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秋
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「ん……」
酷く気怠い朝だ。
温泉での一件から数日が経っていた。都はあの日以降、頻繁に部屋へ訪れるようになり、アヤは寝不足気味な日々が続いている。
今は夜が明けたばかりで使用人たちが朝食の準備をしている音が聞こえてくる。身体を伸ばし、どうにか着替え終わり深呼吸をした。
アヤは朝食を何食わぬ顔で食べ終え、屋敷を散策することにした。普段から散歩をしている庭に手がかりとなるものは無いように思えたが、他に見て回れる場所もない。
「あとはこの屋敷の中ね」
可能性が最も高いが、居候の身で好き勝手部屋に入るわけにもいかない。
特にも怪しいとなれば都の部屋だろう。
「聞くとしても……」
誰も答えてくれない。むしろ、訝しがられる。何をしているのかと怒られてしまうかもしれない。
そうとなれば、大人しく散歩をしている振りをして外から様子を伺うしかない。
使用人たちが各々の持ち場に散っていった後、アヤは動き出した。
まずは自室として使わせてもらっている客間の周辺。客人が訪れることは滅多にないのだろうか。食事を持ってくる以外に使用人の行き来は少なく、人の気配がないのだ。
今まで身体を動かすために散策していたのは客間から続く庭先のみ。考えてみればそこに都が偶然いるのもおかしな話だ。心配して何度も様子を見に来てくれていたのかもしれない。
「そうだ。昼までに戻らないとね」
アヤは意を決して今まで踏み入れたことのない場所へ入り込んだ。都と会った池のあたりを過ぎ、家の主たる都が住んでいる離れの近くまでやってきた。使用人たちに特に変化はなく、咎められることもない。
渡り廊下はなく、母屋から石畳が敷いてある。外から覗いてみても中を見ることは出来なかった。
昼近いが、まだ都の姿を見ていない。日中散歩をしていても最近は会わない日の方が多かった。屋敷の外へ出かけているのではないかと思われたが、どこへ何をしに行っているのか皆目見当もつかなかった。
「あまりここにいても怪しまれるかも」
念のため、離れの裏側を見てからアヤはその場を離れた。
いつものように昼ご飯を頂き、一休みした後、さてこれからどうするかと思った時だった。
「あれ、何だかとっても良い匂いがする」
外から魚が焼ける良い香りが漂ってくる。思わず戸を開けると庭で七輪を使ってさんまを焼いていた。
「アヤもおいで。やってみるかい?」
「都さん、帰ってたんですね」
都に呼ばれ、アヤが庭に出ていくと使用人はすっ、と団扇を手渡して下がっていった。
ふたりきりにされてしまったと都を見ると苦笑いをしていた。
「これは困ったな。今日の夕飯は私たちの腕にかかっているようだ」
「七輪なんて使ったことありませんけど……」
「何事も経験ってことだよ。はい、どうぞ。やってみて」
とりあえず、空気を絶えず送ればいいのだろうと都から団扇を受け取り扇ぎだす。
「私も上手いわけではないんだけれどもね。君と同じで匂いに誘われて出てきてしまったというわけだ」
「秋の香りですね」
「炭はしっかりと起こしてもらったから焼き加減を見ながらひっくり返せば美味しく出来るはずだよ。おや?」
都に教えられながら焼いていると玄関先から男性の声が聞こえた。
「――失礼します」
入ってくれ、と向こうに声をかけて都はアヤにさんまを託す。
「少し火を見ていてくれないか。直ぐに戻ってくるから」
「分かりました」
中に入らず庭に回り顔を出したのは年若く真面目そうな男だった。
「お休みのところ申し訳ございません。都様あての手紙が届きまして念のためお持ちいたしました」
「ああ、これは急ぎそうだな。ありがとう。夜には返事を書いておくよ」
パタパタと団扇でさんまを扇ぎつつもアヤは会話が聞こえるように耳を澄ませた。どうやらふたりは仕事の話をしているらしいということは分かった。
