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第2部
39.大地と海(1)
僕がこの洋館を訪ねたのは確かに初めてのはずだった。
――なのに、どうして涙が出るほど懐かしいのだろう?
僕と七海は重く厳めしい観音開きの扉を開け、玄関に一歩足を踏み入れるなり絶句した。アメリカの古い街でも珍しい見事な内装である。建築はコロニアルに近いだろうか。随所に英国のテューダー様式やフランス、イタリアの影響も見て取れた。
七海が辺りをきょろきょろと探り溜息を吐く。
「思った以上にすごいお屋敷だったのね。日本でこんなところがあっただなんて思わなかった。大地、管理は今業者さんに任せているんだっけ?」
「あ、ああ……。見回りと週に一度の掃除程度だけどね。最近日本も物騒だって聞いたから」
彼女の声がろくに耳に入ってこない。なぜなら僕はこの洋館を目にした時から、胸にあらゆる思いが溢れ出すのを感じていたからだ。懐かしさ、愛しさ、苦しさ、嬉しさ、悲しさ……けれども、そんなはずがないとは思う。僕はこの洋館に来た記憶など一度もない。
僕――四十川大地は、幼少時は虚弱体質な上難病持ちで、日本では生まれたその日から病院暮らしだった。記憶にある景色は毎日同じ病室と枕元のテディベア、父さんの腕の中から見た窓越しの中庭、療養のための渡米前に目にした神戸と成田の空港しかない。
僕の第二の人生はアメリカで始まった。そこから先は幸福しかなく、優しい両親に可愛い妹、気の置けない友達、親しい同僚に囲まれ、何不自由ない暮らしを送ってきた。なのに、このデジャ・ヴュは何だろう? ホールのような玄関も、あの中央の幅広い階段も、いくつもの部屋も、皆知っている気がする。
七海が――妻が僕の顔を覗き込む。ポニーテールの黒髪がさらさらと毀れた。
「とりあえず今日泊まる部屋だけでも決めておこうか。ちょっとわたし探検してきていい?」
そして、彼女は太陽のような笑顔を浮かべた。その笑顔に別の誰かの笑顔が一瞬重なる。長い栗色の髪の四、五歳ほどの女の子だ。
『ねえ、おかあさん、たんけんしていい?』
「……!?」
僕は思わず目を擦った。
――今のイメージは何だ?
「大地、どうしたの?」
「いや、何でもない」
きっと疲れているのだろうと僕は額を拭った。一昨日まで仕事に掛かりきりだったのだ。こんな見事な洋館に興奮したのもあるのだろう。
僕は二年と半年前に、顔も知らないとある人物からこの洋館と多額の動産を譲り受けた。とは言ってもその人物から直接にではなく、亡くなった母を通しての話である。
僕も三年前になるまでまったく知らなかったのだが、母さんにはなんと双子の弟がいたのだそうだ。つまりは僕の叔父に当たる人なのだが、この叔父は日本でも有数の商社を運営する、とある一族の本家の長男だった。その叔父が独身のまま母さんと同じ年に亡くなり、遺産が僕にまで回ってきたのである。
母さんはごく平凡な一般家庭出身と聞いていたので、この話を聞いた時には何がどうなってそうなったのかと、首を傾げたのを覚えている。説明をされてみれば単純な話で、母さんは幼いころに養女に出されたのだそうだ。「それ以外の事情は僕もよく知らないんだ」、と父さんは済まなそうに肩を竦めていた。
父さんも叔父が亡くなり、相続の話が降って沸くまでは、その存在すら聞かされてはいなかったらしい。と言うことは、母も自分の出生と叔父を知らなかった可能性がある。僕はいずれにせよ余計な詮索を一切しないつもりでいた。どの家にも後ろ暗い話のひとつやふたつはある。名家ともなればなおさらだろう。
ともあれ、僕はこの遺産を受け取った。だが、僕の仕事と生活の拠点はアメリカだ。とてもではないが管理しきれないと思い、はじめは売却するのが得策だろうと考えていた。歴史のある建築物だとは聞いている。だから、あくまで洋館を維持すると言う条件で、そのあるじとして立候補する人物に、格安で土地ごと譲ろうと考えたのだ。
父さんに念のためにそれを告げると、「お前の好きなようにしろ」としか言わなかった。ほんの一年前まではすっかりその気で、日本の不動産仲介業と司法書士に連絡まで取っていたのだ。今年の年初には募集を掛ける予定だった。ところが、七海との出会いがそのスケジュールを変えてしまった
――なのに、どうして涙が出るほど懐かしいのだろう?
