元引きこもり、恋をする

五月萌

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4 2日目のカフェ

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長年の疑問をぶつけてもいいかもしれない。

「あのさ、今、父さんはどこにいるんだ?」
「そんなの、知らないよ!」

美優は明らかに動揺していた。なにか知っているらしい。

「生きているのか、死んでいるのかだけでも教えてくれよ」
「知らない。早くご飯を食べなよ」
「はあ、分かったよ」
「そういや、障害者手帳とったでしょ? あれ、何級かに応じて障害者年金というものがもらえる指標になるんだよ」
「いくら?」
「3級はわからないなぁ、専門じゃないし、今度市役所で申請がてら、聞いてみようか」
「ほぇ~」
「いいから。……ご馳走様でした」

次の日、朝にメンタルクリニックを受診した際に医師に診断書を書いてもらった。
一応形として、デイケア利用の可否を決めるらしいが、今日もデイケアに来ていいことになっている。
優陽は靴を履き替えてデイケアの場所に入っていく。

「おはようございますー」
「おはようございます」

葉子はデイケアの出入り口の付近の席で、若い男の子と若い女の子と共にノートパソコンの画面を凝視している。

「えっと、何してるんですか?」
「ホラゲーだよ」
「石塚さんホラー好きなんですか」
「はい、ホラー物大好物です」

葉子はホラー好きだったので混ざっていた。

「スマホででているホラーゲームはほとんどやり残しはないらしいよ」
「僕、おばけとか幽霊とか嫌いなんだけど」

優陽はパソコンを覗き込む。

「やだー、夜寝られなくなっちゃう!」

一瞬、人の怖い顔が映り込んだので優陽はびっくりする。

「何、女子高生みたいなこと言ってるんですか」
「別に嫌なら見なくてもいいけど?」

金髪のパーマがかった中年の女性がガンつけてくる。

「いやここ僕の席なんですけど」

他の席は大体埋まっていて、隅っこの3つの席は根暗そうな老人がオセロのように座っている。必然的に真ん中の席に座りたくない優陽は空いている唯一のこの席に座りたかった。

「向かいに座ってますね」

優陽の声はどこ吹く風と聞き流された。

「ここからが1番怖いところです」
「石井さんも一緒に見ませんか?」

葉子に言われた優陽は顔を赤らめた。

「……ちょっとだけですよ!」

優陽は覚悟を決めて細目でその画面を見る。

「うわ~怖いな! うひゃぅ! 進めるの速いね」
「石井さん。そういうのいいですよ、本当は怖くないでしょう」

いつの間にか輪に入っていた瑠奈子が冷静に口撃する。

「怖いんだって! 僕、ホラゲー、絶対に1人じゃできないよ」
「あ、裏の世界にいった、バッドエンドかぁ」

葉子は小さな声を出した。

パソコンにはエンドの文字が映されていた。

「ねえ、ここの席座るんでしょう? 隣いいかな?」

若いちゃんねーだ。いやこの言い方だと古い気がしたので思い直そう、若いお姉さんだ。
黒髪でショートカット、美人だ。化粧はしていない。何故このデイケアに来ているのか気になった。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「あーしの顔になにかついてる?」
「あ、別に!」

優陽は視線をそらす。

「可愛いからだよね?」

近くの舞桜が茶化す。

「そうだけど、そうじゃなくて。えっと、なんでデイケア来ているのかなって思いまして」
「あーしの家族は皆、精神病患者で、あーしは特別支援学校に通ってたの。働き口はなかなか見つからなくて、フリーターしててね。去年くらいから精神を病んじゃって、生活保護をもらいながら働いてるの。デイケアは週に1回くらいの頻度で来てるの。あんたは?」
「僕はずっと引きこもりで、母親に進められてここに」
「その割には人と話せるじゃない。すごいね、いつから引きこもってたん?」
「32歳までは働いていました、今41ですし。人と話すのは得意じゃないんですよ」
「だと思った。汗やばいね」
「激辛ラーメン食べたみたいになってるよ」
「からかわないでください」
「何で敬語なの? 私より上なのに」
「そりゃ緊張しますもん」
「女性慣れしてないの? 童貞かよ」
「……モリコ、やめろよそういうノリ!」

舞桜は真剣な顔で突っ込む。

「モリコ?」
森越藍もりこしあいっていうんです、皆モリコと呼んでます」
「モリコさん、僕、彼女はいたことあるけどそんな空気にならなくて、守りを固めています」
「ブハッ、守り固めるなよ、女かよ」

