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第1部
07.月光と睡蓮(2)
ママの緊急入院からお葬式、それから教会墓地への納骨が終わるまで、パパは表情ひとつ変えることなく淡々と手続きを済ませた。むしろ、なぜか荘田の両親のほうがひどく狼狽していたほどだ。だからいったん近親だけであの洋館に戻ったとき、パパの人を殺しかねない態度に驚いたのだ。
「この馬鹿者がぁっっっ!!」
洋館東にある書斎――「月光の間」からパパの怒声と、続いて破壊音が派手に響き渡った。居間で軽食を取っていた一樹君と、陽と、わたしは何事かと月光の間へ飛んで行った。
「パパ、何があっ……」
わたしは扉を開け室内の惨状に絶句する。専属の庭師として樋野家に親子二代で仕えてくれ、今年二五歳になったばかりの高野さんが倒れている。高野さんは壁に強く叩き付けられ、ぐったりと床に伸びてしまっていた。頬にはいくつもの切り傷と青痣がついている。
「高野さん!? どうしたの!?」
わたしは高野さんに駆け寄り抱き起した。
「う……」
繰り返しパパから殴られたのだろう。口から血が溢れ出ている。
舌を噛んでいたら大変だ。
「高野さん、ちょっとごめんね」
わたしはとっさに高野さんの頭を膝に乗せ、口を開け中を確認する。陽と一樹君が背後でわたしの行動に絶句し、立ち尽くしているのには気付かなかった。
「よかった。何ともない」
「お、お嬢様……」
高野さんがわたしの腕の中でうっすらと目を開ける。わたしは胸を撫で下ろしきっとパパを睨んだ。
「パパ、ママのお葬式の日に何をしているの!? いくら悲しいからって、高野さんに八つ当たりだなんて最低だわ!」
「瑠奈、すぐに高野から離れろ。そいつが真理子を殺したんだ!!」
え、と思わず三人揃って高野さんを見下ろす。
「そいつのせいで真理子は死んだ!」
高野さんは弱々しく頷き涙声になった。
「お嬢様、そのとおりなんです……」
三人の目が驚きに見開かれる中、嗚咽混じりに顔を覆いしゃくり上げる。
「お、おれが忘れなければ……」
くだらない不注意だったと呟く。
ママは長らく「薔薇の間」で臥せっていたのだけれども、五日前「少しだけでも庭園とそこに咲く花々を見たい」と言い出した。そこで剪定のために外を通りかかった高野さんに頼み、窓を開け放ち初秋の景色と空気を楽しんでいたのだ。悲劇は高野さんがそのまま窓を閉めるのを忘れ、手入れを終え帰ってしまったことにある。更にはいつもの夜には洋館の点検に回るメイドさんも、その夜に限って急用で帰ってしまい誰もいなかったのだ。
その夜は珍しく冷えていた。結果ママはその冷えで風邪を引き、肺炎にまで悪化して命を落としたのだ。
「高野、覚悟しておけ。どんな手を使ってもお前を抹殺してやる。恩を仇で返したな!!」
こんなに怒るパパを見たのは初めてだった。パパは樋野家の当主としては冷静で隙がなく、どんな敵も切り伏せる人だと思い込んでいた。そんなパパだからこそママを、一切の駆け引きもなく愛せる伴侶を必要としていたのだと、わたしにはまだ分からなかったのだ。
「あれの、真理子の命が長くないことは私も覚悟していた」
パパの声が急に弱まる。
「せめて病院ではなくこの家で穏やかに死なせてやりたかった……」
月光の間に重い沈黙が伸し掛かる。高野さんの荒い息だけが聞こえていた。誰も、何を言えばいいのかが分からない――そんな凍り付いた時を動かしたのは陽だった。
足音もなくパパの前に進み出ると、黒い瞳で静かにパパを見つめる。その立ち姿に喪服姿が異様に映え、怖いくらいにきれいに見えた。同時に、わたしは陽がパパの背を追い越したことに気が付く。陽はそんなわたしを背に口を開きゆっくりと告げた。
「父さん、高野を責めても母さんは帰って来ません」
冷たさすら感じさせる声だった。
「母さんもそのようなことは望んでいないでしょう。いつもの樋野家当主はどうしました?」
パパははっと息を呑み目を落とした。
「不注意はあなたにも、俺にも誰にでもあることです。この一件は飽くまで内密にしましょう。一樹さんも、瑠奈もいいですね?」
感情的に激怒してしまったことを自覚し、冷静な息子にいたたまれなくなったのだろうか。パパは重苦しい足取りで書斎から出て行った。緊張が一気に解けわたしたちは溜息を吐く。高野さんはわたしの胸から体を起こし、陽の前に這いよりそのまま土下座をした。
「陽様、このご恩は忘れません」
