太陽と月の禁断

東 万里央(あずま まりお)

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第2部

33.夕陽と青空(2)

 ここから先は結果だけを言おう。事実だけを述べなければ、僕も未だに心が揺れ動いてしまうからだ。

 それから一週間後に受けた瑠奈の手術は成功し、主因のガンを取り除くことはできた。ところが、すでにリンパや多臓器に転移が進んでおり、延命療法しかできないと言われてしまった。全米一、二争う名医にそう告知されたのだ。大地も、僕も、絶句するしかなかった。

 それでも僕は大地と協力し、化学療法から食事療法、サプリメントまで、ありとあらゆる治療法を探した。必死の僕たちに付き合ってくれたのか、瑠奈は二年も頑張ってくれた。その間に心の準備ができたことだけは幸いだったのだろう。

 ありとあらゆる手段がついに尽き、神だけが頼りとなってしまったころ、瑠奈は退院し自宅に戻りたいと、病院のベッドの上でぽつりと言った。ホスピスなどは嫌なのだと言う。

「みんなには迷惑かけちゃうけど、いつものように暮らしたいんだ。杏奈と梨奈が学校から帰ってくるのを待って、気分のいい時には庭でのんびりしたいの。一樹君、お願いしてもいいかしら?」

 そんな妻の頼みを誰が断れただろうか。

 僕と大地は無念を噛み締めながら、その日のうちに退院手続きを済ませ、瑠奈を車でD州の自宅へと連れ帰った。ちなみに運転は大地である。僕はバックシートで眠る瑠奈を抱きかかえていた。辺りはすでに真っ暗であり、僕らの車しか走ってはいなかった。暗く寂しい道が瑠奈の死を暗示しているように思えてならなかった。

 僕の脳裏にいくつものシーンが過る。瑠奈と初めて出会った部室、合宿での天体観測、二人で見たロビーでの星空、卒業式での桜の木の下での告白、何度も重ねた図書館でのデート、初めてのプロポーズの瞬間、病院での忘れられない再会、結婚式での指輪交換、大地の退院と双子の誕生、夫婦として過ごした一日一日――何気ない日常が、すべてがかけがえのない幸福だった。

「……っ」

 僕は瑠奈の温もりを確かめる。

 瑠奈、僕は今とても、とても怖い。君を失う覚悟なんてできない。そんなものできるわけがないんだ。哀しみを飲み込むことが、諦めを受け入れることが大人の証明だと言うのなら、僕はどれだけ馬鹿にされても一生子どもでいい。神様でも仏でも何でもいい。どうか僕からこの温もりを奪わないでくれ。ああ、そうだ。瑠奈の片割れの悪魔め、そのためならお前に瑠奈を託してもいい。

 吐き出せない慟哭が心から噴き出しまた吸い込まれていく。

 病気が体力を奪いすっかり疲れたのか、瑠奈は僕の腕の中で昏々と眠りに落ちている。僕と大地は車が大通りに出るまで、黙り込み沈み切っていた。ところが曲がり角を曲がったところで、不意に大地が声をかけてきたのだ。

「父さん、僕は自分の病気を治してくれたルイス先生に感動して、それで難病の医者になろうと思ったんだ。ありがちな理由だけどきっと人はそんなものだと思う。何になるのでも特別な理由なんていらないんだよ」
「ああ……そうだな……」

 大地の声が途切れ途切れとなり、それでも声を絞り出した。

「昔は、医者を、どんな願いも叶える、魔法使いだと思っていた。けれどもこの仕事についてから、僕は、自分は、何もできないんだって、感じるほうが、多い」
「……」
「なぜ、母さんを助けられないんだ? 大事な人を助けられないんだ……!! 何が天才だよ……!!」

 砂時計のように少しずつ、少しずつ、瑠奈の命が零れ落ちていく。元に戻すこともひっくり返すこともできない。大地はそれが悔しく、悲しく、やり切れないと唸った。

「何のために医者になったんだ。何のために……!!」

 僕は大地の言葉にある人物を思い出した。

「お前と、昔よく似たことを言っていた人がいた」

 え、と大地が驚きミラー越しに僕を見る。

「日本でお前を担当していた先生だけれども覚えているか? お前を連れてアメリカに行く前、満足な治療ができなかったことを僕に謝っていた。必ず日本でもこの病気の子どもを助けられるようにすると誓ってくれたよ」
「……」

 確か加賀先生と言っただろうか。彼女は今頃どうしているのだろう。きっと悩み、苦しみながらも医師を続けているに違いない。なぜだか分からないがそう確信できた。

「大地、お前はきっといい医者になるさ」

 僕は苦笑しながら瑠奈の寝顔を見つめた。

「きっとなる。……だから、頑張れ」

 ありとあらゆるものを糧にしろと僕は言った。愛であれ、憎しみであれ、怒りであれ、悲しみであれ、悔しさであれ、きっと人を変えるものは強い思いでしかないのだ。
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