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第2部
19.黄昏と枯葉(5)
大地君をベッドに再び寝かしつけ、僕は病室の扉を閉めた。瑠奈はどこに行ったのかと辺りを見渡す。洗濯だけにしては時間がかかりすぎだ。そろそろ僕も東京に戻らなければならない。その前に一言声をかけていきたかった。
瑠奈はコインランドリーにはおらず、三階ロビーにも一階受付前にもいない。念のためにと中庭に行くと、瑠奈があの鳩の巣の木の下に佇んでいた。
「瑠――」
奈、と呼びかけ慌てて声を抑える。木陰にもうひとり誰かが立っていたのだ。瑠奈と少々大きな声で話をしている。背の高さに一瞬あの男かとぎょっとしたが、どこか見覚えのある別人だった。誰だったかと記憶を探り、次の瞬間はっと思い出す。
「……高野さん?」
そう、樋野家の昔の庭師であり、現使用人の高野さんだ。
僕は二人に気が付かれないよう、壁の影に身を隠して耳をそばだてた。
高野さんが苦しげに瑠奈に尋ねる。
「……お嬢様は本当にそれでよろしいのですか」
「はい」
瑠奈はきっぱりと言い高野さんを見上げた。どこまでも澄んだ凛とした眼差しだった。僕は僕の知らない瑠奈の顔にまた驚く。
「わたしはもうあの家には戻りません」
「……」
高野さんは深く溜息を吐き足元に目を落とした。
「陽様が納得されると思いますか?」
「……」
「今でもお嬢様をお待ちなんです」
瑠奈は首を振り「大丈夫です」と柔らかに微笑む。
「陽はまだ二十代です。かっこいいし、頭もいいし、何だってできます。どんな女の子だって陽を好きになります。その子がいつかきっと……陽を癒してくれます。だから」
栗色の瞳が真っ直ぐに高野さんに向けられた。
「わたしのことは忘れてと伝えてください。それでダメならもうあなたに家族としてもうんざりしたでもいいです。あの子がなるべくわたしを嫌うように……」
高野さんは瑠奈を食い入るように見つめていたが、やがてその目に諦めと悲しみが浮かんだ。
「お嬢様はそれでいいんですか」
「はい」
瑠奈の目に濁りはない。清らかな強さすら湛えていた。
「……陽様が承知されると思いますか」
高野さんの言葉に瑠奈は笑う。
「ううん、しないと思います。でも、わたしは大地と逃げますから。わたしが今一番守りたいのは大地なんです。もう陽じゃない」
迷いの一切ない声だった。高野さんは苦笑いを浮かべる。
「……なんとも皮肉ですね。まさか大地様が陽様からお嬢様を引き離すとは。陽様はそんなつもりはなかったでしょうに」
瑠奈は困ったように微笑んだ。ふと目を逸らし、ここではないどこかに思いを馳せる。
「陽が弟じゃなかったらどうだったかしら……」
心から分からないと言った風だった。
秋の風が木々を揺らしさわさわと枯れた音を立てた。数枚の落ち葉を二人の足元に重ねる。高野さんは通り過ぎた風の在処を探すかのように、気だるげに視線を宙に彷徨わせた。
「さぁ、おれには分かりませんよ。ただ、一度陽様に同じ質問をしたことがあったんです。お嬢様が姉でなければどう思っていたのかと。同じ血を引くからお好きなったんですかと聞いてみたんです。すると、陽様はこう仰っていました」
僕は、きっと一生その言葉を忘れられないだろう。
『俺はいつ、どこで、誰に生まれていたとしても、瑠奈が好きだったと思う』
「だから、関係ないと……」
なぜなんでしょうね、と高野さんは顔を歪める。
「なぜお二人はごきょうだいだったんでしょうね……?」
僕はその場に立ち尽くすしかなかった。強い、揺るぎない思いに打ちひしがれさえした。あの男は求め方を間違えたのかもしれない。それでも間違いなく瑠奈をひとりの男として、人として好きだったのだ。
僕の頭にひとつの思いが渦巻き始める。
二人がきょうだいではなかったら、瑠奈は六年前僕と恋に落ちていたのだろうか?あの男が僕から瑠奈を奪ったんじゃない。僕が二人の間に割り込んだんじゃないか?
