠を置き、私はそっと腰を下ろす。今日一日の出来事が胸に積もり、心臓の鼓動がまだ落ち着かない。侯爵家での奇跡、議会での言葉、医師の敬意――そのすべてが胸の奥でひとつに繋がっていく。

「眠れそうか」
 背後からアルディスの声がした。私は振り返り、灰色の瞳を見つめる。
「……わかりません。嬉しいのに、責任の重さで胸がいっぱいで」
「その重さは君が背負えるからこそ与えられた。君が歩んできた証でもある」

 言葉を聞いた瞬間、胸の奥が震えた。私は窓辺に立ち、夜空を仰ぐ。雲の切れ間から星々が瞬き、月の光が静かに町を照らしている。

「アルディス。もし私が迷ったら……もし進む道を見失ったら……」
 言いかけたとき、彼は一歩近づき、私の肩に手を置いた。
「そのときは私が隣で支える。君が草を摘む理由を忘れぬように」

 肩に伝わる温もりが、胸の奥の不安をやわらげていく。私は深く息を吸い、夜空に向かって小さく呟いた。
「……私、逃げません。薬草師として、人々のために歩み続けます」

 静寂の中で星の光がきらめき、その誓いを見守るかのようだった。

 アルディスが微笑みを浮かべ、低く告げる。
「それでいい。君の歩む道は、もう揺らぐことはない」

 窓から吹き込む風が草の香りを運び、私はその香りに包まれながら目を閉じた。――夜空の下、心に刻んだ誓いは確かな力となって息づいていた。



 深夜、宿の外に出ると、町はすっかり眠りについていた。石畳には月光が淡く降り注ぎ、家々の影が静かに伸びている。遠くで犬が吠える声がしたが、それもすぐに途切れ、世界はただ星の瞬きだけを残していた。

 私は籠を胸に抱きしめ、夜空を仰いだ。数えきれないほどの星々が頭上に散りばめられ、流れるような光の帯を描いている。その光を見ていると、不思議と心の奥のざわめきが鎮まっていった。

「リオナ」
 背後から声がして振り返ると、アルディスが月明かりに照らされて立っていた。灰色の瞳は星々を映し、深い静けさを湛えている。
「君はもう、ただの娘ではない。薬草師として名を刻み、人々に希望を与えている」
「……それでも、私はまだ怖いです。失敗したら、人々を裏切ってしまうのではないかと」
「恐れを抱きながらも歩みを止めぬ者こそ、真に強い。君はその道を選んでいる」

 その言葉に胸が熱くなり、私は目を閉じて深く息を吸った。草の香りが風に混じり、肺の奥まで広がっていく。心臓の鼓動が静かに整い、恐れの影が少しずつ溶けていった。

「……私、誓います。どんなに恐れても、人々に寄り添い続ける薬草師であることを」
 声は夜空に吸い込まれ、星々の光に抱かれるように消えていった。

 アルディスがそっと近づき、肩に手を置いた。
「その誓いは決して消えない。君が草を摘み続ける限り、私は隣で見守ろう」

 灰色の瞳に映る自分の姿が、確かに薬草師リオナであることを告げていた。

 ――夜空の下で交わされた誓いは、未来を照らす灯となり、私の胸に永遠に息づいていった。



第32話 季節の草を求めて

 春から初夏へと季節が移ろう頃、町の空気は新しい花々の香りに満ちていた。市場に並ぶ草の種類も少しずつ変わり、旅人たちの求めるものも多様になってきている。私は籠を抱えながら、人々の声に耳を澄ませていた。

「咳が長引いてしまって……」
「子どもが夜泣きして眠れないのです」
「旅で疲れ切っていて、足が重くて……」

 一つひとつに応えるように草を選び、煎じ方を丁寧に伝える。草の香りが市場に広がるたび、人々の表情が和らいでいくのがわかる。その光景に、胸が静かに温まった。

 けれど同時に、私の中には小さな焦りも芽生えていた。今の草だけでは足りない。季節ごとに異なる効能を持つ草をもっと知り、もっと使いこなせるようにならなければ。

「アルディス。……私、町を離れて新しい草を探しに行きたいです」
 その言葉に、彼は驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかな笑みを浮かべた。
「ようやく君の口から聞けたな。その決意を待っていた」

 灰色の瞳が確かに光り、未来を照らしているように見えた。私は籠を抱きしめ、小さく息を吸い込む。胸の奥で芽生えた思いは、確かな願いへと変わっていく。

 ――もっと多くの草を知り、人々のために役立てたい。薬草師としての道は、ここからさらに広がっていくのだ。



 私は市場を抜け、町の外れに広がる丘へと足を運んだ。そこには野花が咲き乱れ、春から初夏へと移ろう季節の息吹が満ちていた。土の香りと草の匂いが混じり合い、胸いっぱいに吸い込むと不思議と力が湧いてくる。

 しゃがみ込み、見慣れぬ葉を指で撫でる。柔らかく、少し苦みを含んだ香りがした。煎じれば熱を下げ、葉をすり潰せば虫刺されに効きそうだ。胸が高鳴り、思わず籠に摘み取った。

「……リオナの目は確かだな」
 背後からアルディスが声をかける。振り向けば、彼もまた手に草を握りしめていた。
「これはタイムに似ているが、香りが少し違う。混ぜれば喉を守る力が強まるだろう」
 彼の言葉に私は目を見開いた。
「アルディス、草のことも……」
「長年の趣味だ。君ほどではないがな」

