太陽と月の禁断

東 万里央(あずま まりお)

文字の大きさ
83 / 90
第2部

38.夕陽と青空(7)

 飾りの一切ない簡素な十字架だった。土台には「樋野陽」と言う名前と、その下に生年月日と死亡年月日が刻まれている。樋野陽の命日は瑠奈より一日遅れていた。だが、時差を差し引いて考えると、瑠奈と同じ日に死んでいる。僕はやっぱりそうだったかと笑うしかなかった。

 長方形の区画内には草木も花も何もなく、ただ土だけが丁寧に被せられている。これなら大丈夫だろうと、僕は柵とも呼べない仕切りをまたぎ、白い十字架の前に立った。この場にいるかいないかも知れない、樋野陽の霊魂に向かい告げる。

「いいか。これは君のためじゃないからな」
「一樹さん……?」

 僕はその場にしゃがみ込み、両手で墓の前の土を掻いた。二十cmほどの深さに掘り、胸から小さな包みを取り出す。高野さんに問われる前に僕はその正体を言った。

「瑠奈の遺髪です。半分だけ持ってきました」

 もう半分は僕が生涯持つつもりだ。

 僕は土に包みを埋め再び土を被せていく。高野さんが戸惑ったように僕に尋ねた。

「……よろしいんですか?」
「僕が瑠奈ならこうしてほしい――そう思ったと言うだけです」

 だてに約二十年夫婦をやって来たわけではない。僕は誰よりも、瑠奈自身よりも瑠奈を理解していると言う自負があった。これは樋野陽には成し遂げられなかったとことだ。僕たちは他人から恋人となり、恋人から一度別れ、今度は夫婦になった。あの男と瑠奈との間に僕の入り込めない絆があったように、僕と瑠奈にも二十年育ててきた繋がりがあったのだ。

 高野さんは肩を竦め、「損な性格ですね」と笑う。

「ですが、これで少々慰められました。陽様の葬儀はあまりに寂しいものだったので」

 どこからか鳥の囀が聞こえる。あれはモズだろうか。高く澄んでどこか悲しい。

「陽様は独身でご家族もいらっしゃいませんでしたし、万が一の時のための遺言では密葬を希望されていましたから、葬儀はおれと秋嶋社長だけが参列しました。秋嶋社長は大変お嘆きでしたよ。何かと陽様を頼っていましたから。折を見て陽様に社を返すつもりもあったようです」
「……」
「もっとも陽様はそんな気はなかったようですが」

 高野さんは僕らが去った後の樋野陽の一生について語る。あの男は美貌も、能力も、資産も、何もかもを持ちながら秋嶋さんの影となり、極力誰とも関わらなかったのだそうだ。あの洋館をおのれの牢獄とし、囚人のように息を顰めて生きて、ひっそりと生涯を終えたのだと言う。人生を捨て去ることがあの男なりの贖罪だったのだろうか。

「いっそ瑠奈も大地も何もかもをさっぱり忘れて、好き勝手に生きてくれていたほうがよかったですよ」

 僕は土を払い立ち上がると、白い十字架を見つめた。

「そんな男だったら僕も瑠奈ももっと早く乗り越えられたんだ」

 気兼ねがないとは言えないが、日本にももっと早くに――瑠奈が生きている間に帰っていたのかもしれない。ただ、心のどこかでこうも思う。あの男がいなければ僕と瑠奈はごく普通のカップル、あるいは夫婦になっていただろう。途中で別れることすらあったかもしれない。あの男が僕たちの重しとなり、鎹になっていたことも確かなのだ。

 何とも皮肉な話だと思う。けれども、人と人はそんなものなのかもしれない。

 しかし、あの男も瑠奈もこの世にいない今、どんな事実にも仮定にも意味はなかった。嫌悪も憎悪も消え失せている。ただ、胸に小さな穴がぽっかりと空いていた。

 瑠奈は僕が死を迎えるその時にも、きっと迎えに来てはくれないのだろう。あの男の手を取り逝ってしまったのだから。それだけが少しだけ寂しく悲しかった。

 ふと何気なく空を見上げる。わずかに紫の入り混じる、濃く深みのある青い空だ。こんな青をヨーロッパではセレスト・ブルーと呼ぶのだそうだ。天上の青と言う意味であり、神の存在する至上の青なのだと言う。

 その空から一陣の風が吹き、僕の心をも通り過ぎて行く。僕は目を閉じこの空の向こうに祈った。

――何を祈ったのかは自分にすら分からなかった。
感想 3

あなたにおすすめの小説

触れられないはずの私が、ただ一人の彼にだけ心も体も許してしまいました

由香
恋愛
男性に触れられると体調を崩す令嬢リリア。 そんな彼女にとって唯一“触れられる”存在は――幼なじみの公爵令息レオンだけだった。 手を取られ、抱き寄せられ、当たり前のように触れられる日々。 それがどれほど特別なことなのか、彼女はまだ知らない。 やがて政略結婚の話が持ち上がり、“触れられない相手との結婚”か、“彼に触れられる人生”かを選ぶことに。 「お前に触れていいのは俺だけだ」 逃げ場のない独占と、甘すぎる溺愛。 これは、触れられないはずの少女が、ただ一人にだけすべてを許していく物語。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

皇帝の愛妾を痛めつけたら、相手は皇帝の姉でした

由香
恋愛
後宮で最も愛された妃・麗華。 ある日、皇帝に寵愛される“謎の女”を敵と誤解し、手を下してしまう。 だが―― その正体は、皇帝の姉だった。 「……遅かったな」 すべてを失った後で知る、取り返しのつかない真実。 愛も地位も壊れた先に残るのは、静かな後悔だけ。 これは、「愛されたかった女」が、すべてを壊すまでの物語。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき