太陽と月の禁断

東 万里央(あずま まりお)

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番外掌編

S1.禁断と林檎

※幕間「星空と初恋」で一樹がアップルパイをもらったちょっと前の時系列です。
 


 林檎が禁断の果実ではなかったと知ったのは高校一年のころだ。
 それを教えてくれたのは他ならない陽だった。



 陽はわたしの一番の家庭教師だと思う。小学校高学年から荘田家にたびたびやってきて、わたしの勉強の面倒をよく見てくれた。夏休みには読書感想文も、ドリルも手伝ってくれた。

……この時には陽の字がきれいすぎて、先生にバレて笑われてしまった。

 陽は何もしなくても勉強ができるタイプで、県内の中高一貫の進学校に通っている。全国からエリートを集めた少人数制の精鋭校で、陽みたいな子がたくさんいるらしい。その中でも一位を取るのだから、本当に陽はすごいのだと思う。

 一方、同じお腹から生まれたはずのわたしはみそっかす……とまでは行かないけれど、出来がいいとはとても言えない。

 それでもわたしは陽の丁寧な指導のおかげで、現在の高校に奇跡的に滑り込めた。わたしの住む町では二番目のレベルの進学校だ。お父さんとお母さんは宝くじに当たる確率、彗星が落ちて地球が滅亡する確率より低かったのにと喜んだ。

 そして現在、奇跡は現実の勉強に押し潰されそうになっている。

 授業がまったく分からなくてぜんぜんついていけない……。

 内容がわたし一人の頭では難しすぎるのだ。そんな調子で一年生の初めてのテストは赤点ギリギリだった。さすがに一年生でこの成績ではたいへんだと危機感を覚えて、また陽に頼んで週に一度は勉強を見てもらっている。陽がそのほうがいいだろうと言うので、場所はだいたい私の部屋になっている。



「うう……わかんない。陽、休憩しようよ」

 わたしは机に突っ伏し隣に立つ陽を見上げた。さらさらの黒髪が陽の顔に影を落とし、ママそっくりの美貌をより美しく見せている。

「ちょっと休憩したほうが絶対効率いいよ。ね?」
「お前、まだ三十分もやっていないだろ」

 陽は呆れたようにわたしの頭をぐりぐりと撫でた。わたしはつい頬を膨らませ恨み言を言ってしまう。

「……陽とは頭の造りがちがうもん」

 陽は呆れ顔になりつつ仕方ないなと苦笑した。

「じゃ、十分だけな。しかし俺には時々お前がなぜ分からないのかが分からない」
「う~、どうせ馬鹿ですよ」

 わたしは椅子を立ちよし!と背伸びをした。

「じゃ、約束していたアップルパイ持ってくるね。生クリームも乗せる? 紅茶はアイスティーがいいよね。あ、陽はコーヒーがよかったんだっけ?」

 うきうきと心が弾み、つい矢継ぎ早に尋ねてしまう。

「……何でもいい」

 陽は苦笑し部屋の真ん中にあるローテーブルの前に腰を下ろした。

「お前が作ったんだろ?」

 わたしは大きく頷き胸を叩いた。

「じゃ、お任せね?ちょっと待っててね!今回は力作なんだ」

 わたしは台所へ向かい冷蔵庫を空けた。カレーを煮込んでいたお母さんが首を傾げる。

「あら、もう勉強終わったの?」
「まだだけど、お茶にするの」
「ああ、はいはい。今度のテストも期待できなさそうねぇ」

 わたしは肩を竦めながらアップルパイを取り出した。今回は一口サイズに作り食べやすくしてある。合わせて四つをお皿に盛り、生クリームを添えた。アイスティーを入れたグラスとともにお盆に乗せる。

 いつも勉強を見てくれる陽へのお礼がこれだ。わたしの唯一の特技はお菓子作りと料理――その成果を一番に食べてもらうことになっている。

 わたしはお盆を手に部屋に戻った。

「お待たせ」

 ローテーブルにお皿とグラスを置いていく。

「さ、どうぞ」
「ん、悪いな」

 陽はフォークを手に取りアップルパイに刺した。わたしはニコニコと笑いながらその様子を見つめる。きれいな男の子は食べる時もきれいなんだと妙に感動してしまった。陽は「うん、美味い」とかすかに笑う。

「美味しい?良かったぁ。約束通り陽が最初に食べたひとだよ」

 わたしはついへにゃりと顔を崩してしまった。

「明日、部活の人にも配るんだ。ちょっと心配だったの」

 陽の手がぴたりと止まる。

「……部活?」
「特に部長に上げたいと思っているんだ。部長って何もしゃべらなくて、わたしの前でだけぜんぜん笑わないの。嫌われているのかなぁ。ちょっとでも何とかしたいんだ」
「……」
「もっともお菓子ひとつでどうにかなるとは思わないけどね」

 陽は無言でもうひとつのアップルパイを口に運んだ。三つ目にフォークを突き刺し不意にわたしを見る。黒い瞳の奥にわたしには分からない思いの光が瞬いていた。

「……瑠奈は林檎が好きだよな」
「うん。甘酸っぱいのが大好きなの」
「創世記に出てくるエデンの園の禁断の果実が、なぜ林檎なのか知っているか?」
「ううん?」

 わたしは知らないと首を振った。

「地域や宗派によっては林檎じゃなく無花果だったとも、葡萄だったとも、トマトだったとも言われている。聖書にもともとはっきり林檎と書かれていたわけじゃない」
「ええっ!?そうなの!?じゃあどうして林檎になったの?」

 陽は首を傾けわたしの目を覗き込んだ。

「間違いだった――って言われている」
「ま、間違い?」
「そう、くだらない間違いさ」

 陽によれば禁断の果実はエデンの園に生える「善悪の知識の木」に実っていたものらしい。この「善悪の知識の木」の「悪の」のラテン語での綴りが、たまたま林檎と同じだったのだそうだ。それを取り違えてしまい今に至るのだという。

「し、知らなかったわ。間違いで二千年も来ちゃったの!?」

 陽は「そうだよ」とくすくすと笑った。

「悪も、禁断も、罪も、罰も、間違いで思い込みだ。食べてしまえば――」

 陽はアップルパイに生クリームをつけ、わたしの前にひょいと差し出した。わたしはつい大きく口を開け、ぱくりとそれを食べてしまう。むぐむぐと口を動かすわたしを見ながら陽が唇の端を上げた。

「……ほら、こんなに甘い」

 フォークを置き妖しく微笑み頬杖をつく。更には手を伸ばすと、わたしの唇についたクリームと林檎の欠片をぬぐい、ぱくりと自分の口に入れた。

「これで瑠奈も同罪」
「え、ええっ!?」
「一緒に食べただろ?」



 この時食べた林檎が本物の禁断の果実だったと知るのはそれから一年後。
――それを教えてくれたのも陽だった。
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