僕と七海は重く厳めしい観音開きの扉を開け、玄関に一歩足を踏み入れるなり絶句した。アメリカの古い街でも珍しい見事な内装である。建築はコロニアルに近いだろうか。随所に英国のテューダー様式やフランス、イタリアの影響も見て取れた。
七海が辺りをきょろきょろと探り溜息を吐く。
「思った以上にすごいお屋敷だったのね。日本でこんなところがあっただなんて思わなかった。大地、管理は今業者さんに任せているんだっけ?」
「あ、ああ……。見回りと週に一度の掃除程度だけどね。最近日本も物騒だって聞いたから」
彼女の声がろくに耳に入ってこない。なぜなら僕はこの洋館を目にした時から、胸にあらゆる思いが溢れ出すのを感じていたからだ。懐かしさ、愛しさ、苦しさ、嬉しさ、悲しさ……けれども、そんなはずがないとは思う。僕はこの洋館に来た記憶など一度もない。
僕――四十川大地は、幼少時は虚弱体質な上難病持ちで、日本では生まれたその日から病院暮らしだった。記憶にある景色は毎日同じ病室と枕元のテディベア、父さんの腕の中から見た窓越しの中庭、療養のための渡米前に目にした神戸と成田の空港しかない。
僕の第二の人生はアメリカで始まった。そこから先は幸福しかなく、優しい両親に可愛い妹、気の置けない友達、親しい同僚に囲まれ、何不自由ない暮らしを送ってきた。なのに、このデジャ・ヴュは何だろう? ホールのような玄関も、あの中央の幅広い階段も、いくつもの部屋も、皆知っている気がする。
七海が――妻が僕の顔を覗き込む。ポニーテールの黒髪がさらさらと毀れた。
「とりあえず今日泊まる部屋だけでも決めておこうか。ちょっとわたし探検してきていい?」
そして、彼女は太陽のような笑顔を浮かべた。その笑顔に別の誰かの笑顔が一瞬重なる。長い栗色の髪の四、五歳ほどの女の子だ。
『ねえ、おかあさん、たんけんしていい?』
「……!?」
僕は思わず目を擦った。
――今のイメージは何だ?
「大地、どうしたの?」
「いや、何でもない」
きっと疲れているのだろうと僕は額を拭った。一昨日まで仕事に掛かりきりだったのだ。こんな見事な洋館に興奮したのもあるのだろう。
僕は二年と半年前に、顔も知らないとある人物からこの洋館と多額の動産を譲り受けた。とは言ってもその人物から直接にではなく、亡くなった母を通しての話である。
僕も三年前になるまでまったく知らなかったのだが、母さんにはなんと双子の弟がいたのだそうだ。つまりは僕の叔父に当たる人なのだが、この叔父は日本でも有数の商社を運営する、とある一族の本家の長男だった。その叔父が独身のまま母さんと同じ年に亡くなり、遺産が僕にまで回ってきたのである。
母さんはごく平凡な一般家庭出身と聞いていたので、この話を聞いた時には何がどうなってそうなったのかと、首を傾げたのを覚えている。説明をされてみれば単純な話で、母さんは幼いころに養女に出されたのだそうだ。「それ以外の事情は僕もよく知らないんだ」、と父さんは済まなそうに肩を竦めていた。
父さんも叔父が亡くなり、相続の話が降って沸くまでは、その存在すら聞かされてはいなかったらしい。と言うことは、母も自分の出生と叔父を知らなかった可能性がある。僕はいずれにせよ余計な詮索を一切しないつもりでいた。どの家にも後ろ暗い話のひとつやふたつはある。名家ともなればなおさらだろう。
ともあれ、僕はこの遺産を受け取った。だが、僕の仕事と生活の拠点はアメリカだ。とてもではないが管理しきれないと思い、はじめは売却するのが得策だろうと考えていた。歴史のある建築物だとは聞いている。だから、あくまで洋館を維持すると言う条件で、そのあるじとして立候補する人物に、格安で土地ごと譲ろうと考えたのだ。
父さんに念のためにそれを告げると、「お前の好きなようにしろ」としか言わなかった。ほんの一年前まではすっかりその気で、日本の不動産仲介業と司法書士に連絡まで取っていたのだ。今年の年初には募集を掛ける予定だった。ところが、七海との出会いがそのスケジュールを変えてしまった
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