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第1部
08.月光と睡蓮(3)
ママが亡くなり早くも二ヶ月が過ぎた。神戸の街はクリスマス一色で、ツリーや電飾が人の心を明るくしている。それでも、わたしの心には拭い切れない影があの日以来かかっていた。
婚約式の予定も流れてしまい既に急ぐ理由もない。わたしと一樹君との関係は一見良好だ。それでも、以前はなかった紙一枚の距離を感じる。わたしも一樹君もどうにかしなければと焦っていた。そんな中、一樹君がいつものカフェでとある提案をしたのだ。
店内のBGMは既にクリスマスソングになっている。神様でも生でも死でも祈りでもなく、ただ愛と恋と夢とをクリスマスにかけて歌っていた。同じカップルや友達同士のお喋りがそれに重なる。一樹くんはそんなカフェでのテーブル越しに、またあの時のように真剣な目でわたしを見つめた。
「瑠奈、クリスマスイブ、時間は空いている?」
わたしは「ふぁ?」と間抜けな声を出した。口にはアップルパイを放り込んだままだ。
「ははっ。瑠奈は甘いものに相変わらず目がないな」
一樹君は久々に楽しげに笑い、わたしの頬からパイの欠片を取った。そのまま食べてしまう。
「もし空いているなら、二人きりで泊まらないか?」
「え……」
その意味が分からないほどわたしは子どもではない。一樹君は珍しく目を伏せ、自信なさげにぽつりと呟く。
「君と確かな絆が欲しい」
「……」
「瑠奈、君が好きなんだ」
一樹君は縋るようにわたしの目を覗き込む。断るなんて選択肢は残されてはいなかった。わたしは一樹君を失いたくはなかった。だから、胸にこびり付く戸惑いを押さえつけ、「うん」と初めて作った明るい声で頷いたのだ。
「お父さんとお母さんをどうやって誤魔化したらいいかしら?」
*
――いよいよ明日がクリスマス・イブだ。
わたしはよく寝つけずベッドの中で寝返りを打った。明日、わたしと一樹君は結ばれる。待ち望んでいたはずなのに、なぜか心がいつまでも晴れない。まだ覚悟がつかずに怯えてばかりいる。
「はぁ……」
わたしは陽から去年プレゼントされた、シュタイフ社のテディベアを抱き寄せた。お腹に顔を埋めひとり言を呟く。
「やっぱり陽に相談してみようかな」
どうしようもなく恥ずかしいけれども、なぜか昔から年上の女の人にモテて、きっと海千山千の経験を持つ陽なら、笑いながらも答えを出してくれるかもしれない。昔からわたしの相談には快く乗ってくれていたもの。
わたしは枕元に置いたスマホを手元へと引き寄せた。午後一一時ならまだ陽は起きて勉強をしているはずだ。とりあえずはメッセージを打とう――そう考え画面を呼び出したとたんに、絶妙のタイミングで着信音が鳴り響いた。「G線上のアリア」のメロディが流れる。
「わっ……!」
わたしは驚きスマホを取り落としてしまった。
「こんな時間に何?」
慌ててシーツから拾い上げ、画面を操作し機器を耳に当てる。
「はい、もしもし?」
「荘田のお嬢様ですか?よかった。やっと繋がりました」
電話の向こうからは若い男の人の声がした。しかもどこかで聞き覚えのある声だ。
「ああ、まさか高野さん?」
高野さんはあれから庭師の仕事だけではなく、様々な雑用を取り仕切るようになったらしい。償いは生きて行えと陽が命じたのだそうだ。パパもそんな陽をとがめることはなかったのだと言う。おまけにこれが意外にも有能であり、パパも驚いていると聞いていた。わたしはその報告に複雑ではあったけれども、高野さんを恨む気にはなれないでいた。タイミングが少し違えば、わたしが高野さんの立場にいた――――そんな思いがあったからだ。
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「お嬢様、落ち着いてお聞きください。旦那様がお亡くなりになりました」
「え……?」
――一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