「そうだ。龍仙も食べていくか」
「いえ、けっこうです。家の分まで十分にいただきましたので。では、失礼します」
龍仙と呼ばれた男は事務的な挨拶をして直ぐに帰っていった。
「すまないね。急な用だったみたいで。部屋に置いてきたら直ぐに戻ってくる。しばらく火の番を頼むよ」
「任せてください」
これくらいは、とさんまの様子を見ながら扇ぎつつ、アヤは先程の男は何者だったのだろうかと考える。都の髪も随分と長いが龍仙もなかなかなものだ。後ろ姿に尾のように細く結われたさらりと流れる焦茶色。都と同じく和服を着ているが幾分きっちりとした印象を受けた。
「待たせたね」
「いえ、そろそろ良いみたいですよ」
「美味しそうな匂いですっかりお腹が空いてしまった」
香ばしいさんまの匂いが漂い、ふっくらと焼けた身を皿へと移す。どうやら他の準備は整っているようで奥の部屋に膳が並べられているのが見えた。
「せっかくだから一緒に食べようか」
「はい、もちろん喜んで」
「たくさんあるからつみれ汁も作ってもらってるんだ。遠慮せず食べてくれ」
「ありがとうございます。きっととても美味しいでしょうね」
都は龍仙だけではなく使用人たちにもそれぞれさんまを持たせたと言っていた。
おそらくこの屋敷から海は遠いはず。もらいものだとしても何箱送られてきたのだろうと疑問に思いながらもアヤは秋の味覚を堪能した。
******
「今夜くらいは早めに寝てしまえば……」
無駄な抵抗だと知っていても一日くらい平穏が欲しかった。都と一緒に夕飯を食べ終えた後の笑顔を思い出す。
――今夜は都さんも来ないかもしれないし、目を瞑ろう。
平常な判断が出来なくなっていくような感覚が怖い。目を閉じ、布団に包まれば直ぐに意識を手放してしまうだろうと思ったがもはや遅かった。
「もう寝てしまったのかい」
心臓を直接掴まれたような錯覚に陥る。返事も出来ず、身動きも取れず。夢を見ているような心地で障子が開く音を聞いていた。
酷く気怠い朝だ。
温泉での一件から数日が経っていた。都はあの日以降、頻繁に部屋へ訪れるようになり、アヤは寝不足気味な日々が続いている。
今は夜が明けたばかりで使用人たちが朝食の準備をしている音が聞こえてくる。身体を伸ばし、どうにか着替え終わり深呼吸をした。
アヤは朝食を何食わぬ顔で食べ終え、屋敷を散策することにした。普段から散歩をしている庭に手がかりとなるものは無いように思えたが、他に見て回れる場所もない。
「あとはこの屋敷の中ね」
可能性が最も高いが、居候の身で好き勝手部屋に入るわけにもいかない。
特にも怪しいとなれば都の部屋だろう。
「聞くとしても……」
誰も答えてくれない。むしろ、訝しがられる。何をしているのかと怒られてしまうかもしれない。
そうとなれば、大人しく散歩をしている振りをして外から様子を伺うしかない。
使用人たちが各々の持ち場に散っていった後、アヤは動き出した。
まずは自室として使わせてもらっている客間の周辺。客人が訪れることは滅多にないのだろうか。食事を持ってくる以外に使用人の行き来は少なく、人の気配がないのだ。
今まで身体を動かすために散策していたのは客間から続く庭先のみ。考えてみればそこに都が偶然いるのもおかしな話だ。心配して何度も様子を見に来てくれていたのかもしれない。
「そうだ。昼までに戻らないとね」
アヤは意を決して今まで踏み入れたことのない場所へ入り込んだ。都と会った池のあたりを過ぎ、家の主たる都が住んでいる離れの近くまでやってきた。使用人たちに特に変化はなく、咎められることもない。
渡り廊下はなく、母屋から石畳が敷いてある。外から覗いてみても中を見ることは出来なかった。
昼近いが、まだ都の姿を見ていない。日中散歩をしていても最近は会わない日の方が多かった。屋敷の外へ出かけているのではないかと思われたが、どこへ何をしに行っているのか皆目見当もつかなかった。
