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幕間
M4.星空と初恋(4)
この八月が僕にとっては最後の高校での夏休み、そして最後の天文部での合宿になる。三日間は息抜きにもちょうどいい期間だ。今年の合宿先は和歌山の自然公園付近だ。空気が澄んでいるのか、神戸ではありえない満点の星空を仰げる。
ところで話は突然変わるが、この時期の野外での天体観測は、ヤブ蚊との果てしない戦いでもある。準備を怠ったが最後、肌が斑となる悲劇に見舞われるのだ。
「ギャー!また刺された!」
二年男子が悲鳴を上げた。
「虫よけスプレー全然ダメじゃない!! この辺の蚊、ガッツありすぎ!」
松本さんは背中を掻きむしっている。
「ぶちょぉ~~~。わたし、足が水玉になりました……。もうすぐ赤一色になりそうです~」
荘田さんは半分泣き顔だ。
――まさに地獄絵図である。
荘田さんは腕を掻きつつ僕に尋ねた。
「部長、部長はたぶんまだ一か所も刺されていないんですよね?」
「ああ……」
「その……その格好、暑くないですか」
「ああ、もちろん暑いさ」
僕は部の機材である望遠鏡から顔を上げ力無く笑った。
「人間、何かを得るためには何かを捨てなければならないんだ」
現在僕の格好は頭にキャップ、蜂避けのネット、長袖長ズボンの完全装備――ただし、被服気候は蒸しぶろ状態だった。
*
「あ~。ひでぇ目に遭った」
「まだ痒い……」
宿泊先であるホテルのロビーに戻り、僕らはその場で解散することになった。
「じゃあ、明日は予定通り園内散策と自然博物館の見学で。各自ウォーキング用シューズと小銭、水を忘れないようにな」
「了解っす」
部員らはそれぞれの部屋に戻っていった。ところが、荘田さんは少し迷った後、ロビーの自販機でジュースを買い、人気のない長椅子に腰を掛けたのだ。彼女の視線は一面がガラス窓となった壁に向いている。
僕はつい気になりロビーに引き返してしまった。
「喉が渇いた?」
「あ、部長」
荘田さんは僕を見上げにこりと笑った。
「星空を見足りなかったんです。ここからなら蚊もいないから」
ガラス越しの夜空を指差す。
「きれいに見えますね」
「ああ、そうだね」
僕は彼女の隣に腰を下ろした。何か話題は無いかと考え、これならばと改めて尋ねる。
「荘田さんはどうして天文部に入ろうと思ったの?」
荘田さんはふふっと笑いリンゴジュースを一口飲んだ。
そう言えば彼女はアップルパイに、リンゴジュースに、菓子類もアップル味ばかり食べている。クマに、リンゴに、星――可愛くて、甘くて、キラキラしたものが好きなのか。この子はそんなものでできているんだな。
ショートパンツからすらりと伸びた、細く白い足にもつい目が行ってしまう。荘田さんはその足をぶらぶらと揺らした。
「昔星のよく見えるお家で、仲のいいおとう……従弟から星の名前を教えてもらっていたんです。ハカセみたいに物知りな子なんですけど、神話も一緒に教えてくれて楽しかったんです。それがきっかけかな? 部長はどうですか?」
「そうだな……」
僕は窓を見上げその向こうに散る星々を眺めた。
「昔家族でのピクニックの帰りに、両親が玉突き事故で死んで、僕だけ生き残ったんだ。それから寂しくて泣いてばかりの僕に、祖母が教えてくれた」
――人は死ぬと皆星になるんだ。お前の両親も空でお前を見守っている。だから寂しいなんてことはないよ。
「それで毎日夜空を見上げて、父と母の星を探していた。きっかけと言えばそれかな」
僕はそこまで言いはっと口を押えた。
僕は過去をネタに近付く女を誰より嫌っていたはず。『わたしなら分かってあげる』だなんて安っぽい慰めを、お前に何ができると憎んでいたじゃないか。それをなぜ彼女には自分から話してしまったのか。第一いきなりこんなことを打ち明けられても困るだろう。重いと思われ嫌われるのがオチだ。
「ごめん。こんな話するべきじゃ――」
僕は慌てて謝りかけ、荘田さんがじっと僕を見つめているのに、更に動揺してしまった。
「星になる、かぁ」
彼女はぽつりと呟き花が綻ぶように微笑む。
「部長と陽はぜんぜん違うのに……同じこと言っている」
――陽?