 その笑みに胸が熱くなった。並んで草を摘みながら、言葉を交わす。どの草がどんな土地に育つか、どんな香りが眠りを誘うか。気づけば時間を忘れ、陽は傾き始めていた。

 籠は新しい草でいっぱいになり、心もまた希望で満ちていく。
「これで、もっと多くの人を癒せます」
 呟いた声は、風に乗って遠くまで運ばれていった。

 アルディスは空を見上げ、灰色の瞳を夕日に細める。
「この町に留まらず、他の土地でも君を求める人はいるだろう。……リオナ、道は広がっている」

 その言葉に胸が震えた。恐れと共に、確かな期待が心に芽生える。私は籠を抱きしめ、真っ直ぐに夕陽を見据えた。

 ――薬草師としての道は、まだ始まったばかりなのだ。



 丘を下りるころには、空は茜色から紫へと変わり始めていた。籠の中には見慣れぬ草や初めて摘む花々がぎっしりと詰まり、その香りが道すがら漂ってくる。私は歩きながら何度も籠を覗き込み、胸の奥に広がる期待に頬を緩めた。

「リオナ」
 隣を歩くアルディスが静かに声をかける。
「新しい草を手に入れたときの君は、本当に嬉しそうだ」
「だって……これでまた、もっと多くの人を助けられるんです。知らない草がまだこんなにあって、それを知るたびに世界が広がっていく気がします」
「そのまなざしを失わなければ、君はどこまでも歩んでいける」

 その言葉に、胸がじんと熱くなった。村を追われたあの日、ただ生き延びるために草を摘んでいた自分が、今は人々のために草を摘んでいる。目的も意味も、すべてが変わったのだ。

 町の灯りが見え始めると、籠の中の草が光を受けてきらめいた。私はその光景を見つめ、心の中で静かに誓う。
「……もっと学んで、もっと遠くへ。薬草師として、私の道を広げていきます」

 アルディスが頷き、灰色の瞳が夜空に映える。
「その決意がある限り、君はどこでも輝ける。私はただ隣で見守るだけだ」

 丘を吹き抜ける風がふたりを包み、摘んだ草々の香りを町へと運んでいった。

 ――季節ごとに草は姿を変える。私の道もまた、季節と共に広がり続けるのだ。



第33話 広がる学びの輪

 翌朝、市場に立つと、私の前に並ぶ顔ぶれに少し違いがあることに気づいた。いつもの町人や旅人に混じり、学者風の若者や、診療所の助手らしい姿が見えるのだ。皆が籠の中の草を手に取りながら、真剣な眼差しで耳を傾けている。

「この草は煎じて飲むと咳を和らげます。けれど、量を誤ると逆に体を冷やしてしまうのです」
 そう伝えると、若者たちは熱心に書き留める。以前はただ渡すだけだった草が、今は学びの対象として受け入れられている。その変化に胸が震えた。

「先生、これはどうして眠りを誘うのですか?」
 幼い声に振り返ると、母親に手を引かれた子どもが草を差し出していた。
「香りが心を落ち着けるからよ。夜にお湯で蒸して、枕元に置くといいの」
 答えると、子どもは笑顔を見せて頷いた。その笑みは小さな希望の芽のように輝いていた。

 午後になると、診療所の医師も訪れた。彼は静かに私の話を聞き、時折頷いては助手に合図を送っている。
「草は人を癒す。だが、その力を正しく伝える者が必要だ。……リオナ殿、君こそがその役目を担っている」

 その言葉に胸が熱くなり、私は小さく頭を下げた。

 ――村を追われたただの娘が、今は町で人々に草を教える立場になっている。驚きと誇らしさが入り混じり、未来への道をさらに広げていくのを感じていた。



 夕刻、ひと段落した市場の片隅で、私は広げた布の上に残った草を整理していた。人々が去った後にも数人の若者が残り、熱心に質問を投げかけてくる。

「リオナさん、煎じた後に残る葉はどう使えばいいですか?」
「乾かして枕に入れるといいわ。眠りを助けてくれるから」
「なるほど……」

 彼らの眼差しは真剣そのもので、その姿はまるで弟子のようだった。胸が温かくなると同時に、不思議な責任の重さも感じる。草を伝えることが、人の心に種をまく行為のように思えた。

 そこへ医師が歩み寄り、低く声をかけた。
「リオナ殿。明日、診療所で講義をしていただけぬか。助手や見習いたちが、あなたから学びたいと申している」
「わ、私が……講義を?」
「そうだ。君の言葉は人の耳に届き、心に残る。医術と草の知識を繋ぐ架け橋になってほしい」

 思いもよらぬ頼みに胸が大きく震えた。自分が講義をするなど夢にも思わなかったが、医師の真剣な瞳を前に、逃げることはできないと悟る。

「……はい。できる限り、伝えます」
 その言葉を告げたとき、若者たちが目を輝かせて喜んだ。

 アルディスが少し離れた場所で静かに見守っていた。灰色の瞳が夕陽に照らされ、やわらかく細められている。その眼差しに支えられながら、私は籠を抱きしめた。

 ――学びの輪が広がろうとしている。薬草師としての歩みが、また新しい段階へと進もうとしていた。



 翌日、診療所の広間には十数名の見習いや助手たちが集まっていた。窓から射し込む柔らかな朝の光が床を照らし、皆の眼差しは期待で輝いている。私は籠を抱えて部屋の中央に立ち、心臓の鼓動が早まるのを感じていた。

