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07.その名は大島

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 その後私は兵士の処分を小隊の連中に任せ、少女を宿屋の薬師のもとへ連れて行った。幸いレイプは未遂で終わったが、捻挫や擦り傷を負っていたからだ。この世界に来て長いのだろうか。厳しい生活なのか長く伸びた髪には艶がない。粗末なドレスにエプロンを付けて、手は水仕事に荒れに荒れていた。

 少女は大人しくベッドに腰掛け、診察と治療を受けていたが、やがて遠慮がちに薬師に頭を下げた。

「手当てをしてくれてありがとうございます。そちらのお姉さんもありがとうございます」

 壁に背を預ける私にも目を向け、「あの……」と恐る恐る声をかける。

「私の言うこと、分かりますか?お姉さんは日本人ですか?」

 その時私はようやく少女の不便を悟った。私はこの世界の言語を不自由なく行使できる。ところがこの子とっては未知の外国語でしかないらしい。言語を不自由なく使いこなせるのは勇者のみの能力のようだ。

 私は少女を怖がらせぬよう優しく笑いかける。

「ええ、分かるわ」

 少女の顔が一瞬ぱっと明るくなった。ところがすぐに目を伏せてしまう。

「お、お姉さんもこの世界に召喚されたんですね? わ、私みたいに無理やり結婚させられるためですか?」

 私は目を瞬かせ少女を見つめた。何を言っているのかが分からなかった。いや、分かりたくはなかったのだろう。私も生物学的にはれっきとした女である。彼女の舐めた辛酸の味を理解できてしまった。

「わ、私、もうあの家に戻りたくはありません。もう、働くのは、男の人に抱かれるのは嫌です……!!」
「……っ!!」

 薬師が突如として立ち上がり椅子が倒れた。握り締められた拳が震えている。何事かと私と少女が目を剥いていると、薬師はさっとフードとローブを脱ぎ捨てた。こちらも黒髪に黒目の黄色味を帯びた肌――おまけに眼鏡をかけている。恐らく私と同年代、あるいは少し若い程度だろう。ただしその顔は半分が焼かれ無残なものとなっていた。

 少女がひっと息を呑む。

 彼も日本人だと言うのだろうか? なぜもっと早くに告白してくれなかったのか?

 薬師は懐からメモ帳とボールペン取り出した。どちらも間違いなく地球のものである。メモ帳は表も裏も使っているのか、既にボロボロとなっていた。医師は溜息を吐き椅子を立て直すと、ゆっくりと腰掛けメモ帳をめくった。すらすらと懐かしの日本語を書き付け私達に見せる。

『僕は大島省吾と申します。日本で外科医をしておりました』

 外科医!?

 これにはさすがに私も少女も驚いた。

『ただし声が出せません。……王妃に奪われました』

 大島医師は唇を噛み締め喉元を指差した。私と少女は口に手を当て絶句する。十字に深く傷が刻み込まれており、喉元の一部が変形していた。刃物で声帯を抉られ潰されていたのだ。
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