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第1部
06.月光と睡蓮(1)
重く苦しい弔いの鐘が灰に曇る空に鳴り響く。わたしは寒くもないのにぶるりと身を震わせた。
樋野家は戦国の時代から家訓によりカトリックを信仰している。結婚式もお葬式も一二〇年の歴史のある教会で行っていた。樋野のママはパパと結婚する前ここで洗礼を受けたのだそうだ。だからと言って心までクリスチャンになったわけでもなく、天使のいるきれいな天国に行くのもいいわね――そんな程度の心得しかないのだと笑いながら言っていた。それからパパと結婚式を挙げたのだと言う。
わたしも結婚式はこの教会でやりたいと一樹君に言っていた。年月を重ね古びた壁も、磨き込まれた木造りの椅子も、優しく手を広げるマリア様の石像も、すべてが大好きだったからだ。けれども、今は体温のないその手がママの死を冷たく受け止めているように思えてならない。ママの棺はそんなマリア像のすぐ前の祭壇に安置されていた。
ママが、ママが、こんなふうに死んでいいはずがないのに。
わたしは信じられない思いで棺の中のママを見つめた。ママはきれいに死に化粧をされ、眠っているようにしか見えない。百合に囲まれまるで白雪姫みたいだった。死因は風邪をこじらせた末の肺炎だった。健康なら何でもない病気がママの命を奪ったのだ。
「つい一昨日まで元気だったのに」
わたしは棺の縁に縋り付いた。
「ママ、ねえ、嘘でしょう?ママ……」
わたしはママの手で育てられてはいない。けれども、あの洋館に遊びに行くたび、たっぷりの優しさを感じることができた。ママがまだ立って歩けたころには、クッキーにパフェにケーキ、いろんなお菓子を作ってくれたものだ。
「瑠奈……」
一樹君がわたしの肩を背後から支える。
「うっ……うっ……」
わたしは堪え切れずに両手で顔を覆い嗚咽を洩らした。ママの体はもうじき出棺し火葬にされる。これが永遠のお別れになるだなんて信じたくなかった。黒いワンピースなんて、喪服なんて着たくなかった。あと一週間――一週間でわたしのドレス姿を見せてあげたのに。ママの命はまだ一年はもつと聞いていたのに。
「行こう瑠奈。もうすぐ出棺だ」
一樹君がわたしを促したけれども、わたしは棺から離れることができなかった。
「瑠奈、さあ」
「一樹さん、待ってください」
聞き慣れた声が間に割り込み、わたしの隣に陽が並んだ。陽はわたしの肩に手を回し、さりげなく一樹君の手を外してしまう。
「しばらく待っていただけませんか。この人は俺たちの母だったんです」
一樹君はしばらく目を瞬かせていたけれども、「あ、ああ、そうだな」と呟き三歩後ろに下がった。何かに気圧されたかのように黙り込む。陽はわたしの肩を抱く手に力を込め、棺に眠るママを静かに見下ろした。
「母さん」
陽の前髪がさらさらと零れ、ママとそっくりの美貌に影を落とす。
「俺と瑠奈を産んでくれてありがとう」
そして、薄い唇が声を出さずに次の言葉を紡いだ。
――モウ、ヨウズミダ。
わたしはそれを読み取ることができなかった。けれども、陽がぞっとするほど美しい微笑みを浮かべるのを見たのだ。
「あ、きら……?」
それはほんの一瞬で風のように過ぎ去り、本当に目にしたのかどうかすら分からなくなった。
「さあ、瑠奈、今度こそ母さんを連れて行こう」
陽がわたしの背に手を回す。
「大丈夫。俺がいる。瑠奈は、何も考えなくていい……」
樋野家は戦国の時代から家訓によりカトリックを信仰している。結婚式もお葬式も一二〇年の歴史のある教会で行っていた。樋野のママはパパと結婚する前ここで洗礼を受けたのだそうだ。だからと言って心までクリスチャンになったわけでもなく、天使のいるきれいな天国に行くのもいいわね――そんな程度の心得しかないのだと笑いながら言っていた。それからパパと結婚式を挙げたのだと言う。
わたしも結婚式はこの教会でやりたいと一樹君に言っていた。年月を重ね古びた壁も、磨き込まれた木造りの椅子も、優しく手を広げるマリア様の石像も、すべてが大好きだったからだ。けれども、今は体温のないその手がママの死を冷たく受け止めているように思えてならない。ママの棺はそんなマリア像のすぐ前の祭壇に安置されていた。
ママが、ママが、こんなふうに死んでいいはずがないのに。
わたしは信じられない思いで棺の中のママを見つめた。ママはきれいに死に化粧をされ、眠っているようにしか見えない。百合に囲まれまるで白雪姫みたいだった。死因は風邪をこじらせた末の肺炎だった。健康なら何でもない病気がママの命を奪ったのだ。
「つい一昨日まで元気だったのに」
わたしは棺の縁に縋り付いた。
「ママ、ねえ、嘘でしょう?ママ……」
わたしはママの手で育てられてはいない。けれども、あの洋館に遊びに行くたび、たっぷりの優しさを感じることができた。ママがまだ立って歩けたころには、クッキーにパフェにケーキ、いろんなお菓子を作ってくれたものだ。
「瑠奈……」
一樹君がわたしの肩を背後から支える。
「うっ……うっ……」
わたしは堪え切れずに両手で顔を覆い嗚咽を洩らした。ママの体はもうじき出棺し火葬にされる。これが永遠のお別れになるだなんて信じたくなかった。黒いワンピースなんて、喪服なんて着たくなかった。あと一週間――一週間でわたしのドレス姿を見せてあげたのに。ママの命はまだ一年はもつと聞いていたのに。
「行こう瑠奈。もうすぐ出棺だ」
一樹君がわたしを促したけれども、わたしは棺から離れることができなかった。
「瑠奈、さあ」
「一樹さん、待ってください」
聞き慣れた声が間に割り込み、わたしの隣に陽が並んだ。陽はわたしの肩に手を回し、さりげなく一樹君の手を外してしまう。
「しばらく待っていただけませんか。この人は俺たちの母だったんです」
一樹君はしばらく目を瞬かせていたけれども、「あ、ああ、そうだな」と呟き三歩後ろに下がった。何かに気圧されたかのように黙り込む。陽はわたしの肩を抱く手に力を込め、棺に眠るママを静かに見下ろした。
「母さん」
陽の前髪がさらさらと零れ、ママとそっくりの美貌に影を落とす。
「俺と瑠奈を産んでくれてありがとう」
そして、薄い唇が声を出さずに次の言葉を紡いだ。
――モウ、ヨウズミダ。
わたしはそれを読み取ることができなかった。けれども、陽がぞっとするほど美しい微笑みを浮かべるのを見たのだ。
「あ、きら……?」
それはほんの一瞬で風のように過ぎ去り、本当に目にしたのかどうかすら分からなくなった。
「さあ、瑠奈、今度こそ母さんを連れて行こう」
陽がわたしの背に手を回す。
「大丈夫。俺がいる。瑠奈は、何も考えなくていい……」
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