太陽と月の禁断

東 万里央(あずま まりお)

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第2部

20.黄昏と枯葉(6)

 高野さんとの話が終わり、瑠奈が病室前に戻るころには、すでに辺りは薄暗くなっていた。僕と瑠奈は二人で病院から最寄り駅までは一緒に歩き、そこからそれぞれ神戸駅、自宅へと別れることになった。

 この辺りは繁華街でも飲み屋街でもなく、病院以外これと言った施設もない。大通りにも車はそれほど見かけず、人通りもまばらで寂しさを感じさせる。夏には熱気さえ立ち上っていた道も、今ではひんやりと涼しさすら漂わせていた。

 二十メートルほど向こうには、薄灰色のコンクリート製の高架橋が、ぼんやりと闇の中に浮かんでいる。僕たちはその高架橋に向かい歩いて行った。時折ここにまで電車の通り過ぎる音が聞こえる。タタン、タタンと規則正しいリズムが夜の闇にこだましていた。線路の電線の上には白い月が浮かび、今にも雲に消え入りそうに細く儚い。

「今日もお見舞いに来てくれてありがとう。大地、一樹君のこと大好きなんだね。最近ずーっと一樹君のことばかり話しているの」

 瑠奈はゆっくり歩きながら隣の僕を見上げた。

「一樹君が来るようになって、大地だいぶ安定してきたんだ。本当に……本当にありがとう」

 僕は内心苦笑するしかなかった。瑠奈にとっての僕の価値とは、大地君にとっての僕の価値でしかないのだ。

 それでもいいと唇を噛み締めながら思う。

 どんな手段でもいいと、そう考えていたはずだろう?

 二人で高架橋の中をゆっくりと潜っていく。冷えたコンクリートの壁が僕の心に重なった。

「……役に立てたのならよかったよ」

 僕は立ち止まり腰に手を当てた。

「ただ、冬からは来られなくなると思う」
「えっ」

 瑠奈は栗色の大きな目を見開き凍り付く。驚き、戸惑い、不安に駆られているのだろう。僕にはその思いが手に取るように分かった。つくづく分かりやすい子だと思う。あの男も、樋野陽もさぞ手玉に取りやすかったに違いない。

 瑠奈、その動揺の分だけは僕を思っていてくれると、そううぬぼれてもいいだろうか?

「来年からアメリカに駐在になるんだ。その準備もあるから忙しくなる」
「……」
「上司に誘われいつ帰るか分からない」

 瑠奈はしばらくの間そうして僕を見上げていたけれども、やがて「そっか」と顔を落とし、そこから深々と頭を下げた。

「きっと栄転になるんだよね? おめでとうございます。外国ってかっこいいね。わたしまだ行ったことないよ」

 姿勢をもとに戻した時には、混乱はすっかり表情から消え、声もしっかりしていた。

「寂しくなるなぁ。今までありがとう」

 僕は大きなショックを受けざるを得なかった。瑠奈に未練などどこにも感じられない。このままではまた明日から、瑠奈は大地君だけ見て生きていくんだろう。あの男の面影を映した子どもだけを――。

「……瑠奈」

 僕は瑠奈に向き合い距離を詰めた。

「な、何?」

 前触れもなく空気が変わったことに驚いたのだろう。瑠奈はコンクリートの壁に背をつけ目を瞬かせる。

「一緒に来てくれないか。結婚してほしいんだ」

 え、と栗色の目が大きく見開かれた。

「何を言ってるの? わたしには大地が」
「――僕が大地君の父親になる」

 僕は瑠奈の声を遮りきっぱりと宣言する。醜悪なおのれの欲望を隠し、彼女の状況に沿った提案をしていった。

「僕が父親なのだと言えば大地君にも説明がつくだろう? 別れた後に妊娠が分かったけれども僕に言いづらかった。僕はずっとその事実を知らなかった。つじつまは合うしそれであの子も納得できる。……まともな家庭を与えてやれる」

「一樹君、何、言って」
「それともうひとつ」

 僕は懐から折り畳んだ一枚の書類を取り出す。英語で書かれたその手続きの書類を、瑠奈に何も言わずに手渡した。

「こ……れは?」
「アメリカにあるF大学病院の入院の申込書だ。この病院なら大地君を治療できるかもしれない。費用は僕が何とかするから心配しなくてもいい」

 ほとんど使わなかったこれまでの蓄えと神戸の実家を売った金と投資のリターンがある

「……!!」

 これまで何度も希望を壊され、それでも諦め切れずにまた抱き、再び壊されてきた後遺症なのだろう。瑠奈はまさかと言う思いに揺れている。

「瑠奈、大地君を助けたいんだろう?なら」

 僕は瑠奈の顔の横の壁に、右の拳を強く叩きつけた。華奢な体がびくりと震える。

「……僕を都合よく使え」

 とんだプロポーズだと思いながらも、僕はこう言うしかなかったのだ。

「その代わり、君の一生をもらう」
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