答えのない仮定と疑問、焦燥が僕の胸を焼き焦がす。一方、高野さんの言葉を聞き、瑠奈の顔がくしゃりと崩れた。
「馬鹿ね……」
栗色の大きな瞳から涙が一筋毀れる。
「本当に困った子」
瑠奈はコインランドリーにはおらず、三階ロビーにも一階受付前にもいない。念のためにと中庭に行くと、瑠奈があの鳩の巣の木の下に佇んでいた。
「瑠――」
奈、と呼びかけ慌てて声を抑える。木陰にもうひとり誰かが立っていたのだ。瑠奈と少々大きな声で話をしている。背の高さに一瞬あの男かとぎょっとしたが、どこか見覚えのある別人だった。誰だったかと記憶を探り、次の瞬間はっと思い出す。
「……高野さん?」
そう、樋野家の昔の庭師であり、現使用人の高野さんだ。
僕は二人に気が付かれないよう、壁の影に身を隠して耳をそばだてた。
高野さんが苦しげに瑠奈に尋ねる。
「……お嬢様は本当にそれでよろしいのですか」
「はい」
瑠奈はきっぱりと言い高野さんを見上げた。どこまでも澄んだ凛とした眼差しだった。僕は僕の知らない瑠奈の顔にまた驚く。
「わたしはもうあの家には戻りません」
「……」
高野さんは深く溜息を吐き足元に目を落とした。
「陽様が納得されると思いますか?」
「……」
「今でもお嬢様をお待ちなんです」
瑠奈は首を振り「大丈夫です」と柔らかに微笑む。
「陽はまだ二十代です。かっこいいし、頭もいいし、何だってできます。どんな女の子だって陽を好きになります。その子がいつかきっと……陽を癒してくれます。だから」
栗色の瞳が真っ直ぐに高野さんに向けられた。
「わたしのことは忘れてと伝えてください。それでダメならもうあなたに家族としてもうんざりしたでもいいです。あの子がなるべくわたしを嫌うように……」
高野さんは瑠奈を食い入るように見つめていたが、やがてその目に諦めと悲しみが浮かんだ。
「お嬢様はそれでいいんですか」
「はい」
瑠奈の目に濁りはない。清らかな強さすら湛えていた。
「……陽様が承知されると思いますか」
高野さんの言葉に瑠奈は笑う。
「ううん、しないと思います。でも、わたしは大地と逃げますから。わたしが今一番守りたいのは大地なんです。もう陽じゃない」
迷いの一切ない声だった。高野さんは苦笑いを浮かべる。
「……なんとも皮肉ですね。まさか大地様が陽様からお嬢様を引き離すとは。陽様はそんなつもりはなかったでしょうに」
瑠奈は困ったように微笑んだ。ふと目を逸らし、ここではないどこかに思いを馳せる。
「陽が弟じゃなかったらどうだったかしら……」
心から分からないと言った風だった。
秋の風が木々を揺らしさわさわと枯れた音を立てた。数枚の落ち葉を二人の足元に重ねる。高野さんは通り過ぎた風の在処を探すかのように、気だるげに視線を宙に彷徨わせた。
「さぁ、おれには分かりませんよ。ただ、一度陽様に同じ質問をしたことがあったんです。お嬢様が姉でなければどう思っていたのかと。同じ血を引くからお好きなったんですかと聞いてみたんです。すると、陽様はこう仰っていました」
僕は、きっと一生その言葉を忘れられないだろう。
『俺はいつ、どこで、誰に生まれていたとしても、瑠奈が好きだったと思う』
「だから、関係ないと……」
なぜなんでしょうね、と高野さんは顔を歪める。
「なぜお二人はごきょうだいだったんでしょうね……?」
僕はその場に立ち尽くすしかなかった。強い、揺るぎない思いに打ちひしがれさえした。あの男は求め方を間違えたのかもしれない。それでも間違いなく瑠奈をひとりの男として、人として好きだったのだ。
僕の頭にひとつの思いが渦巻き始める。
二人がきょうだいではなかったら、瑠奈は六年前僕と恋に落ちていたのだろうか?あの男が僕から瑠奈を奪ったんじゃない。僕が二人の間に割り込んだんじゃないか?
答えのない仮定と疑問、焦燥が僕の胸を焼き焦がす。一方、高野さんの言葉を聞き、瑠奈の顔がくしゃりと崩れた。
「馬鹿ね……」
栗色の大きな瞳から涙が一筋毀れる。
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