それは誓約であり宣言だった。
「おれは、一生陽様にお仕えします」
「……」
陽はそんな高野さんに返事すらせず、感情のない眼差しで見下ろしていた。
「この馬鹿者がぁっっっ!!」
洋館東にある書斎――「月光の間」からパパの怒声と、続いて破壊音が派手に響き渡った。居間で軽食を取っていた一樹君と、陽と、わたしは何事かと月光の間へ飛んで行った。
「パパ、何があっ……」
わたしは扉を開け室内の惨状に絶句する。専属の庭師として樋野家に親子二代で仕えてくれ、今年二五歳になったばかりの高野さんが倒れている。高野さんは壁に強く叩き付けられ、ぐったりと床に伸びてしまっていた。頬にはいくつもの切り傷と青痣がついている。
「高野さん!? どうしたの!?」
わたしは高野さんに駆け寄り抱き起した。
「う……」
繰り返しパパから殴られたのだろう。口から血が溢れ出ている。
舌を噛んでいたら大変だ。
「高野さん、ちょっとごめんね」
わたしはとっさに高野さんの頭を膝に乗せ、口を開け中を確認する。陽と一樹君が背後でわたしの行動に絶句し、立ち尽くしているのには気付かなかった。
「よかった。何ともない」
「お、お嬢様……」
高野さんがわたしの腕の中でうっすらと目を開ける。わたしは胸を撫で下ろしきっとパパを睨んだ。
「パパ、ママのお葬式の日に何をしているの!? いくら悲しいからって、高野さんに八つ当たりだなんて最低だわ!」
「瑠奈、すぐに高野から離れろ。そいつが真理子を殺したんだ!!」
え、と思わず三人揃って高野さんを見下ろす。
「そいつのせいで真理子は死んだ!」
高野さんは弱々しく頷き涙声になった。
「お嬢様、そのとおりなんです……」
三人の目が驚きに見開かれる中、嗚咽混じりに顔を覆いしゃくり上げる。
「お、おれが忘れなければ……」
くだらない不注意だったと呟く。
ママは長らく「薔薇の間」で臥せっていたのだけれども、五日前「少しだけでも庭園とそこに咲く花々を見たい」と言い出した。そこで剪定のために外を通りかかった高野さんに頼み、窓を開け放ち初秋の景色と空気を楽しんでいたのだ。悲劇は高野さんがそのまま窓を閉めるのを忘れ、手入れを終え帰ってしまったことにある。更にはいつもの夜には洋館の点検に回るメイドさんも、その夜に限って急用で帰ってしまい誰もいなかったのだ。
その夜は珍しく冷えていた。結果ママはその冷えで風邪を引き、肺炎にまで悪化して命を落としたのだ。
「高野、覚悟しておけ。どんな手を使ってもお前を抹殺してやる。恩を仇で返したな!!」
こんなに怒るパパを見たのは初めてだった。パパは樋野家の当主としては冷静で隙がなく、どんな敵も切り伏せる人だと思い込んでいた。そんなパパだからこそママを、一切の駆け引きもなく愛せる伴侶を必要としていたのだと、わたしにはまだ分からなかったのだ。
「あれの、真理子の命が長くないことは私も覚悟していた」
パパの声が急に弱まる。
「せめて病院ではなくこの家で穏やかに死なせてやりたかった……」
月光の間に重い沈黙が伸し掛かる。高野さんの荒い息だけが聞こえていた。誰も、何を言えばいいのかが分からない――そんな凍り付いた時を動かしたのは陽だった。
足音もなくパパの前に進み出ると、黒い瞳で静かにパパを見つめる。その立ち姿に喪服姿が異様に映え、怖いくらいにきれいに見えた。同時に、わたしは陽がパパの背を追い越したことに気が付く。陽はそんなわたしを背に口を開きゆっくりと告げた。
「父さん、高野を責めても母さんは帰って来ません」
冷たさすら感じさせる声だった。
「母さんもそのようなことは望んでいないでしょう。いつもの樋野家当主はどうしました?」
パパははっと息を呑み目を落とした。
「不注意はあなたにも、俺にも誰にでもあることです。この一件は飽くまで内密にしましょう。一樹さんも、瑠奈もいいですね?」
感情的に激怒してしまったことを自覚し、冷静な息子にいたたまれなくなったのだろうか。パパは重苦しい足取りで書斎から出て行った。緊張が一気に解けわたしたちは溜息を吐く。高野さんはわたしの胸から体を起こし、陽の前に這いよりそのまま土下座をした。
「陽様、このご恩は忘れません」
それは誓約であり宣言だった。
「おれは、一生陽様にお仕えします」
「……」
陽はそんな高野さんに返事すらせず、感情のない眼差しで見下ろしていた。
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