モリコは吹き出して笑った。
他の周りの人は前を向いていた。

「はい、それでは朝のミーティングを始めます。おはようございます」

俊は機械的に言葉を選んでいるようだった。

「「「おはようございます」」」
「司会をしてくれる方」

「はい」とイヌタンが手をあげた。

「ありがとうございます」
「皆さん、おはようございます、今日の活動は午前カフェ、クラフト、午後カフェミーティング、健康診断です。今日も暑いので熱中症に気をつけましょう。それでは上ー、右ー、左ー」

イヌタンはまた呪文のように体操の言葉をいい出した。

「石井さんは見てて、覚えればいいよ」

モリコはそう言うと、腕をくねくね動かしている。そしてラジオ体操が始まった。
「カフェってなんでしょう?」
「接客役の人が飲み物を振る舞うの。注文取りに来てくれるから、待ってればいいだけ。1人2杯までだから」

各テーブルにメニュー表が配られた。

「同じ物2杯でもいいんですか?」
「いいんだよ、好きなもの頼みな」

モリコはメニュー表を優陽に渡した。
メニュー表にはオレンジジュース、ホットコーヒー、アイスコーヒー、飲むヨーグルト、野菜ジュース、野菜スープと書かれている。

「何を飲みますか?」

猫耳のカチューシャにエプロンをつけた店員役の瑠奈子が聞きに来た。葉子も猫耳をつけて接客していた。

「アイスコーヒー」
「2杯ともですか?」
「2杯ともです」
「少々お待ちください」

瑠奈子は注文表に書いている。

「あーしは飲むヨーグルトと野菜スープね」
「はーい」

瑠奈子はキッチンの方へ歩いていった。
優陽は葉子にお似合いですというと、頬を上気してありがとうございますと言われる妄想をしていた。
「あんた何ニヤついてるのよ」
「別に普通ですよ」
「ふうん、ああ言うのが好みなんだ」
「え?」
「え? じゃないカマトトぶってんじゃないよ」
「誰にも言わないでください」
「どーしよっかなー」
「石井さん、アイスコーヒーおまたせしました」

飲み物を運ぶ葉子の口が綻びる。

「あ、えっと、あの」
「森越さんもおまたせです」
「ありがとう」
「では、ごゆっくりどうぞー」

葉子のあまりの可愛さに口をボンドで止められたようにうまく回らなかった。

「可愛いよね、石塚さん」
「かあああああー」
「何言ってるの? 語彙力消滅したの?」
「あああわいいですね」
「ああ、ためてたのね」
「モテそうー」
「隠れファンが多いからね、逆にあーしとかどう?」
「なんか嫌です。石塚さんのほうが小町娘っぽいというか」
「いーっちゃお、いっちゃお」
「やめてください」
「冗談よ。でもさ、不倫になるんじゃない?」
「え? やっぱり結婚してるの?」
「産休に入るようなことをちらっと聞いたけど」

モリコの声が遠のいていく。
子供がいるというのか。神様はなんて残虐なことをするのか。いや待て、噂なだけで違うかもしれない。これは直接聞くしかない。

佐藤とミルクの入ったアイスコーヒーは暑かった身体と心をひやしていく。
葉子は忙しそうにあちこち飛び回っている。
帰りに聞いてみよう。

「カフェミーティングって何をするんですか?」
「次回のカフェのことを、店員役の人達が話し合うの。あと、健康診断も任意の人だけだからね」
「ほぇー」
「その間抜け面どうにかしたほうがいいんじゃない?」
「ひどいですよ、至って平常運転なのに」
「いやなんかキモくて、ごめん、それが真顔ね」
「別にいいですけど」

カフェが終わってピアノの音が聞こえてきた。

父親の太陽が弾いていた曲だ。確か、月光第3楽章。
ケータイで調べるとまさしくその曲だった。

「誰が弾いているんだろう?」

ピアノを弾いているのは40代くらいの女性だった。一本に縛ってある白髪が目立っている。

橋場真子はしばまこさん、来たらいつも弾いているよ」

モリコはそれだけ言うとケータイをいじくる。

「ふうん」

優陽もケータイをいじることにした。

時間は流れ、給食の時間になった。
三つ葉の添えられたカツ丼にすまし汁、たくあん、スイカ。
食事は美味しかった。
そして、午後の活動へ。
優陽は血圧と体重を測る。
血圧は110で普通だ。体重は75キロと変わらず、身長は172センチメートルだった。
背が少し伸びていて嬉しかった。しかし、筋肉のないポヨンポヨンの身体だ。
ケータイをいじって時間を潰す。麻雀に誘われたがやり方がわからず断念した。
14時45分、帰りのミーティングが行われた。
司会は尚人が手をあげた。
一人一人感想を聞かれる。

