無能扱いされ、教会から追放された聖女候補生、実はチートスキル持ちでした。戻ってきてくれ、と言ってももう遅い。王子様とゆったりスローライフ。

さくら

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第35話「森からの侵攻」

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 夜の帳が辺境を覆い尽くし、砦の上空に濃い黒雲が漂っていた。森の奥から吹きつける風は生ぬるく、土と血の匂いを混ぜ込んでいる。兵士たちは壁の上に並び、剣や槍を握りしめ、来るべき敵の影を睨んでいた。

 やがて――闇の獣が現れた。
 赤く光る瞳を幾つも揺らし、黒い靄で形作られた狼や獅子、鳥の群れが地を這い、空を裂いて迫ってくる。実体のない身体は矢をすり抜け、羽ばたくたびに闇の欠片を撒き散らした。

「来たぞ……!」
「数が……数が多すぎる!」

 見張りの兵が絶叫し、砦全体が緊張に包まれた。



 アレンは剣を抜き放ち、兵士たちに怒号を飛ばした。
「怯むな! あれは人の手で造られた虚ろな影だ! 俺たちの光で斬れる!」

 その言葉に、兵士たちは短く叫びを上げて士気を奮い立たせた。だが彼らの顔には恐怖が刻まれていた。敵は二十や三十ではなく、闇の群れとして押し寄せていたからだ。



 広間では、リディアが必死に立ち上がろうとしていた。
「私も……砦の上へ……」
「リディア様!」マリアが支えながら涙声で叫ぶ。「今は無理です! お身体が……!」

 それでもリディアの目は揺らがなかった。
「闇を退けるために……私の光が必要なら……行かなければ」

 その声は震えていたが、確かな意志が宿っていた。



 砦の外から、獣の咆哮が轟いた。黒い影が壁を駆け上がり、槍を構える兵士に飛びかかる。
「うわああっ!」
 叫び声と共に兵士が倒れ、闇が肉を食い破ろうとする。その瞬間、別の兵が駆け寄り、光を宿した剣で獣を斬り裂いた。

 黒い靄は悲鳴をあげるように消え去り、兵たちの胸に小さな希望が生まれる。
「斬れる……! まだ戦える!」



 アレンは剣を振り下ろし、獣を次々と斬り伏せながら叫んだ。
「光を繋げ! 聖女は俺たちの後ろにいる! 守り抜け!」

 兵士たちは「おお!」と声を合わせ、砦の壁を死守した。だが群れは途切れることなく押し寄せ、赤い瞳の光が幾重にも重なって闇の波となっていた。



 その戦いを広間で聞きながら、リディアは胸を押さえた。心臓の奥で光が再び脈打ち、熱と痛みをもたらしている。臨界に追い込まれた代償はまだ残っている。

 マリアが必死に彼女を抱きしめた。
「どうか……命を削らないでください……!」
「大丈夫……。今度は、一人で抱え込まない。皆と……共に戦う」

 その小さな声は、外の戦場へと確かに届いていた。



 砦の外、森の奥――黒い靄の中に、不気味な光を放つ紋章が浮かび上がっていた。
 それは教会の司祭が掲げていた黒き印。闇を呼び出す禁忌の象徴だった。

「……やはり、教会か」
 アレンは刃を振り払いながら、奥に潜む敵の存在を確信した。

 森からの侵攻は、ただの残党ではなかった。新たな災厄の始まりだった。
 森の奥に掲げられた黒き紋章は不気味に脈打ち、闇の靄をさらに濃く広げていく。赤い瞳を持つ獣の群れは次々と生み出され、砦へと雪崩れ込んでいた。

「数が……止まらない!」
「こっちの壁が破られるぞ!」

 兵士たちが絶叫し、崩れた石壁に必死で木材を押し当てる。闇の獣が壁をよじ登り、爪で兵の胸当てを引き裂いた。血飛沫が舞い、仲間が倒れてもすぐに別の兵が駆け寄り、剣を突き立てて獣を斬り払う。



 アレンは砦の中央で剣を振るい続けていた。
「怯むな! 俺たちの光は闇を断つ!」
 その声に兵士たちの心が奮い立ち、折れかけた盾を掲げ直して獣を押し返す。

 だが群れは尽きない。背後の森の奥で紋章が輝くたびに、獣の影が再生するかのように溢れ出してきた。

「……やはり、ただの残党ではない」
 アレンは血に濡れた剣を握り直し、奥に潜む司祭の影を睨んだ。



 広間で戦況を耳にするリディアの胸が強く脈打つ。
「闇の紋章……司祭がまだ……」
 彼女の体は衰弱し、立つのも難しい。それでも胸の奥の炎は呼応するように熱を帯びていた。