「陽ってハカセな従弟なんですけどね。陽も人は死んだ後と生まれる前には、星になっているって言っていました。それ以外はウンチクばっかりだったのに」
彼女は「部長も同じだ」と笑いまた僕を見つめた。
「私も、人はいつか星になるんだと思います」
僕もその栗色の瞳を見つめ返してしまう。釣られて笑いながら、心に温かさが広がるのを感じていた。
彼女といると不思議と気持ちが安らぐ。下らない男としてのプライドや、親無しとバカにされてなるものかと――そんな風に気張る心が溶けて行くみたいだった。
ところで話は突然変わるが、この時期の野外での天体観測は、ヤブ蚊との果てしない戦いでもある。準備を怠ったが最後、肌が斑となる悲劇に見舞われるのだ。
「ギャー!また刺された!」
二年男子が悲鳴を上げた。
「虫よけスプレー全然ダメじゃない!! この辺の蚊、ガッツありすぎ!」
松本さんは背中を掻きむしっている。
「ぶちょぉ~~~。わたし、足が水玉になりました……。もうすぐ赤一色になりそうです~」
荘田さんは半分泣き顔だ。
――まさに地獄絵図である。
荘田さんは腕を掻きつつ僕に尋ねた。
「部長、部長はたぶんまだ一か所も刺されていないんですよね?」
「ああ……」
「その……その格好、暑くないですか」
「ああ、もちろん暑いさ」
僕は部の機材である望遠鏡から顔を上げ力無く笑った。
「人間、何かを得るためには何かを捨てなければならないんだ」
現在僕の格好は頭にキャップ、蜂避けのネット、長袖長ズボンの完全装備――ただし、被服気候は蒸しぶろ状態だった。
*
「あ~。ひでぇ目に遭った」
「まだ痒い……」
宿泊先であるホテルのロビーに戻り、僕らはその場で解散することになった。
「じゃあ、明日は予定通り園内散策と自然博物館の見学で。各自ウォーキング用シューズと小銭、水を忘れないようにな」
「了解っす」
部員らはそれぞれの部屋に戻っていった。ところが、荘田さんは少し迷った後、ロビーの自販機でジュースを買い、人気のない長椅子に腰を掛けたのだ。彼女の視線は一面がガラス窓となった壁に向いている。
僕はつい気になりロビーに引き返してしまった。
「喉が渇いた?」
「あ、部長」
荘田さんは僕を見上げにこりと笑った。
「星空を見足りなかったんです。ここからなら蚊もいないから」
ガラス越しの夜空を指差す。
「きれいに見えますね」
「ああ、そうだね」
僕は彼女の隣に腰を下ろした。何か話題は無いかと考え、これならばと改めて尋ねる。
「荘田さんはどうして天文部に入ろうと思ったの?」
荘田さんはふふっと笑いリンゴジュースを一口飲んだ。
そう言えば彼女はアップルパイに、リンゴジュースに、菓子類もアップル味ばかり食べている。クマに、リンゴに、星――可愛くて、甘くて、キラキラしたものが好きなのか。この子はそんなものでできているんだな。
ショートパンツからすらりと伸びた、細く白い足にもつい目が行ってしまう。荘田さんはその足をぶらぶらと揺らした。
「昔星のよく見えるお家で、仲のいいおとう……従弟から星の名前を教えてもらっていたんです。ハカセみたいに物知りな子なんですけど、神話も一緒に教えてくれて楽しかったんです。それがきっかけかな? 部長はどうですか?」
「そうだな……」
僕は窓を見上げその向こうに散る星々を眺めた。
「昔家族でのピクニックの帰りに、両親が玉突き事故で死んで、僕だけ生き残ったんだ。それから寂しくて泣いてばかりの僕に、祖母が教えてくれた」
――人は死ぬと皆星になるんだ。お前の両親も空でお前を見守っている。だから寂しいなんてことはないよ。
「それで毎日夜空を見上げて、父と母の星を探していた。きっかけと言えばそれかな」
僕はそこまで言いはっと口を押えた。
僕は過去をネタに近付く女を誰より嫌っていたはず。『わたしなら分かってあげる』だなんて安っぽい慰めを、お前に何ができると憎んでいたじゃないか。それをなぜ彼女には自分から話してしまったのか。第一いきなりこんなことを打ち明けられても困るだろう。重いと思われ嫌われるのがオチだ。
「ごめん。こんな話するべきじゃ――」
僕は慌てて謝りかけ、荘田さんがじっと僕を見つめているのに、更に動揺してしまった。
「星になる、かぁ」
彼女はぽつりと呟き花が綻ぶように微笑む。
「部長と陽はぜんぜん違うのに……同じこと言っている」
――陽?
「陽ってハカセな従弟なんですけどね。陽も人は死んだ後と生まれる前には、星になっているって言っていました。それ以外はウンチクばっかりだったのに」
彼女は「部長も同じだ」と笑いまた僕を見つめた。
「私も、人はいつか星になるんだと思います」
僕もその栗色の瞳を見つめ返してしまう。釣られて笑いながら、心に温かさが広がるのを感じていた。
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