「……私は、学問を修めた者ではありません。ただ、草と共に暮らしてきただけです。それでも、誰かを癒したいという思いが私をここまで導いてくれました」

 そう口にすると、広間はしんと静まり返り、全員が真剣に耳を傾けている。私は籠からラベンダーを取り出し、手のひらでそっと揉んだ。香りがふわりと広がり、部屋の空気が柔らかく変わっていく。

「眠りを助ける草です。けれど、ただ煎じるだけでなく、人に寄り添うように使うことが大切です。香りを枕元に置くだけでも、心は和らぎます」

 見習いたちは一斉に頷き、熱心に書き留める。その姿に胸が熱くなる。村でひっそりと草を摘んでいた自分が、今はこうして人に知識を伝えている――まるで夢のようだった。

 次にタイムを取り出し、乾いた葉を指で砕いて示す。
「これは呼吸を助けます。けれど、強すぎると喉を痛める。だから量を慎重に」

 医師が横で深く頷き、声を添える。
「君の言葉には重みがある。経験が裏づけとなっているからだ」

 その一言に胸の奥が震えた。私は籠を抱きしめ、小さく微笑む。

 ――学びの輪は、確かに広がっている。草の香りと共に、人々の心へと届いていくのだ。



第34話 弟子たちの芽吹き

 診療所での講義から数日が経つと、市場に立つ私の前に、見習いたちの姿が頻繁に見られるようになった。彼らは草を選ぶ私の手元を熱心に観察し、時に質問を投げかけてくる。

「先生、この草は煎じて飲む以外に使い道はありますか?」
「ええ。湿布にすれば熱を鎮める力もありますよ」
「なるほど……!」

 若い瞳が輝き、手帳に書き記されていく様子を見ると、胸の奥に温かいものが広がった。まるで草と共に、新しい芽が育っていくのを見守っているようだった。

 午後になると、婦人が診療所の助手を連れてやってきた。彼らは私の指導を受けながら草を選び、婦人に説明を始めた。
「こちらの葉をお湯に浮かべてください。香りが気持ちを落ち着けます」
 まだぎこちないが、その姿に私は思わず笑みをこぼした。

 「弟子たちが君から学んでいる」
 背後でアルディスが呟く。その声には、どこか誇らしげな響きがあった。
「……弟子、ですか。そんな大層なものじゃないですよ」
「いや、君の言葉が人を導いている。それはもう師の役目だ」

 胸の奥がじんと震え、私は小さく息を呑んだ。自分が「師」と呼ばれる日が来るなど、想像すらしていなかった。

 石畳の道を吹き抜ける風が草の香りを運び、人々の笑顔を包み込む。私は籠を抱きしめ、心の中で静かに思った。

 ――薬草師リオナの歩みは、もう自分ひとりのものではない。次の世代へと繋がる芽が、確かに育ち始めていた。



 夕暮れ時、診療所の一室には見習いたちが集まっていた。机の上には乾かした草が並べられ、窓から射す橙色の光が彼らの真剣な横顔を照らしている。私は籠を傍らに置き、草の一つを手に取って示した。

「この葉は煎じれば熱を下げますが、体を冷やしすぎることもあります。ですから、必ず温かい飲み物と一緒に……」
 話す声に、見習いたちは一斉に頷き、紙に走らせる筆の音が部屋を満たした。

 ある若者が手を挙げ、少し緊張した様子で尋ねる。
「先生……僕たちは、いつかあなたのように人を癒せるでしょうか」
 思わぬ問いに胸が震えた。私は草を握りしめ、言葉を選ぶように口を開く。
「ええ、必ず。大切なのは草を知ること以上に、人の心に寄り添うことです。草はそれを助けてくれるだけ。人を癒すのは、あなたたち自身の思いですよ」

 部屋に沈黙が広がり、やがて若者の頬に光が差した。希望の灯がともるようなその表情に、私の胸もじんわりと熱くなる。

 窓の外では星が瞬き始め、夜の帳が静かに降りていた。
「リオナ、君はもう師だ」
 扉の陰から現れたアルディスがそう告げ、灰色の瞳を細めた。

 私は小さく首を振り、けれど微笑みを隠せなかった。――弟子たちの芽は確かに息づき、やがて大きな花を咲かせる。その未来を信じる気持ちが、私をさらに前へと押し出していた。



 講義を終えた夜、診療所を出ると、町は静かな灯に包まれていた。石畳を照らす街灯の明かりが、星空と溶け合うように瞬いている。私は胸に籠を抱えながら歩き、背後で響く若者たちの声に耳を澄ませた。

「先生の言葉、忘れないように書き留めておこう」
「いつか自分の草で人を癒したいな」
 そのやり取りが心に深く刻まれ、胸の奥にじんと温かなものが広がる。

 隣を歩くアルディスが、灰色の瞳で夜空を仰ぎながら言った。
「君が撒いた種は、必ず芽吹くだろう。今日の彼らの瞳を見ればわかる」
「……私なんて、まだまだ未熟なのに」
「未熟だと感じているからこそ、君は歩みを止めない。師とはそういうものだ」