 マリアが涙を浮かべて止める。
「リディア様、お願いです……命を削るようなことはしないで!」
「もう命を燃やし尽くすつもりはないわ。けれど……私の光を繋げなければ、皆が……!」

 リディアはマリアに支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。



 その頃、砦の南壁では獣の群れが一斉に跳びかかり、兵士たちが押し潰されそうになっていた。
「援護を!」
「もう持たない!」

 その悲鳴に応じるように、砦の中央から淡い光が広がった。リディアの胸から放たれた光は兵士の剣に宿り、刃先を白銀に輝かせる。

「これは……聖女様の……!」
「まだ戦える!」

 兵士たちが奮い立ち、光を宿した剣で獣を斬り裂いた。闇の靄は悲鳴を上げて散り、赤い瞳が次々と潰えていく。



 しかし、森の奥の紋章はなおも光を増していた。
 闇を纏った司祭の影が、黒雲を背に立ち上がり、声を響かせる。
「聖女よ……お前がどれほど光を繋ごうと、闇は尽きぬ! 我らは滅びぬ!」

 その声に兵士たちの顔が青ざめる。まるで闇そのものが意思を持ち、再び人々を呑み込もうとしているかのようだった。



 リディアはふらつきながらも広間を出ようとする。
「私が行く……紋章を断たなければ……」
「駄目です!」マリアが必死に抱き留める。「それでは命が……!」
「命を削るのではない。皆と共に繋ぐの。だから……!」

 その声は強く、もはや誰にも止められなかった。



 アレンが獣を斬り伏せながら叫ぶ。
「リディア! 来るなとは言わない! だが絶対に一人で背負うな!」

 リディアの瞳はまっすぐに応えた。
「ええ……今度こそ、皆と共に!」

 光と闇のせめぎ合いは、さらに激しさを増していった。
 砦の石壁は黒い靄に蝕まれ、剣戟の火花と兵士の叫びが夜空を震わせる。闇の獣たちは斬られても形を保ち、靄となって再び集まり襲いかかる。絶え間ない攻撃に兵の体力は削られ、盾を構える腕が震えていた。

「もう持たない……!」
「下がるな! ここが崩れれば砦は終わりだ!」

 アレンが血に濡れた剣を振るい、獣をまとめて斬り裂いた。光を宿した刃は闇を裂くが、それでも押し寄せる勢いは止まらなかった。



 その時、広間からリディアが姿を現した。マリアが必死に支えていたが、彼女の足取りには迷いはなかった。
「リディア様……!」
 兵たちが驚愕の声を上げる。

 リディアは胸に手を当て、戦場を見渡した。
「皆……光を繋いで。私ひとりではなく、共に……!」

 その声が砦に響き、兵士たちの剣が一斉に輝いた。斬られても再生するはずの獣の影が、今度は光に焼かれ霧散していく。

「効いてる……! 聖女様の光が……!」
「まだ戦える!」

 声が連鎖し、戦場に熱が戻った。



 だが森の奥の黒い紋章はさらに脈動を強めた。司祭の影が両腕を掲げ、狂気の声を響かせる。
「小娘が……! ならばもっと闇を喰らえ!」

 紋章から黒雲が噴き出し、新たな獣の群れが次々と生まれた。赤い瞳が闇夜に浮かび、森全体が唸り声をあげて砦を狙う。

「まだ増えるのか……!」
「終わりがない……!」

 兵士たちの心が揺らぎかけたその時、リディアの胸の光が強く脈打った。



 彼女は苦痛に顔を歪めながらも、強い声を張り上げた。
「皆の命は……闇に屈しない! 光は一人ではなく、ここにいる全員で繋ぐもの!」

 その叫びと共に、砦全体に柔らかな光が広がった。兵士の傷口がわずかに癒え、疲れた体に力が戻っていく。

「体が……軽い……!」
「戦える……!」

 希望が再び兵の胸に宿り、光を帯びた剣が獣を次々と貫いた。



 アレンはその中心で剣を振り抜き、リディアに向かって叫んだ。
「お前の光はもう一人のものじゃない! 俺たち全員のものだ!」
 リディアは息を荒げながら頷き、涙を浮かべて応えた。
「ええ……共に戦う!」

 光を分かち合うその瞬間、砦を覆っていた闇の群れが後退し始めた。



 だが、森の奥の紋章はまだ脈動を止めない。司祭の影が憎悪に満ちた叫びをあげた。
「聖女……必ず貴様を闇に呑み込む!」

 黒雲がさらに濃く渦巻き、森の奥に新たな巨大な影が生まれようとしていた。

 砦の上で兵士たちが息を呑む。
「……次は、あれが来る……!」

 戦いは終わらない。むしろ、さらに苛烈なものへと姿を変えようとしていた。
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