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第一章   見えるもの3

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 重軽傷者五名。死亡者二名。
 それが今回の交通事故での被害だった。
 死亡したのはトラックの運転手とトラックが突っ込んだ先にいた店の客。同じく重傷者はその店の店員と店長である。軽傷者は三名。全員同じ学校に通う高校生だ。
「ひでぇな、おい」
「うっさい。余計なことは何も言うな」
 この事故で被害を受けた者たちの親族、遺族他友人たち及びもろもろの事情で病院に来ている深刻な面持ちの面々に、やはり深刻そうな顔をした背の高い女子高生と少しだけ真面目な顔をした軽薄男といった風体の輩(やから)が入ってきた。
「この病院に搬送(はんそう)された山崎透という人の病室はどこですか」
 病院の受け付けでナースに訊く女子高生は金藤美浜だ。
「山崎さんですか? 少しお待ちください。…………407号室です」
「ありがとうございました」
 礼を述べて二人は言われた病室へと足を運ぶ。
「トラックに轢(ひ)かれて入院、ねえ」
「形だけでしょ。怪我は大した事ないって言ってたから、今日中にも出るんじゃないの?」
 つっけんどんな返答に、真一は肩を竦(すく)めるだけで何も言わない。
 ここまで心配するのもどうかとは思うが、それだけ彼女にとって彼らが大事だということなのだから。
 では自分はどうなのかと訊かれたら、それはそれでまた複雑な回答になる。
 さすがに事故ったと聞いたときは驚き焦ったが、無事であれば心配などさらさらする気はなかった。
「だって、なんか負けた気するし」
 美浜辺りに聞かれたら根性叩き直してやるとか言われそうだが、幸いにして彼はまだ誰にもそんな本音を暴露したことはない。彼にだって自分がちょっと薄情で恥知らずだな、と思うことはあるのだ。往々(おうおう)にして改める気はなかったが。
「ようっ、元気してたー? …………ってこれはこれは、いや悪いね。うん。失礼」
 病室が見えてきたところで駆け足になった真一は美浜よりも先に中の様子を見てすぐに出てきた。
「なに部屋間違えてんのよ」
「いやー? 間違えてなんかいないぜ」
 口元をいやらしく吊り上げる真一に渋面を作る美浜。だが彼女も扉を開けた途端(とたん)にポカンと口を開けたまま固まった。
「あ、あんたたち何してんのよ」
 ようやっと声を出す美浜。彼女の見る光景は、硬直したまま帰って来ない三人の姿。
 大げさなのか妥当なのか、頭に包帯を巻かれベッドで寝た状態の透。
 その横で椅子に座ってりんごを剥(む)いている愛夏。
 明里に至っては包帯を替(か)えようと看護師も呼ばず一人でやるつもりだったらしい。
「あ、こ、これはね。うん、そう。ちょっと看護師の人たちが手が放せないって言ってたから」
「べ、別にくだもの剥(む)くくらい……」
 予想に反して、先に帰って来たのは明里であり愛夏は最後まで物を言えない様子だった。
「ま、まあいいわよ。好きにすれば。でも、本人が寝てるのに色々やっても、ね」
「いんや~? むしろそういう方が俺はぐぐっと来るから。やっちゃってよ。もっと大胆に、スキンシップとかいっ、で!」
「あんたはあんたで…………もうっ」
 アッパーを舌が噛むように決めてから真一の胸倉を掴(つか)み睨(にら)む。心なしかその眼が怒りに囚われているように見えた。
 だが言っても無駄だと思ったのか口を動かし始めてから二秒後には放していた。
 噛んだ痛みと頭が揺れるせいで沈黙しながらも身悶えする真一。しばらくはまともな返答は期待できないだろう。
「とにかくっ、変な出来心は捨てなさい。見てて落ち着かないから」
 はい、とうな垂(だ)れて大人しく従う二人。彼女たちも心のどこかでこれはもう醜態かもしれないと思っていたのだろう。普段しないことをするほど恥ずかしいことはない。
「ん……、ここは」
 周りが騒がしくなったことで透は起きた。そんな透に近付いて状況説明をしたのは美浜だった。
 素早く、それでいて自然な動きだったために誰も割り込む暇(ひま)も隙(すき)もなかった。
 透もドア付近にいた彼女がわざわざ寄って来て言ったことに不信を抱いている様子はない。
 おかげで動きの凍った二人の少女を見ることはなかった。見たら透は必ず訊いて来ただろうし、それによって二人がパニックになることは目に見えていた。
「まったく、愛夏め」
 小さく毒吐く声は誰の耳にも届かなかった。透か真一のどちらかが聞いていれば彼女がそう言った理由も分かったが。
 何にせよ。今は関係のない話だ。
 ちなみに、実は今回のことは明里から始めたことであるのは二人だけの秘密となった。


