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4.男爵家使用人は王太子の真意が解らない

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 アリス様がいつもと変わらないポーカーフェイスで、お昼寝中のアイル様を抱いている。
 そのテーブルを間に挟んだ向かいに座るミハエル様がニコニコととんでもない仕事を振ってきた。

「昨日の野盗制圧の件を書面で報告したんだが、殿下がフィルの口から直接報告を聞きたいと言ってうるさ、んんっ…聞かないんだ」

 それは初対面の時の無礼を詫びに来いという意味もありますよね。絶対そうですよね!?
 いやだ。怖い。地下牢行き…っ。

 持っているトレイの上でティーポットがカタカタと音を立てる。

「まぁ、実際にフィルが全て担ってくれた任務でもあるし、殿下が来いと言うならこちらも断れない。直接殿下に報告へ行ってくれ」

 これは命令だ。
 そう旦那様の目が僕を射抜いてくる。

「し、しかし、屋敷の仕事が」

「それは全く問題ない」

 言い切る前に返答されてしまっては、開いた口からさらに言葉を放つことができなくなってしまった。

「状況説明だけしてくればいい。殿下は早くしろと仰せだ。今から行ってきてくれ」

 一応持って行けと殿下が受け取らなかった報告書を渡され、ポイと屋敷から出されては最早王宮へ行くしかない。

 貼り付けた笑みの奥の感情が全く読めない殿下を思い浮かべ、深く息を吐いた。

 足が重すぎて、王宮へ着いた頃には辺りがオレンジ色に染まっていた。
 近づくと空も見えなくなりそうな大きな門を見上げて、立ち竦む。

 これ、どこから入るんだ?

「どちらに御用でしょうか」

 門番であろう王宮騎士が声をかけてきた。

 騎士にしても警備隊にしても、身長がないとなれないのか?
 見上げないといけないから首が痛くなりそうだ。
 それに、殿下に会いたくない気持ちも重なって、今すぐ立ち去りたい。

 だけど、使用人として仕事はこなさないとなぁ。

 何も言わない僕を不審に思ったのか、彼は腰に差した剣の鞘を握る手に力を込めた。

「すみません、王宮へのお使いは初めてで緊張してしまって…。バイパー男爵家使用人のフィルと申します。ライバン王太子殿下にお取り継ぎ願えますか」

 門番はバイパー男爵…と小さく呟いてすぐに姿勢を正した。

「これは失礼いたしました! すぐに案内の者を呼びますので、門の中へお入りください」

 少し顔色も悪くなっているような…うちのご主人様たちは一体どういう立ち位置なんだ。

 中央より少し右寄りにある普通の大きさの扉を門番が開いてくれて、ちょっと拍子抜けだ。

 大きな門が全て開くわけではないのか。

 たいして待たずに、ガイル様が現れた。

「フィル! わざわざすまない。殿下がどうしても君から報告が聞きたいと言っていてな」

 ガイル様が歩きながら何やら話してくれているが、周りの豪奢な風景にそれどころじゃない。
 どこもかしこも広くて大きくて煌びやか。初めて目にするものばかりだ。

 ついキョロキョロと辺りを見渡していたら、王太子殿下の執務室へと案内された。
 机の上には書類であろう紙の山。

「ライバン殿下、フィルが先日の報告へ来てくださいましたよ」

 ガタンっと音がして、書類の塔がバサバサと崩れ落ちる真ん中から、殿下の顔が現れた。
 最初の音は勢いよく立ち上がったせいで椅子が倒れた音のようだ。

 殿下は僕に足早に近づいて来て、目の前で止まる。
 逆光で顔がよく見えないのもあいまって、身長の高い人間に見下ろされると威圧感がある。

 初対面時の不敬を罰せられるのか、野盗捕縛で不問にしてもらえるのか…できれば後者であってほしいけど、やっぱ怒ってるとか。

 冷や汗が止まらない。何か言ってくれ。

 さらに寄ってきた体躯に身を硬くすると、殿下は僕の肩へ頭を乗せて首筋で深く息を吸った。

「やっと癒しが来た。いい匂いがする…。もう疲れた。眠い」

 は…?

「殿下、フィルは昨夜の報告に来ただけです。はしたないですよ」

 ガイル様が引き剥がそうとしてくれるが、殿下は頑として動く気がないようで、僕にしがみついてきた。

 まるで子供が駄々を捏ねてるみたいだ。

「野盗連中の処罰やら王宮内や貴族どもの不祥事炙り出し、国民からの意見投書へ目通し…2日徹夜したんだ。いい加減寝させろ」

「急ぎのものもあるんですよ。それに、報告をフィル本人にさせろと言ったのは貴方ではないですか」

「あ、報告なら書面にまとめたものを旦那様からお預かりしてます」

 王太子殿下のイメージを覆されて戸惑いつつ報告書を取り出すと、肩を抱かれたままそれを殿下に奪われた。
 サッと目を通してガイル様へと投げてしまったが。

 さっさと帰りたくて渡したのに、殿下は僕を離す気配が全くない。

「報告ご苦労。急ぎの私でなければならないものは済ませている。あとはお前と大臣で分けて判を押しておいてくれ。フィルは安眠の為に抱き枕になることを命じる」

 首が締まってる! 帰らせてくれ!!

 首に回っている腕を叩くも、ズリズリと引き摺られながら連れ込まれた大きな部屋には、天蓋付きのこれまた大きなベッドが置いてある。

 そこへポイと投げられたが、ふっかふかの布団のおかげで全く痛みはなく、むしろ包み込まれる感覚は雲の上に落とされたようだ。

 僕の部屋のベッドより、良い…っ。
 いやいや、そうじゃなくて──

「ぐえっ!?」

 僕が振り返る前に、殿下は僕を全体重で潰した。

 なんだこの状況!?