 その言葉に、頬が熱くなる。村を追われたあの日の自分を思い出す。あの頃はただ、生きるために草を摘んでいた。だが今は、人の未来に光を灯すために草を摘んでいる。違いは大きく、重みも増していた。

 夜風が草の香りを運び、石畳の上にやさしく流れていく。私は籠を抱きしめ、心の中で静かに誓った。
「……弟子たちの芽が花を咲かせる日まで、私は薬草師であり続けます」

 アルディスが穏やかに頷き、その瞳が星の光を映して輝いた。

 ――弟子たちの芽吹きは、私自身の新しい歩みでもあった。未来は確かに広がり、夜空の下でゆるぎない光となって輝いていた。


第35話 新しい依頼

 翌朝、市場に立つと見慣れない人影が近づいてきた。立派な外套に身を包み、背筋を伸ばして歩くその姿は、ただの町人ではないことを一目で示していた。周囲の人々もざわめき、私に視線を送る。

 男は私の前で立ち止まり、深々と頭を下げた。
「薬草師リオナ殿。私はこの町にある孤児院の世話役をしております。子どもたちの病がなかなか癒えず、どうかお力をお借りできませんか」

 孤児院――その言葉に胸が強く震えた。村を追われ、居場所を失ったあの日の自分が思い出される。子どもたちが病に苦しんでいると想像するだけで、心が痛んだ。

「……私にできることなら、喜んで」
 そう答えると、男の顔に安堵が広がった。

 その場で人々が口々に「さすがリオナさんだ」と囁き合う。けれど私は誇らしさよりも責任の重さを強く感じ、籠を抱きしめていた。

 市場を後にし、アルディスと並んで歩きながら私は呟く。
「子どもたちを救えるでしょうか……」
「君ならできる。恐れるな。あの日、侯爵を癒したときと同じように、君の草は必ず力になる」

 灰色の瞳に支えられ、胸の奥で小さな炎が揺らぎ、力強く燃え上がる。

 ――新しい依頼は、また新しい試練でもあった。けれど私はもう逃げないと、心に誓っていた。



 孤児院は町の外れに建っていた。古びた石造りの建物で、壁はところどころ崩れかけており、屋根の瓦も欠けている。門をくぐると、子どもたちの笑い声が微かに聞こえたが、その中に混じる咳き込む音が耳に残った。胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 世話役の男に導かれて中に入ると、広間には十数人の子どもたちが横たわっていた。痩せた頬、熱に浮かされた顔、小さな手足が布団の中で震えている。幼い子が母を呼ぶようにうわ言を漏らし、その声に私は思わず籠を抱きしめた。

「数日前から熱が広がり、町医者も手を尽くしましたが……」
 世話役の声は苦しげで、目には深い疲労が刻まれていた。
「食欲がなく、水すら受け付けない子もおります。このままでは……」

 私は膝をつき、子どもたちの顔を順に見つめた。肌の赤み、呼吸の荒さ、唇の乾き。症状を確かめながら、頭の中で草の組み合わせを必死に探る。

 アルディスが静かに隣に膝をつき、低く囁いた。
「リオナ。君の目は確かだ。恐れずに」
 その声が胸を支え、私は深く頷いた。

 籠から数束の草を取り出す。熱を鎮める草、喉を潤す草、弱った体に力を戻す実。香りを嗅ぎ分けながら慎重に選び、煎じる準備を始めた。

 湯気と共に広がる香りに、子どもたちが微かに身じろぎした。その姿に胸が熱くなる。

 ――私はここでも人を救う。小さな命を守るために、薬草師としての力を尽くすのだ。



 大鍋に草を入れると、湯気と共に甘くやわらかな香りが広がった。ラベンダーの落ち着いた匂いに、リコリスのほのかな甘さが重なり、そこへカモミールを加えると、部屋全体がやさしい空気に包まれていく。

 私は木の杓子でそっとかき混ぜながら、子どもたちの顔を見渡した。苦しげに咳き込んでいた子の表情が、ほんの少し緩んでいる。小さな手が布団の上で動き、香りに導かれるように落ち着きを取り戻しつつあった。

「できました。少しずつでいいので、口に含ませてください」
 世話役にそう告げ、椀に注いだ薬湯を渡す。まだ熱に浮かされた幼子の唇に匙を近づけると、はじめは拒むように顔をしかめたが、やがて一滴が喉を通った。数呼吸の後、再び匙を口に含ませると、今度は自ら喉を動かす。

 広間に安堵の気配が広がり、世話役が声を震わせた。
「……飲んでいる……」

 他の子どもたちにも順に薬湯を与えていくと、次第に呼吸の荒さが和らぎ、布団の中で静かに眠りにつく姿が増えていった。

 私は深く息を吐き、籠を胸に抱えた。額に滲んだ汗がひんやりと冷え、心には確かな温もりが残る。

 アルディスが傍らで低く言った。
「リオナ。君はまた、小さな命を救った」

 その言葉に、胸の奥がじんと震えた。村を追われ、何もできないと思っていた自分が、今はこうして未来を抱く子どもたちを支えている――その事実が、恐れよりも大きな力となって心に刻まれていった。

 窓の外では夜の風が吹き抜け、草の香りを町へと運んでいた。



第36話 子どもたちの笑顔

 翌朝、孤児院を訪れると、昨日まで布団に伏していた子どもたちが、広間の床を駆け回っていた。まだ体力は戻りきっていないものの、頬には赤みが差し、目はきらきらと輝いている。その光景を目にした瞬間、胸の奥が熱くなり、思わず籠を抱きしめた。