 ★☆★☆★


「愛夏、まだ慣れないのか」
「え……」
「美浜と草永海。あの二人の前でだけまだ上手く喋れないだろ」
 即日退院となった透は気を遣う友人たちと別れるために、大丈夫だということをいささか過剰なアピールをする羽目(はめ)に陥(おちい)ってしまった。傷を増やしはしなかったがけっこうきついことをした。
 ブリッジなんて体の固い奴がやることじゃないな……。元々運動なんてしてもいないし、酷い目に合った。
 中学の時も帰宅部で通していた透はそんな欠点を除けば運動は並以上にできる。もっとも、本職と比べればだいぶ色落ちはする。
 空が茜色(あかねいろ)に変わる姿を目の当たりにしながら、透と愛夏の二人は静かに歩む。決して沈黙ではないことが二人の親しさを表している。
 帰り遅れたかそれとも早帰りか、一羽のカラスが一声鳴いてから飛び立った。
「気後れしてるだけなら良いんだけど、それ以外に何かあるんなら言ってくれ。僕が力になるよ」
 その声にはそうそう気付くことのできない強さと意志があった。それはキザなセリフなのに何気なく言われているからか。
 ただその決意と取れるものは幼馴染みの域を出ておきながら、恋や愛といったものとは別物に感じられた。気付く者はまずいないだろうが。
 対して愛夏は、困ったような顔で笑うだけだった。
「初めて会った時のこと(、 、 、 、 、 、 、 、 、 、)が、ちょっとまだ尾を引いてるみたい」
 最近落ち着いてきたし、そのうちそんなのもなくなるよ。駆け足で少し前に出た彼女がクルリと回って言った。
 記憶を失くした彼女は一時期、極度の対人恐怖症に陥(おちい)っていた。そんな時にあの三人と再会したのだからそれも仕方のないことと言える。
「ならいいんだ」
 ほっとした透は日没の様子を見る振りをした。断じて、陽光を浴びた彼女の姿がいつもよりずっと綺麗で照れ臭くなったわけではない。
「さ、行こ。早く帰って夕食作らないと菜由子(なゆこ)さんが帰ってきちゃうよ」
 透の父親はずっと前に亡くなっているため、彼の家は母子家庭で母親が会社勤めをしている。そのせいか透は料理が上手い。小学生の時は少しだけ武道を習ってもいた。今も最低限の運動は自分でしている。
 事故があったおかげか、透たちが家に着くまで車はどれも安全運転で走っていた。あれだけ大きな事故は人の警戒心を煽(あお)るには十分だったようだ。
 今は空き家となっている幼馴染みの家を横切り、家族が一人――いや、一人と一匹――増えた我が家へと帰って来た。
「ただいまー」
 二人一緒に帰宅の有無を告げる言葉を言い、先に愛夏を通してから透は玄関に入る。
 愛夏はすぐに自分の部屋に向かった。荷物を置いて、そこで着替えるつもりだ。
 透は玄関以外完全に洋風と化している家のリビングへと向かう。一般的な高校生男子は家に帰ってすぐに着替えることは……というか自分の部屋に向かうのはそういないのではないかと思う。これは偏見の入った考えなので安易に断定はしない。
「何か、忘れてる気がする」
 とは言っても気がするだけで具体的に何を忘れてるのかは断片的にでさえ分からなかった。とりあえず喉(のど)が渇(かわ)いたので冷蔵庫から適当な飲み物――温暖化の影響かすでに二十五度を超える日が多い――を取り出して飲む。
 と、そこで視界の端に見慣れた物体が映った。
