公爵家令嬢と婚約者の憂鬱なる往復書簡

西藤島 みや

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菫と蒲公英の庭で

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春。太陽神を信仰するアポロデア皇国は、芽ぶきの季節を迎える。大陸で最も北の半島に位置するこの国で、固く凍りつき眠っていた大地が目を覚まし、全ての生命が一斉に動き出すときだ。

その暦にあわせて、アポロデアの皇室は春の園遊会を催し、太陽の復活を祝うならわしだった。

しかし、グリード第二皇子が春の園遊会に伴ってきたのは、婚約者の公爵令嬢ではなく、近頃社交界でも美しいと有名なある子爵令嬢だった。
『まるで菫のようだ』と、その令嬢はいわれており、ほっそりとたおやかな姿は、手折ればすぐに儚くなってしまいそうだ。

その令嬢と、皇太子である兄よりも美しいと噂の黒い髪に青い瞳のグリード皇子。ぴったりと寄り添って現れ、まるで既に夫婦ででもあるように、王子は令嬢とだけ、躍り、話す。例え有力な貴族が話しかけたとしても、必ず間に令嬢を挟むようにして会話をしていた。

その状況だけでもかなりスキャンダラスであったわけなのだけれど、さらにグリード皇子はこの場で婚約者のエリアス公爵令嬢に婚約破棄を申し込んだのだから、周りの貴族たちは水を打ったようにしずかになった。

「パルマローザ。私との婚約を破棄してくれないか?」

春の園遊会は公的な場であり、そのような私的で繊細かつ慎重なことを運ぶのに適しているとは誰も思っていない。眉をひそめた貴族も多いのだが、グリードは一向に意に介さない様子だ。

ごくり、と誰かの唾を飲み下す音が聞こえた。それくらいの沈黙がおりていたのだ。ぴんとはりつめた緊張感のなか、パルマローザ・エリアス公爵令嬢の返答をまつ。

パルマローザは名前に反して、これといった特徴のない令嬢だ。子爵令嬢が菫であるなら、こちらは蒲公英のようで、背丈も高くはなく、太すぎはしないがふっくらとしていて、結い上げてある髪はこの国では一般的な榛いろだった。

このような場所で名誉を傷つけられて、泣くか、あるいは怒って立ち去るか。皆が固唾をのんで彼女を見守った。

ぱちん、とパルマローザは顔を隠していた扇を閉じた。
「……却下ですわ」
え、とグリードが首をひねる。パルマローザはその琥珀色の瞳で彼をみつめた。

「却下、と申しました。婚約は8年もまえに成された正式な契約で、破棄には相応の手続きがございます。先ずは契約のあるじたる皇帝陛下より父に正式な申しいれをなさってくださいませ。それよりのち、しかるべき手順にのっとって、皇宮国務局総務閣僚まで皇族の婚約破棄にかかわる諮問会議の申請をなさって、それから正しい形でわたくしにお申し入れ下されば検討いたします」

おお、とまわりから拍手が起こる。パルマローザの意見は、本当に婚約破棄を望むのであればとても正しい。ぐうの音もでないほどだ。

「何を賢しげに!私は本当の愛をみつけたんだ、それをそんな面倒な紙っぺらなど……」
紙?とパルマローザはまばたきをした。
「なるほど、たしかに婚前契約書とは紙っぺらひとつですものね。では、ここで破棄するにあたって、私にかわってグリード様の婚約者となるかたの、お名前をうかがいたいですわ。

再びしいん、と庭園は静まっている。子爵令嬢は比類ないほどの美少女で、ほかの貴族は勿論、パルマローザだって耳にしている。だからこれは、グリードへ尋ねているのだ。

「……どうなさいましたの?まさか、覚えていらっしゃらないなんてことは、ありませんわよね?」

ハッとした顔で、子爵令嬢はグリード皇子を見上げた。そろり、と一歩後ろへさがる。
「もちろん、だ。彼女はその、運命の、相手なんだから……いや、お前に知られてはまずいこともあるだろう、あとで、その、あとで知らせる」

ふうん、とパルマローザが目を細めた瞬間、子爵令嬢は涙ぐみ、グリードに何か投げつけて走り去った。見ればそれは、美しい細工のなされたブローチだった。
「まあ……、またそんな子供騙しの小細工でたらしこんでいらっしゃったのね?おかわいそうなヴィオレア様。ジェンキンス、行って慰めてさしあげては?」
パルマローザはそのブローチを持っていた白い手巾で拾い上げ、いつの間にか側へ立っていた近衛兵へそれを渡した。

ジェンキンスと呼ばれた近衛兵は、癖のある赤毛にオレンジ色の瞳をしており、目の下には泣きぼくろがふたつ小さくならんでいる。痩せて見えるが確りした筋肉がついたその美しい体躯は、数多の女性を虜にしたと噂が絶えない。

「パルマローザ様はお慰めせずともよいので?」
いつの間にかパルマローザの手を取り、口づける。
「わたくしは要らないわ。さあ、行ってさしあげなさい」
御意に、と騎士の礼をささげ、立ち去るジェンキンスにグリード皇子はしばらくぽかんとしていたが、ふと我にかえり、
「おい!お前の主人は私ではないか!」
と言ったときには既に、ジェンキンスの姿は王宮殿へと消えて、影すらみえなかった。

「あーあ、なんだ、またこのやりとりか」
それまで固唾をのんで見守っていた、何処かの中年の貴族が呟く。
「皇子殿下は本当に婚約破棄をする気があるのか?」
それに答えてだれかまた貴婦人の声がした。
「さあ?これでもう五回目ですものね、分かるのはジェンキンス卿の伯爵家は愛妾とその子供で満員ではないか、ということですわね……今度こそ正室に入られるのかしら?」

これを聞いたグリードは振り返り、彼らを睨み付けた。
「そこ!私がジェンキンスに寝取られることありきで話しをするな!あと、まだ4回目だ!それにまだ諦めたわけではないぞ!すぐに正式な書簡を送る!首を洗ってまっていろパルマローザ!」
そう言って、グリードは宮殿へと駆け去っていった。

「皇子が間に合えば……一目会えるかもしれませんな……ジェンキンス卿の子がまた増える前に」
ボソッ、と、誰か若い貴族が呟き、会場はため息につつまれたのだった。

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