「先生、ありがとう!」
 小さな少女が駆け寄り、私の手を握る。ひんやりしていた手は温かく、力強さが戻っている。
「昨日は苦しかったけど、あの草のお茶を飲んだら眠れたの!」
 その声に広間全体が笑いに包まれ、私の頬にも自然と笑みがこぼれた。

 世話役が深く頭を下げ、目尻を潤ませながら言葉を絞り出す。
「あなたのおかげで子どもたちは救われました。どれほど感謝しても足りません……」
「いえ、草の力が子どもたちを助けてくれただけです。私はほんの少し、そのお手伝いをしたにすぎません」

 そう告げながらも、胸の奥には確かな誇りが芽生えていた。薬草師として歩んできた日々が、こうして小さな命につながっている。その事実が何よりも嬉しかった。

 部屋の隅では、まだ寝ている子に毛布をかける見習いの姿がある。彼らもまた、草の力を学び、誰かを支えようとしているのだ。その成長を目にして、私は心の中で小さく頷いた。

 ――薬草師リオナとしての道は、町の人々だけでなく、未来を担う子どもたちへも広がり始めていた。



 子どもたちの笑い声に包まれる孤児院の広間は、昨日までの重苦しい空気が嘘のようだった。机の上には乾いたパンと薄いスープが並び、子どもたちは頬をほころばせながらそれを口にしている。まだ痩せた体つきではあるが、食欲が戻ったことが何よりの証だった。

「リオナ先生、これ!」
 小さな男の子が折り紙のように折りたたんだ紙切れを差し出した。広げてみると、不器用な草花の絵が描かれている。
「昨日のお茶、すごく美味しかったんだ! これ、ありがとうの絵!」
 胸の奥が熱くなり、言葉が喉に詰まった。私はただ微笑んで頷き、彼の頭を撫でた。

 その様子を見ていたアルディスが、灰色の瞳を細めて静かに告げる。
「子どもたちの笑顔は、君の草が生み出したものだ」
「……違います。草はただの草。でも、彼らが生きようとする力と重なったからこそ」
 そう答えると、アルディスは満足そうに微笑んだ。

 世話役が近づき、深々と頭を下げる。
「この恩は決して忘れません。孤児院は貧しく、礼を尽くすことはできませんが……どうか、これからも子どもたちを見守っていただけますか」
「もちろんです。必要なときには、いつでも草を持って駆けつけます」

 その言葉に世話役の目が潤み、両手を握られた。温かさが伝わり、胸に刻まれる。

 窓の外では、陽光を浴びた花が風に揺れていた。私は籠を抱きしめ、心の中で静かに誓う。――この笑顔を守り続けるため、薬草師として歩みを止めない、と。



 その日の夕刻、孤児院の庭には子どもたちの笑い声が絶え間なく響いていた。まだ本調子ではない子も多いが、外の空気を吸いたいと願った彼らのために、世話役が椅子や毛布を持ち出していたのだ。

 私は籠から摘んできたミントの葉を取り出し、水に浮かべた桶に入れる。爽やかな香りが風に乗って広がり、子どもたちが歓声をあげた。
「いい匂い!」「すーっとする!」
 無邪気な声に胸が熱くなる。命の危機に瀕していた子たちが、今こうして笑っている。その光景は何よりの報酬だった。

「リオナ先生!」
 ひとりの少女が駆け寄り、小さな首飾りを差し出した。石ころを糸でつないだだけの簡素なものだが、少女の瞳は真剣だった。
「お礼に、これあげる。先生のお守り!」
 思わず胸が詰まり、言葉が出なかった。代わりに首飾りを受け取り、そっと少女の頭を撫でる。
「ありがとう。大切にするわ」

 その光景を少し離れた場所から見ていたアルディスは、穏やかな笑みを浮かべながら歩み寄った。
「君は子どもたちの心にも草を植えたようだな。感謝と信頼という名の種を」
「……そんな立派なことでは」
「いや、事実だ。彼らの笑顔が何よりの証だ」

 沈みゆく夕陽が庭を金色に染め、子どもたちの笑顔を一層輝かせる。私は籠を胸に抱き、心に誓った。

 ――薬草師としての歩みは、人の体だけでなく心をも癒すもの。これからも、この笑顔を守るために生きていく。

 夜の帳が下りる頃、孤児院にともる灯火は暖かく揺れ、未来を照らすように輝いていた。



第37話 広がる縁

 孤児院から戻った翌朝、市場に立つと、昨日まで以上に人々が押し寄せていた。籠の中の草を並べる間もなく、あちこちから声がかかる。

「孤児院の子どもたちが元気になったと聞きました!」
「どうか、うちの娘にも草を分けてください!」
「旅の仲間が熱を出しているんです、助けてください!」

 広間で笑う子どもたちの姿が広まったのだろう。噂の速さに驚きながらも、私は一人ひとりに草を手渡し、使い方を丁寧に伝えた。人々の目は信頼と希望に満ちており、その重みを強く感じる。

 昼を過ぎた頃、商人風の男が姿を現した。豪奢な服を着ており、背後には数人の従者が控えている。
「薬草師リオナ殿。君の草を、ぜひ我が店でも扱わせてほしい。遠くの町にも広めれば、多くの人々が救われよう」