「ただ今屋敷に警察がおります。お嬢様も荘田のご両親とご一緒に一度来ていただけませんか」
婚約式の予定も流れてしまい既に急ぐ理由もない。わたしと一樹君との関係は一見良好だ。それでも、以前はなかった紙一枚の距離を感じる。わたしも一樹君もどうにかしなければと焦っていた。そんな中、一樹君がいつものカフェでとある提案をしたのだ。
店内のBGMは既にクリスマスソングになっている。神様でも生でも死でも祈りでもなく、ただ愛と恋と夢とをクリスマスにかけて歌っていた。同じカップルや友達同士のお喋りがそれに重なる。一樹くんはそんなカフェでのテーブル越しに、またあの時のように真剣な目でわたしを見つめた。
「瑠奈、クリスマスイブ、時間は空いている?」
わたしは「ふぁ?」と間抜けな声を出した。口にはアップルパイを放り込んだままだ。
「ははっ。瑠奈は甘いものに相変わらず目がないな」
一樹君は久々に楽しげに笑い、わたしの頬からパイの欠片を取った。そのまま食べてしまう。
「もし空いているなら、二人きりで泊まらないか?」
「え……」
その意味が分からないほどわたしは子どもではない。一樹君は珍しく目を伏せ、自信なさげにぽつりと呟く。
「君と確かな絆が欲しい」
「……」
「瑠奈、君が好きなんだ」
一樹君は縋るようにわたしの目を覗き込む。断るなんて選択肢は残されてはいなかった。わたしは一樹君を失いたくはなかった。だから、胸にこびり付く戸惑いを押さえつけ、「うん」と初めて作った明るい声で頷いたのだ。
「お父さんとお母さんをどうやって誤魔化したらいいかしら?」
*
――いよいよ明日がクリスマス・イブだ。
わたしはよく寝つけずベッドの中で寝返りを打った。明日、わたしと一樹君は結ばれる。待ち望んでいたはずなのに、なぜか心がいつまでも晴れない。まだ覚悟がつかずに怯えてばかりいる。
「はぁ……」
わたしは陽から去年プレゼントされた、シュタイフ社のテディベアを抱き寄せた。お腹に顔を埋めひとり言を呟く。
「やっぱり陽に相談してみようかな」
どうしようもなく恥ずかしいけれども、なぜか昔から年上の女の人にモテて、きっと海千山千の経験を持つ陽なら、笑いながらも答えを出してくれるかもしれない。昔からわたしの相談には快く乗ってくれていたもの。
わたしは枕元に置いたスマホを手元へと引き寄せた。午後一一時ならまだ陽は起きて勉強をしているはずだ。とりあえずはメッセージを打とう――そう考え画面を呼び出したとたんに、絶妙のタイミングで着信音が鳴り響いた。「G線上のアリア」のメロディが流れる。
「わっ……!」
わたしは驚きスマホを取り落としてしまった。
「こんな時間に何?」
慌ててシーツから拾い上げ、画面を操作し機器を耳に当てる。
「はい、もしもし?」
「荘田のお嬢様ですか?よかった。やっと繋がりました」
電話の向こうからは若い男の人の声がした。しかもどこかで聞き覚えのある声だ。
「ああ、まさか高野さん?」
高野さんはあれから庭師の仕事だけではなく、様々な雑用を取り仕切るようになったらしい。償いは生きて行えと陽が命じたのだそうだ。パパもそんな陽をとがめることはなかったのだと言う。おまけにこれが意外にも有能であり、パパも驚いていると聞いていた。わたしはその報告に複雑ではあったけれども、高野さんを恨む気にはなれないでいた。タイミングが少し違えば、わたしが高野さんの立場にいた――――そんな思いがあったからだ。
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「お嬢様、落ち着いてお聞きください。旦那様がお亡くなりになりました」
「え……?」
――一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
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