「あまりここにいても怪しまれるかも」
念のため、離れの裏側を見てからアヤはその場を離れた。
いつものように昼ご飯を頂き、一休みした後、さてこれからどうするかと思った時だった。
「あれ、何だかとっても良い匂いがする」
外から魚が焼ける良い香りが漂ってくる。思わず戸を開けると庭で七輪を使ってさんまを焼いていた。
「アヤもおいで。やってみるかい?」
「都さん、帰ってたんですね」
都に呼ばれ、アヤが庭に出ていくと使用人はすっ、と団扇を手渡して下がっていった。
ふたりきりにされてしまったと都を見ると苦笑いをしていた。
「これは困ったな。今日の夕飯は私たちの腕にかかっているようだ」
「七輪なんて使ったことありませんけど……」
「何事も経験ってことだよ。はい、どうぞ。やってみて」
とりあえず、空気を絶えず送ればいいのだろうと都から団扇を受け取り扇ぎだす。
「私も上手いわけではないんだけれどもね。君と同じで匂いに誘われて出てきてしまったというわけだ」
「秋の香りですね」
「炭はしっかりと起こしてもらったから焼き加減を見ながらひっくり返せば美味しく出来るはずだよ。おや?」
都に教えられながら焼いていると玄関先から男性の声が聞こえた。
「――失礼します」
入ってくれ、と向こうに声をかけて都はアヤにさんまを託す。
「少し火を見ていてくれないか。直ぐに戻ってくるから」
「分かりました」
中に入らず庭に回り顔を出したのは年若く真面目そうな男だった。
「お休みのところ申し訳ございません。都様あての手紙が届きまして念のためお持ちいたしました」
「ああ、これは急ぎそうだな。ありがとう。夜には返事を書いておくよ」
パタパタと団扇でさんまを扇ぎつつもアヤは会話が聞こえるように耳を澄ませた。どうやらふたりは仕事の話をしているらしいということは分かった。
「そうだ。龍仙も食べていくか」
「いえ、けっこうです。家の分まで十分にいただきましたので。では、失礼します」
龍仙と呼ばれた男は事務的な挨拶をして直ぐに帰っていった。
「すまないね。急な用だったみたいで。部屋に置いてきたら直ぐに戻ってくる。しばらく火の番を頼むよ」
「任せてください」
これくらいは、とさんまの様子を見ながら扇ぎつつ、アヤは先程の男は何者だったのだろうかと考える。都の髪も随分と長いが龍仙もなかなかなものだ。後ろ姿に尾のように細く結われたさらりと流れる焦茶色。都と同じく和服を着ているが幾分きっちりとした印象を受けた。
「待たせたね」
「いえ、そろそろ良いみたいですよ」
「美味しそうな匂いですっかりお腹が空いてしまった」
香ばしいさんまの匂いが漂い、ふっくらと焼けた身を皿へと移す。どうやら他の準備は整っているようで奥の部屋に膳が並べられているのが見えた。
「せっかくだから一緒に食べようか」
「はい、もちろん喜んで」
「たくさんあるからつみれ汁も作ってもらってるんだ。遠慮せず食べてくれ」
「ありがとうございます。きっととても美味しいでしょうね」
都は龍仙だけではなく使用人たちにもそれぞれさんまを持たせたと言っていた。
おそらくこの屋敷から海は遠いはず。もらいものだとしても何箱送られてきたのだろうと疑問に思いながらもアヤは秋の味覚を堪能した。
******
「今夜くらいは早めに寝てしまえば……」
無駄な抵抗だと知っていても一日くらい平穏が欲しかった。都と一緒に夕飯を食べ終えた後の笑顔を思い出す。
――今夜は都さんも来ないかもしれないし、目を瞑ろう。
平常な判断が出来なくなっていくような感覚が怖い。目を閉じ、布団に包まれば直ぐに意識を手放してしまうだろうと思ったがもはや遅かった。
「もう寝てしまったのかい」
心臓を直接掴まれたような錯覚に陥る。返事も出来ず、身動きも取れず。夢を見ているような心地で障子が開く音を聞いていた。
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