 思わぬ申し出に胸が高鳴った。しかし同時に、不安もよぎる。自分の草が遠くまで届くのは嬉しい。けれど、きちんと伝えなければ誤って使われる危険もある。

 私は少し考え込み、籠を抱きしめながら言葉を選んだ。
「……草は正しく使わなければ、力を失い、時には害にもなります。もし私の草を扱うのなら、必ず人に寄り添う心も一緒に届けてください」

 商人はしばし沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「なるほど……ただの品ではなく、人と共にあるものなのだな。承知した」

 その返答に胸が温かくなり、私は静かに微笑んだ。

 ――草を通して広がる縁は、町を越え、遠くへと続いていくのかもしれない。



 商人とのやり取りを終えると、市場の片隅に人だかりができているのが目に入った。近づくと、先日私の講義に来ていた見習いたちが草を並べ、人々に説明をしていたのだ。

「この草は夜の咳を和らげます。ただし煎じすぎると苦味が出るので注意を」
「こちらは疲労回復に役立ちます。香りを嗅ぐだけでも気分が軽くなりますよ」

 彼らの声はまだ拙いが、一人ひとりに真剣さが宿っている。その姿に胸がじんと熱くなった。市場の人々も熱心に耳を傾け、草を受け取っては笑顔を見せている。

「……もう、弟子たちは立派に歩き出しているのですね」
 呟いた私の隣で、アルディスが頷いた。
「君が植えた芽は、確かに育っている。町は少しずつ変わりつつある」

 市場の賑わいに混じり、孤児院の子どもたちが笑顔で駆け寄ってきた。彼らは小さな花束を抱えており、それを私に差し出す。
「先生、これ! みんなで摘んだんだ!」
 小さな手に託された花は色とりどりに咲き誇り、その香りが心を包み込む。

 私は花束を胸に抱きしめ、静かに微笑んだ。
「ありがとう……私にとって、一番の宝物よ」

 その光景を見守る町の人々の顔も柔らかく、信頼と感謝がそこにあった。

 ――草を通して生まれる縁は、弟子や子どもたちを結び、人々の心をひとつにしていく。私はその真ん中に立ち、薬草師としての道をさらに深く刻んでいくのだと強く感じていた。



 夕暮れの市場は、今日も賑わいの余韻を残していた。石畳に落ちる橙色の影の中で、私は籠を抱えながら立ち尽くしていた。商人との縁、弟子たちの成長、孤児院の子どもたちの笑顔――そのすべてが胸の奥で重なり合い、言葉にできないほどの温もりとなって広がっていた。

「リオナ」
 背後から声がして振り返ると、アルディスが穏やかな表情でこちらを見ていた。灰色の瞳は夕陽を映し、柔らかく輝いている。
「君が摘んだ草は、人と人を結び、町を変え始めている。もう君ひとりの力ではない。縁となり、輪となって広がっている」

 その言葉に胸が震え、視界がにじんだ。かつて居場所を失い、ただ生きるために草を摘んでいた自分が、今はこうして人々を繋げる存在になっている。信じられないほどの変化に、ただ感謝の思いが込み上げる。

「……私は幸せです。怖くても、不安があっても、こうして誰かの役に立てることが」
「その心を忘れるな。恐れも迷いも、君を導く力になる」

 風が吹き、籠の中の草がかすかに揺れた。香りが市場に広がり、人々の笑顔が思い出のように浮かぶ。

 私は胸の奥で静かに誓った。――これから先、町を越え、遠くの土地であっても、この縁を繋ぎ続けていくと。

 夜の帳が下りる頃、石畳に灯りが点り、未来へと続く道をやわらかく照らしていた。



第38話 旅立ちの誘い

 市場での忙しさが一段落したある日、私は診療所の医師に呼ばれていた。広間の机の上には古びた地図が広げられ、赤い印がいくつも記されている。医師は深刻な面持ちでその地図を指差した。

「近隣の村々で、同じような熱病が流行っているらしい。医師だけでは手が足りぬ。……リオナ殿、どうか共に来てはいただけないか」

 胸の奥が大きく揺れた。町を出て他の土地で人を助けるなど、考えたこともなかった。けれど、噂はすでに広まっているのだ。私の草が人を救うと――。

「……私が、ですか」
 声はかすかに震えていた。だが医師の瞳は真剣で、強い決意を宿している。
「君の知識と経験が必要なのだ。子どもたちや老人が苦しんでいる。町を救った君なら、必ず力になれる」

 心臓が早鐘を打つ。恐れと共に、強い使命感が胸に芽生える。私の草が、町を越えて人々を救えるのなら――。

 傍らのアルディスが静かに口を開いた。
「リオナ、決めるのは君だ。だが私はどこまでもついていく」

 灰色の瞳が真っ直ぐに私を見つめ、胸の奥に確かな力を与えてくれる。

 私は籠を抱きしめ、深く息を吸い込んだ。
「……はい。行きます。草と共に、人々のために」

 その言葉は部屋の空気を震わせ、未来への扉を開いた。

 ――薬草師としての新しい旅立ちが、静かに始まろうとしていた。



 医師との約束を交わした後、私は市場を歩きながら胸の奥のざわめきを抑えきれずにいた。籠の中で草が揺れるたびに、まるで「行け」と背を押されているように感じる。町を離れることは不安だ。けれど、あの孤児院で見た子どもたちの笑顔を思い出すと、迷いは小さくなっていった。

