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第1部
38.太陽と月(6)
夏の夕暮れは秋の夕暮れより悲しく感じるのはなぜなのだろうか。蝉の声も陽の光も徐々に和らぎ、やがて来る夜の訪れを思わせられる。
――ああ、そうだ。
わたしは目を閉じかすかに吹く風に身を任せた。昼には眩しいほどに感じる日や命の輝きや煌めきが、ゆっくりと夕日に溶けて行くのが、人の死にも似ているからだ。赤と紫の入り混じる西の空には、輪郭の曖昧な三日月も浮かんでいる。もしわたしが神様ならあの太陽から月までを切り取り、一枚の絵にしてその生と死の交差する光景を永久とわに留めようとするだろう。
ここは神戸の街並みが一望できる展望台のひとつだ。辺り一面に芝生が植えられ柵が張り巡らされている。昔から悲しい時にはよくここに来ていた。最後に来たのは半年前だったように思う。荘田の両親にリストラと借金を何とかしてくれと迫られ、ひとりで泣きながら街を見下ろしていたのだ。
今日は週末だと言うのになぜか人が少ない。夕食も間近な時間だからだろうか。こんな景色を二人占めだなんて贅沢だと微笑みが零れる。
「今日の夕焼け、すごくきれいだね」
わたしは柵の前のベンチに腰を下ろした。一樹君も一瞬躊躇した後少し間を取り隣に座る。
「二人きりって半年ぶりだね。……もうすごく昔の話みたい」
昔、と言う言葉に一樹君の肩がピクリと動いた。
「そう言えばここに一樹君と来るのは初めてだよね?」
そして――今日で最後だ。
「……今までありがとう」
わたしは顔を伏せその思いを告げる。別れをわたしが告げる日がくるだなんて、一年前には考えたこともなかった。
「一樹君と恋ができて嬉しかった。初恋の両想いだったから」
「な……んでっ」
驚愕し、逆上したのか一樹君がわたしの肩を掴んだ。
「瑠奈、僕を見てくれ。僕はまだ終わらせたくない」
一樹君がそう頼むのならと、わたしは薄茶の双眸を見上げる。
「僕が君を信じてやれなかったからか?」
「……」
わたしは静かに首を振った。
「あれは……仕方ないよ。信じられなくて、当たり前だと思う」
「……っ」
一樹君の顔が悔しそうに歪む。
「だったらどうして……。もう一度やり直せないのか。陽君に……抱かれたから? それだって君の意志じゃなかったんだろう?」
「……」
半分は正解だ。
ここにいるのは一樹君の知る昔のわたしじゃない。一度バラバラに壊れ繋ぎ直したわたしに似た何かだ。わたしに似た何かであるわたしは、一樹君に――男の人に触れられるのがひどく怖い。こうして肩を掴まれただけで、心臓が壊れそうなほど鳴っている。すぐにでも振り払って逃げ出してしまいたい。
また恋人に戻ってしまったら、一樹君はとても優しい人だから、わたしを癒してくれようとするだろう。けれどもわたしはその度に一樹君を傷つける。手を繋ぐこともキスもできずに拒んでしまう。この痛みが癒えるのには時間がかかるか、一生治らないのかもしれない。
一樹君にはそんなわたしよりも、もっと明るくて元気な――普通の女の子が似合う。一樹君はとても素敵な人だから、すぐに可愛い恋人ができるに違いない。今は苦しいけれどもいつかはきっと祝福できる。
――そう思いたかった。
わたしは心を隠しまた首を振る。
「ううん、それは、関係ないの。ただ陽がわたしを守ってくれた分、今度はわたしが陽を守らなくちゃ」
もう半分の理由がそれだ。一樹君がなぜ?と唇を動かす。
「守る? 瑠奈、君は何を言って……。あいつは、瑠奈の両親を死に追いやったのかもしれないんだぞ!? 何から守るって言うんだ!?」
「……」
わたしは目を閉じ出会ったばかりの陽の泣き顔を思い浮かべる。
「……それでもわたしだけが陽を守れるの。陽が幸せじゃないと、わたしも幸せになれない」
陽がわたしの大切だった人たちを殺したかもしれない――その事実はショックだったけれども、わたしは静かに受け入れてもいた。なぜなら陽の罪はわたしの罪だからだ。陽が背負う罪の半分はわたしも背負う。半分はわたしが償う。陽はわたしの半身なのだから。
それに――。
わたしは目から一筋の雫が零れるのを感じた。
「陽はね……汚れたわたしでも、裏切ったわたしでも、壊れたわたしでもいいって言うの。どんなわたしでもわたしがわたしであればいいって言うの」
一樹君がはっきりと息を呑んだ。わたしは一樹君の手が肩から離れたのを見計らい、ゆっくりと立ち上がる。深々と頭を下げ胸いっぱいの思いを告げた。
「わたしを好きになってくれてありがとう」
あなたはわたしの最初で最後の恋人でした。一緒に未来を見たいと思ったひとでした。一生分の幸せな思い出をくれてありがとう。
わたしは体を起こすと「大好きだよ」の代わりにこう言った。きっと、今までで一番の笑顔を浮かべていたと思う。
