僕が誰でも側にいて

紅花うさぎ

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静かだ……

ひと月ぶりに訪れたこの場所には相変わらず人の気配はない。使用人の数が少ないのはまだ母がここにいた時からだと聞いたが、それでも屋敷内の手入れは行き届いている。

母が幼い頃過ごしたという部屋は、僕が数日間過ごした時と何ら変わっていない。誰にも使われていないはずなのに、綺麗に掃除され、棚には美しい薔薇が飾られている。室内の灯りは消されたままでも、大きな窓から差し込む月の光で十分明るい。

静寂を破るように、遠くでドガンという爆発音が響いた。続いてもう一発。今度は少し近くで爆発音が聞こえる。

始まった。

急に明るさを増した窓の外を確認すると、綺麗に手入れされた庭園に大きな炎が見えた。一ヶ所ではなく数カ所同時に燃え上がる。と同時に窓の下が騒がしくなった。慌てた様子で屋敷へ向かってくるヴァシリーの私兵の姿が確認できる。再び屋敷の端で爆発が起こり、赤い炎がまきおこった。

早く来い。

窓の外では私兵が火を消そうとしているが無駄だろう。闇に紛れた黒装束の男達は、確実にこの屋敷を消滅させるため次々と火を放っている。屋敷が崩れ落ちるのも時間の問題だ。

「母様……ごめんなさい」
こんな方法しかとれない僕を許して欲しい。

早く来てくれ。
屋敷が崩れ落ちる前に……早く……

乱れた足音がしてドアが開いた。
部屋に足を踏み入れた途端、息を切らしたヴァシリーが大きく目を見開いた。
「マリ……アーヌ……」
よかった。この男には僕が母に見えているらしい。

この屋敷内で見た母の肖像画と同じ色のドレスを着て、母と同じ髪のウィッグをつけた僕は慈愛に満ちた笑みを浮かべヴァシリーを見つめる。

「マリアーヌ……どうして……どうして私を置いて行った?」
虚な瞳でヨロヨロしながら近づいてくるヴァシリーは僕を見ているのか、それとも幻覚を見ているのか? 焦点が定まっていない。

そうだ。こっちだ。こっちへ来い。
ヴァシリーを招くように手を差し出す。
「マリアーヌ……」
僕の手をヴァシリーが握った瞬間、抱きつくようにして反対の手でヴァシリーの背中にナイフを突き刺した。絶望の表情を浮かべたヴァシリーがよろけるように後ずさる。

「マリアーヌ……なぜ?」
刺された痛みで意識が覚醒したのだろう。虚ろだった目に微かに光がもどった。
「お前……アレクサンダーか? は、ははっ……やられた。アイツが裏切ったか」

僕の答えを待たなくても、ヴァシリーには全て分かったのだろう。ここへ来る前王妃に薬を盛られたことも、今屋敷に火を放っているのが王妃の影であることも。

本来なら警戒心の強いヴァシリーが僕を母と見間違えて近づいてくるはずなんてない。すべてヴァシリーが薬で朦朧としていたおかげだ。ヴァシリーの足元には背中の傷から流れ出した血が少しずつ溜まっていく。一撃で仕留めることは無理だったが、これならなんとか連れて逝けそうだ。

「無念だな……ははっ。マリアーヌ……再会は予定より早くなりそうだ」
「何言ってるんです。あなたが母様と同じところに行けるわけないでしょう。あなたは僕と一緒に地獄に行くんですよ」
「ははっ。地獄か……」
はぁっとため息をつきながら、ヴァシリーはズルズルと床へ座り込んだ。

「まぁいい。お前を道連れにできるのなら少しは気が晴れる。私からマリアーヌを奪った憎きハドリーから、お前を奪えたのだからな」

息苦しそうにしながらヴァシリーが瞳を閉じた。
意識を失ったのか? 顔は青白いが、その表情は憎らしいほどに穏やかだった。

いつの間にか部屋の中には煙の匂いが立ち込めている。数分もすればこの部屋も火に包まれるだろう。もうこの男も僕もここから逃げ出すのは不可能だ。

ヴァシリーを殺す手助けをしてもらうかわりに、僕はここで燃え尽きる。それが王妃と交わした約束だった。

「終わった……」

後のことはバークリーがうまく処理してくれるだろう。この計画に最後まで反対していたバークリーも、僕の決意のかたさに最後は折れた。偽物のアレクサンダーについても、父やキャロルの害になるようなら秘密裏に消してくれると約束してくれた。

大丈夫。やり残したことはない。

でもできるなら、もう一度だけでいい、父とキャロルに会いたかった。キャロルとフィリップに「兄様、大好き」と言われて左右から抱きつかれたかった。

それから……シリウスに会いたい!

結局シリウスに「好きだ」と言うことはできなかった。

シリウス……僕の光。

僕を愛していると言ったシリウスの気持ちを疑うつもりはない。それでもあっさりと婚約解消されたということは、その程度の想いだったということだ。たとえ生き残ったとしても、もうアレクサンダーとして生きていくことも、セスとして家族やシリウスの側にいることもできない。シリウスが他の誰かを愛しているのを見るのも耐えられない。それならやっぱりこのままここで燃え尽きる方が幸せだ。

ケホっ。
充満した煙で息が苦しい。けむたさで涙が滲む。
このままじわじわと死んでいくのは辛い。こんなことなら爆弾を一つもらっておけばよかった。ドカンと一瞬で消えることができたのに。

そんなことを考えながら最期の瞬間を待つ。

息が苦しくなり意識朦朧とし始めた時、突然はめ殺しの窓が突き破られた。飛び散るガラスと共に黒い塊が部屋に飛び込んでくる。

「アレクサンダー!!」

酸欠からくる苦しさが見せた幻覚だろうか。シリウスが僕の本当の名を呼び駆け寄ってくる。そんな事ありえないのに……

「おい、アレクサンダー、しっかりしろ」

「シリウス……」

なんて幸せな夢。たとえ幻だとしても、大好きなシリウスの腕の中で息絶えることができるなら最高の終わりだと言えるだろう。でも欲を言えば、シリウスの笑った顔が見たかった。

悲痛な表情で僕を抱き抱えるシリウスの頬に手を伸ばす。

「笑っ……シリ……ウ……」
もう喋る力すらなくなってきた。シリウスの声ももう聞こえない。

「シ……ウス……さよ……ら……だい……」
シリウス、さよなら。大好きだよ……

シリウスの腕の中ゆっくりと目を閉じた僕は幸せな眠りに落ちていった。
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