 石畳の道を抜け、川辺に出る。夕暮れの光に染まる水面を見つめていると、隣に立ったアルディスが静かに口を開いた。
「君はもう町だけに留まる存在ではない。草の香りは風に乗り、遠くまで届く。君もまた、その香りのように広がっていくべきだ」
「……でも、怖いんです。知らない土地で、人々に受け入れてもらえるのか」
「受け入れてもらえぬかもしれない。だが、君は必ず誰かを救う。それが君だ」

 灰色の瞳に見つめられると、胸の奥がじんわりと温かくなる。恐れと同時に、確かな勇気が生まれるのを感じた。

 ふと川辺で遊ぶ子どもたちの姿が目に入った。石を投げ、はしゃぐ声。その中に、孤児院の子たちの笑顔が重なった。あの笑顔を守りたい――その思いが力となり、心の奥で固く結ばれる。

「アルディス。……私は行きます。草と共に、遠くの人々のもとへ」
 声に迷いはなかった。

 彼は静かに頷き、柔らかく微笑む。
「ならば私も共に行こう。君が歩む道を、隣で見届ける」

 夕陽が沈み、空に星がひとつ瞬いた。それはまるで、新しい旅立ちを祝福する合図のようだった。



 出立の準備を始めたその夜、宿の部屋は草の香りでいっぱいになっていた。籠の中には乾かした葉、煎じやすいように小分けにした束、喉を潤す実や根が整然と並んでいる。どの草を持って行くべきか、どんな土地に必要とされるのかを考えながら手を動かすと、胸の奥が高鳴った。

 ふと手を止めて窓を開けると、夜風が吹き込んできた。遠くに灯る町の明かりが、まるで惜別のように揺れている。ここで過ごした日々が、どれほど私を育ててくれたか――その重みを思うと、胸が切なくなった。

「眠れぬか」
 背後から聞こえた声に振り返ると、アルディスが静かに立っていた。
「はい……町を離れるのが、こんなに寂しいなんて思いませんでした」
「寂しさは絆の証だ。君が人々と心を通わせたからこそだろう」

 彼の言葉に、目の奥が熱くなる。私は籠を抱きしめ、小さく頷いた。
「私、この町で得たすべてを胸に抱いて旅立ちます。草の力と、人々の笑顔と」
「それでいい。君の歩みは必ず実を結ぶ」

 窓の外の星空を仰ぐと、数えきれない光が瞬いていた。そのひとつひとつが、これから訪れる村や町を照らしているように思えた。

 ――旅立ちは恐れではなく希望。薬草師リオナとしての道は、ついに町を越えて広がろうとしていた。



第39話 町を出る日

 朝の鐘が鳴り響く頃、私は市場の広場に立っていた。籠を背に、旅支度を整えた姿に人々の視線が集まる。昨日のうちに旅立ちを告げていたため、広場には多くの町人が見送りに集まっていた。

「リオナさん、本当に行ってしまうのですか」
「どうかお気をつけて。また必ず戻ってきてくださいね!」
「あなたの草に救われた命を、私たちは忘れません」

 口々にかけられる声に胸が熱くなり、視界が揺れる。市場で過ごした日々、笑顔を見せてくれた人々、共に学んだ見習いたち――すべての思い出が胸に押し寄せ、言葉にならなかった。

 孤児院の子どもたちも駆け寄り、小さな花束を差し出す。
「先生、これ持っていって!」
「元気になったから、今度は僕たちがお礼をする番だよ!」
 彼らの笑顔に、堪えていた涙がこぼれそうになる。花束を抱きしめ、私は膝をついて子どもたちを抱きしめた。

「ありがとう……私、必ず戻ってくるわ。その時は、もっとたくさんの草を持ってね」

 広場に温かな笑い声が広がる。

 その傍らで、アルディスが静かに灰色の瞳を細めていた。
「行こう、リオナ。風が呼んでいる」

 私は深く息を吸い込み、町を見渡した。ここは私に居場所をくれた場所。けれど、歩みはここで終わらない。

 ――薬草師リオナとしての新たな一歩を踏み出すために。



 広場を後にして石畳の道を進むと、道端に弟子たちが並んで待っていた。彼らは手帳や草の束を抱え、まっすぐな眼差しで私を見つめている。

「先生……どうか気をつけて」
「僕たち、先生に教えてもらったことを忘れません。町の人を癒し続けます」
 まだ幼さの残る声だったが、その響きは真剣で、胸の奥にまっすぐ届いた。

 私は一人ひとりの顔を見つめ、籠から摘み取ったばかりの小さな草束を渡していった。
「これをお守りに。草を見れば、いつでも思い出してください。人の心に寄り添うことを」

 彼らの手が震えながらも草を受け取り、瞳に光を宿す。その姿はまるで新芽のように力強く、私の未来を支えてくれる気がした。

 そこへ診療所の医師が現れ、深く頭を下げる。
「リオナ殿。君と共に学んだ日々は、我々にとって宝だ。どうか道中で多くを見て、多くを持ち帰ってほしい」
「……必ず。新しい草や人々の知恵を、この町に届けます」