「――一樹君、ばいばい」
さようなら。ありがとう。さようなら。
――ああ、そうだ。
わたしは目を閉じかすかに吹く風に身を任せた。昼には眩しいほどに感じる日や命の輝きや煌めきが、ゆっくりと夕日に溶けて行くのが、人の死にも似ているからだ。赤と紫の入り混じる西の空には、輪郭の曖昧な三日月も浮かんでいる。もしわたしが神様ならあの太陽から月までを切り取り、一枚の絵にしてその生と死の交差する光景を永久とわに留めようとするだろう。
ここは神戸の街並みが一望できる展望台のひとつだ。辺り一面に芝生が植えられ柵が張り巡らされている。昔から悲しい時にはよくここに来ていた。最後に来たのは半年前だったように思う。荘田の両親にリストラと借金を何とかしてくれと迫られ、ひとりで泣きながら街を見下ろしていたのだ。
今日は週末だと言うのになぜか人が少ない。夕食も間近な時間だからだろうか。こんな景色を二人占めだなんて贅沢だと微笑みが零れる。
「今日の夕焼け、すごくきれいだね」
わたしは柵の前のベンチに腰を下ろした。一樹君も一瞬躊躇した後少し間を取り隣に座る。
「二人きりって半年ぶりだね。……もうすごく昔の話みたい」
昔、と言う言葉に一樹君の肩がピクリと動いた。
「そう言えばここに一樹君と来るのは初めてだよね?」
そして――今日で最後だ。
「……今までありがとう」
わたしは顔を伏せその思いを告げる。別れをわたしが告げる日がくるだなんて、一年前には考えたこともなかった。
「一樹君と恋ができて嬉しかった。初恋の両想いだったから」
「な……んでっ」
驚愕し、逆上したのか一樹君がわたしの肩を掴んだ。
「瑠奈、僕を見てくれ。僕はまだ終わらせたくない」
一樹君がそう頼むのならと、わたしは薄茶の双眸を見上げる。
「僕が君を信じてやれなかったからか?」
「……」
わたしは静かに首を振った。
「あれは……仕方ないよ。信じられなくて、当たり前だと思う」
「……っ」
一樹君の顔が悔しそうに歪む。
「だったらどうして……。もう一度やり直せないのか。陽君に……抱かれたから? それだって君の意志じゃなかったんだろう?」
「……」
半分は正解だ。
ここにいるのは一樹君の知る昔のわたしじゃない。一度バラバラに壊れ繋ぎ直したわたしに似た何かだ。わたしに似た何かであるわたしは、一樹君に――男の人に触れられるのがひどく怖い。こうして肩を掴まれただけで、心臓が壊れそうなほど鳴っている。すぐにでも振り払って逃げ出してしまいたい。
また恋人に戻ってしまったら、一樹君はとても優しい人だから、わたしを癒してくれようとするだろう。けれどもわたしはその度に一樹君を傷つける。手を繋ぐこともキスもできずに拒んでしまう。この痛みが癒えるのには時間がかかるか、一生治らないのかもしれない。
一樹君にはそんなわたしよりも、もっと明るくて元気な――普通の女の子が似合う。一樹君はとても素敵な人だから、すぐに可愛い恋人ができるに違いない。今は苦しいけれどもいつかはきっと祝福できる。
――そう思いたかった。
わたしは心を隠しまた首を振る。
「ううん、それは、関係ないの。ただ陽がわたしを守ってくれた分、今度はわたしが陽を守らなくちゃ」
もう半分の理由がそれだ。一樹君がなぜ?と唇を動かす。
「守る? 瑠奈、君は何を言って……。あいつは、瑠奈の両親を死に追いやったのかもしれないんだぞ!? 何から守るって言うんだ!?」
「……」
わたしは目を閉じ出会ったばかりの陽の泣き顔を思い浮かべる。
「……それでもわたしだけが陽を守れるの。陽が幸せじゃないと、わたしも幸せになれない」
陽がわたしの大切だった人たちを殺したかもしれない――その事実はショックだったけれども、わたしは静かに受け入れてもいた。なぜなら陽の罪はわたしの罪だからだ。陽が背負う罪の半分はわたしも背負う。半分はわたしが償う。陽はわたしの半身なのだから。
それに――。
わたしは目から一筋の雫が零れるのを感じた。
「陽はね……汚れたわたしでも、裏切ったわたしでも、壊れたわたしでもいいって言うの。どんなわたしでもわたしがわたしであればいいって言うの」
一樹君がはっきりと息を呑んだ。わたしは一樹君の手が肩から離れたのを見計らい、ゆっくりと立ち上がる。深々と頭を下げ胸いっぱいの思いを告げた。
「わたしを好きになってくれてありがとう」
あなたはわたしの最初で最後の恋人でした。一緒に未来を見たいと思ったひとでした。一生分の幸せな思い出をくれてありがとう。
わたしは体を起こすと「大好きだよ」の代わりにこう言った。きっと、今までで一番の笑顔を浮かべていたと思う。
「――一樹君、ばいばい」
さようなら。ありがとう。さようなら。
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