「二日目ですが、優しくしてくれてありがとうございました」

刹那、優陽は表情筋が固いのに気がつく。
無事ミーティングも終わり、皆が帰るのを待った。
片付けをしている葉子に声をかけた。

「話したいことがあるんですけど」
「なにかありましたか?」
「あの、お腹の中に子供がいるって本当ですか?」
「まあ、誰から聞いたの? そうですけど」

葉子の笑顔が歪んだ。ピキッという音が聞こえるかのように顔色が変わった。

「産休に入るんですか?」
「そのうちね、何でそんな事聞いてくるの?」
「単刀直入にいいます。結婚しているんですか?」
「結婚はしてないです」
「なんでですか? 逃げられたんですか?」
「だ、だからプライベートなことなので」

葉子は涙目で俯いた。

「あ、すみません。何かあったら僕に相談してください」
「ありがとう。気をつけて帰ってね」

葉子はスタッフルームに帰っていった。
結婚してないのに子供がいるとはどういうことだろう?
彼氏が不慮の事故にあったか、逃げられたのか?
葉子となんとなく気まずくなってしまった。
昨日、初対面だったのに話すわけ無いか……。
当面の間、シングルマザーってことか。
優陽はしばらく歩き、早々と帰りの電車に乗った。

「優陽ーー! 出た! Gが! キッチンよ!」

家の帰り道でエプロン姿の美優と出会い頭に鉢合わせた後、2人は帰路についた。

「ゴキブリごときで何を怯えてるんだか。引きこもってた頃はよく見かけたよ」
「まったくもう、ドヤ顔で言うことじゃないよ」
「まあな!」

優陽は家につくと殺虫スプレーを片手にキッチンへ向かった。
ゴキブリは流しの上の水を飲んで休憩していた。

「お、いたいた」

優陽はゴキブリに殺虫スプレーをかける。
ゴキブリは流しの上で少し暴れて、動かなくなった。

「外に捨ててきてくれる?」
「はいはい」
「あーー良かった、私、死ぬかと思ったよ」
「怖がりすぎだ」

優陽はキッチンペーパーでつかんでゴキブリを外に放り投げた。キッチンペーパーを燃えるゴミに捨てる。

「あのさ、例の人、子供妊娠してるんだって」
「あー、不介入でいなさい」
「結婚はしてないらしいんだ」
「あなたさあ、ちょっとは人の気持ちを考えなさい」
「考えてるよ!」
「だったら、どうすればいいか分かるでしょう?」
「僕の方からは少し距離を置くよ」
「うん、余計な詮索しないこと! いいね?」
「はいはい。ところで今日の晩ごはんは?」
「カレーでーす」
「カレー、どうせ辛口だろ」
「辛くないと実感ないでしょ?」
「なくていいんだよ」
「大体、甘口のカレー食べたことないでしょ? 石井家のカレーはカレーのよ」
「背筋が寒くなってきた」

優陽はケータイを見る。時刻は16時になっていた。

「そろそろご飯炊くね」

美優はビニール手袋をつけ、夕食の準備に取り掛かった。

「僕は2階に行ってるから」
「できたら呼ぶから、降りてきてね」
「はいはい」

優陽は階段を上がり、部屋に入った。
葉子の顔が頭から離れない。ぶっちゃけて言えたらどんなに楽だろうか。

「伝えたらきっと困らせてしまう」

ケータイのアプリで相談しよう。

「デイケアでスタッフの1人を好きになってしまいました。気持ちを抑える方法か楽にする方法を教えて下さい……っと」

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コメントがついた。

『まずは精神的に落ち着いて、好意を持っているスタッフ以外のスタッフに相談するのがいいかもしれません。ファイトです!』
「そうだな、違うスタッフに話してみるのもいいな」

優陽は返信をもらった人に返信をする。
少しずつだけど、人生に色がついた気がした。
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