 言葉を交わした瞬間、胸に広がるのは別れの寂しさと、未来への期待が入り混じった温かな痛みだった。

 アルディスが隣で静かに囁く。
「この町は君を待つ場所になった。だから安心して旅立てばいい」

 私は涙を堪えながら頷き、石畳を踏みしめた。

 ――新しい風が頬を撫でる。旅立ちの時は、もう目前に迫っていた。



 町の門にたどり着いたとき、空はすでに黄金色に染まっていた。門の前には見送りの人々が集まり、誰もが笑顔と涙を交えて私を見つめている。籠を背に、私は一歩一歩を噛みしめるように進んだ。

「リオナさん、どうかご無事で!」
「戻ってきたときは、またあの草を!」
「必ず帰ってきてください!」

 その声に胸が熱くなり、視界がにじんでいく。町を追われたあの日には想像すらできなかった。今はこうして、多くの人に見送られている――それだけで心が満たされた。

 孤児院の子どもたちが最後に駆け寄り、小さな手を振る。
「先生、いってらっしゃい!」
 私は膝をつき、彼らと視線を合わせた。
「ええ、行ってきます。元気で待っていてね」

 立ち上がると、隣に立つアルディスが灰色の瞳を細め、穏やかに告げる。
「もう振り返るな。君の道は前にしかない」
「……はい」

 門がゆっくりと開かれる。外の道は遠くまで続き、夕陽に照らされて輝いていた。

 私は深く息を吸い込み、一歩を踏み出した。背後で響く人々の声と草の香りを胸に刻みながら――。

 ――こうして、薬草師リオナの新たな旅が始まった。



第40話 草と共に歩む道

 町を出て最初に広がったのは、見渡す限りの野原だった。春から夏へと移ろう風が吹き抜け、草花が一面に揺れている。ラベンダーの紫、カモミールの白、ミントの青々とした葉。どれもが太陽に照らされ、きらきらと輝いていた。

 私は籠を抱え、足を止めて草を一茎ずつ確かめる。香りを嗅ぎ、葉の質を指で確かめ、根の強さを感じ取る。町の人々を癒した草と同じ種類でも、この土地で育ったものは少しずつ違っていた。その違いを知ることこそ、薬草師として歩む意味なのだと胸に刻む。

「リオナ」
 背後から声がして振り返ると、アルディスが風に髪を揺らして立っていた。灰色の瞳は柔らかく細められ、私の姿を見守っている。
「君の道は、もう町の枠を越えて広がっている。どんな土地でも草は育ち、人はそれを必要とする」
「……はい。私、この道を歩き続けます。草と共に、人々に寄り添いながら」

 風が吹き抜け、野原の花々が一斉に揺れた。その香りはまるで未来への祝福のように広がり、胸の奥に力強く刻まれていく。

 私は籠を抱きしめ、空を仰いだ。青空の下、道は果てしなく続いている。

 ――薬草師リオナの物語は、これからも草と人々の笑顔と共に紡がれていく。


 町の門が遠ざかるにつれ、背後から聞こえていた人々の声は次第に風に溶けていった。石畳はやがて土の道へと変わり、道端にはまだ名も知らぬ草花が咲いている。私は立ち止まり、膝をついてその葉を指で撫でた。かすかに立ちのぼる香りは、これまで嗅いだどの草とも違う。

「リオナ、新しい仲間だな」
 アルディスが隣で微笑む。その声に頷き、私は葉を籠に収めた。旅の始まりから、もう一つ学びを得られた気がして胸が温かくなる。

 小川のせせらぎが聞こえてきた。水辺には群生する草が揺れ、白い小さな花を咲かせていた。私は両手でそっと掬い上げるように摘み取り、陽の光にかざした。光を受けた花弁は透明に透け、どこか儚い。
「この草は……きっと心を和ませる力があるわ」

 アルディスが灰色の瞳で見つめる。
「君の瞳に映るものは、いつも人の未来につながっている」
 その言葉に胸が震えた。村を追われ、ただ生き延びるために草を摘んでいた自分が、今は人々の未来を見据えて歩いている。

 風が吹き抜け、籠の中の草々が音を立てた。その音はまるで道連れの仲間のようで、心が軽くなる。

 ――この道はまだ始まったばかり。けれど私は迷わない。草と共に歩み、人の笑顔を紡いでいくのだから。



 夕暮れが近づくと、空は茜色に染まり、道の先に広がる森が金色の光を浴びていた。私は立ち止まり、籠を抱えたままその景色を見つめた。新しい土地、新しい草、そして新しい人々――すべてがまだ見ぬ未来として私の前に広がっている。

「リオナ」
 隣に立つアルディスが、灰色の瞳をやわらかく細めた。
「君の歩みは、きっと多くの命と心を救うだろう。だが忘れるな。草を摘む君の手は、何よりも君自身を支えている」
「……はい。あの日からずっと、草は私を導いてくれました。これからも、その香りを胸に歩いていきます」

 風が吹き、籠の中の草がさざめいた。その音はまるで応えるように温かく響き、胸の奥に確かな力を与えてくれる。

 やがて森の入り口に足を踏み入れる。鳥のさえずり、木々のざわめき、湿った土の匂い――そのすべてが新しい物語の始まりを告げていた。

 私は深く息を吸い込み、笑みを浮かべる。
「さあ、行きましょう。草と共に、人々のために」
「ああ、共に」

 ふたりの声が夕暮れの森に溶け、未来への道を照らす。

 ――薬草師リオナの旅は続く。草の香りと人々の笑顔を胸に、果てしない道を歩み続けるのだ。

終わり
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