「で、殿下、これは一体…僕は報告をしに来ただけなんですけど!?」

 暴れても背中にかかる重みは変わらない。

「今、君に焦った顔をさせているのは私か」

 耳元でやたらと良い声を出さないでほしい。
 眠たいのは本当なのか、僅かに掠れたそれは無駄に色気を孕んでいて落ち着かない。
 首筋をサラサラな銀髪が触れるのもくすぐったい。

「そりゃそうでしょう! なんですかこの状況。何がしたいんですか!?」

「騒がしい声も可愛い」

 なんの答えにもなってないし、会話にならねぇ!

「だが、今は…ねむい、から……」

 おい、寝息が聞こえ始めたぞ。嘘だろ。



 かくいう僕も高級寝具には敵わなくて、気づいた時には辺りは真っ暗だった。

 この状況で寝れる僕もどうかしてるな。

 起き上がりたいのに、殿下にがっちりホールドされて身動きが取れない。
 規則的に寝息が耳朶をくすぐってくるのを感じて、ため息をついた。

 起こしたら不敬に問われるか?
 いやでも、旦那様たちに心配をかけているかもしれないし──帰りたい。

 真横にあるとんでもなく綺麗なお顔は、閉じられた瞼に沿ってうっすらとクマができている。

 疲れているというのは本当みたいだな。

 それをそっと撫でて、絹のように滑らかな頬を軽く摘んでみるが起きる気配はなく、仕方なく殿下の身体を軽く揺さぶると、小さな呻きと共にゆるりと青い瞳が現れた。

 眉間に深い皺が寄っている。

 起きて早々、こんな貧相な野郎が目の前にいて機嫌が悪くなるのは解るが、あんたがここへ連れ込んだことを忘れてもらっちゃ困る。

「そろそろ帰りたいので離してください」

「もう深夜だ。このまま泊まればいい──寝付けないなら風呂にでも入るか? …私も着替えたいしな」

 やっと解放されたと思ったのに、まさかの泊まり提案。
 だがしかし、王宮の風呂は気になる。バイパー男爵家の屋敷より広いのだろうか。

 くっ…好奇心が……っ。



 自室に備え付けられていることだけでも凄いのに、殿下ただ1人の為にある風呂の広さが公衆浴場並みなの、やばすぎませんか。

 こんなの、こんなの…っ!

「と、飛び込みたい」

 そんなこと殿下の前でやる訳にはいかないと、なんとかその場で動きを止める。

「飛び込んでもいいが、怪我はするなよ」

 無意識に呟いていたことに今更気づいて、ポンと肩を叩かれただけで猫が驚いた時のような跳ね方をしてしまった。

 大きな浴槽へ入っていく殿下の背中は少しふわふわしているような。
 覚束ない足取りというわけではないが、まだ寝ぼけているのだろうか。

 余程疲れてたんだな。

「何してる。入らないのか?」

 男の裸なんて見たって何も思わないはずなのに、銀髪から滴る雫がやけに扇状的に見えてしまうのは何故だ。
 細身だと思っていた身体はきちんと筋肉がついているし…なんだか負けた気分だ。

 薄っぺらい自分の腹を撫で、眉根を寄せた。

 突然、腕を引かれて足が滑った。

 ひっ!? こける──

「庶民には物珍しいものばかりかもしれないが、風呂で突っ立ってると風邪をひくだろう」

 想像した痛みは無く、殿下の声と温かい柔らかな感触に瞬きする。
 間近に見える白い肌が湯船の温かさからほんのり赤みを帯びていた。

 殿下に浴槽へ引き込まれたのだと気づいて慌てて背を向けて立ちあがろうとすると、腰を掴まれてそれは叶わなかった。

「やっぱり男爵家の使用人が殿下と風呂を共にするのは不敬では!?」

 ザプッと肩まで浸かった身体は殿下にがっちりと掴まれて手足をばたつかせることしかできない。
 肩口に殿下のおでこが乗せられて固まってしまった。

 どういう状況!? 後ろから抱きしめられてるんだが!?

 直接肌が触れ合うせいか、落ち着かない。

「私が許可してるんだ。もう少し、このまま」

 初めて会った時は凛として隙がなさそうだったのに、今日はやたらふわふわしてるな、この人。

 ん? なんか肩にかかる重みが増えたような…。

 そう思っていたら、寝息が聞こえてきた。

「いやいやいや! 風呂で寝たら溺れ死にますよ!?」

 両肩を掴んで揺さぶると殿下はすぐに目を覚ましたが、今にもまた瞼が閉じそうになっている。
 起きている間に急いで風呂から連れ出し、わしゃわしゃと髪を拭いてやる。

「ちょっと殿下、布団に行くまで起きててくださいよ。僕に貴方を運べる力はありませんからね」

「ん~」

 僕しかいないにしても、王太子が無防備すぎやしないか。
 もし僕が暗殺者とかだったらどうするんだ。

 小さくため息をついて、ほとんど寝かかっている殿下を支えながらベッドへと向かう。
 布団へと沈めようとしたら、手首を掴まれて一緒に雪崩れ込んでしまった。

 抱き込まれてすぐに殿下は眠ったので這い出ようとするが、びくともしない。

 あー、もうどうとでもなれ。

 石鹸の爽やかな香りの中に殿下の匂いだろうか、薔薇のような甘い、しかし上品な香りが眠気を誘う。

 あったかいな。


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