「あ……ポロ」
 忘れていたのはポロのえさだった。家に人の気配があっても動きがないところを見ると、朝から何も与えていないのでお腹(なか)を空かせてぐったりしているのかもしれない。
 基本的に、ここらは空き巣などの被害が出たことはないために窓は開け放したままだ。それでも家猫(いえねこ)に近い育てられ方をしたポロはあまり外に出ることはない。単に家の中が一番居心地が良いからかもしれないが。
「ポロ?」
 近くまで来て呼び掛けても反応が無い。さすがにこれはやばいと思って慌ててその体に触れた。
 暖かい。息もちゃんとしてるようで規則正しく脹らんだり縮んだりしてるのが感じられた。
「ふう」
 安堵(あんど)し、胸を撫(な)で下ろす。よくよく見るとこいつは昨日眠った位置から一歩も動いていなかった。つまりは今の今まで一度も起きることなく熟睡してたということだ。
「丸一日眠るつもりだったのか?」
 相手がネコでは真実も分からない。それに大事でないのなら無理に知る必要もない。ただ、次からは朝に叩き起こそうとは思う。
「透、どうしたの?」
 二階から降りて来た愛夏がリビングの入り口に立っていた。愛夏が着ている私服はラフな物で、ジーンズにでかでかとロゴの入ったシャツだ。ここまで活発な印象を与える服を着るのは記憶を失くす前には友人たちと出かける時だけだった。
「ん、ポロを起こそうと思って。こいつ、朝から眠ったまままみたいだから」
「ふーん、誰かさんみたいに眠ってるのが一番好きなんだ。やっぱり飼い主に似るのかな」
「それは心外。幾らなんでもここまで眠り続けたりはしない」
「どうだか」
 まったく、困った人よねー。と愛夏はポロの喉を撫でた。条件反射か脊髄反射か、ポロもゴロゴロと喉を鳴らして起きる。
 そしてはらへったー、とお腹をもゴロゴロと鳴らした。
「はいはい、今持ってくるから待ってて」
 愛情豊かな顔でポロの頭を撫でてから愛夏はキャットフードをポロのえさ入れに入れた。水を付けることも忘れない。
 しばらくポロが食べる様子をしゃがみながら見ていた。しっかりと食事をする様子を見て満足したのか、うん、と一人で頷(うなづ)いて立ち上がった。
「さ、夕飯、作ろ」
 上機嫌な愛夏に、自然と透も気分が高揚(こうよう)してくるのを感じた。


 ★☆★☆★


 今日の事件、と言うより交通事故のことは母・菜由子の耳には入っていないようだった。
 事故自体は大惨事ではあったが、それに巻き込まれたこちら側は無事だったのと、わざわざ蒸し返す気にもならなかったので何も言いはしなかった。
 透は夕食の支度が終わった後に鞄を部屋に置いて着替えていたので席では当然私服だ。ごくありきたりな軽い服装で、目立つ所はどこにもない。強いて言うなら伊達で掛けているメガネだけだ。
 それも、知らない者やすでに慣れた者には何の違和感も与えない。小さい時からしていただけのことはあるということだ。
 この事故の話は、本当なら日常にちょっとある不幸が続いただけで終わるはずだった。極々平凡な日常生活の中で起こった、運の悪い出来事。
 それだけで、終わるはずだった。
 いつ機械が壊れ、どこで車輪は外れ、何が歯車を狂わせ、誰がこれを起こしたのだろう。
 彼が生来の異能者だからか。それとも隣人が不幸になったからか。ありふれた好意が仇(あだ)となったのか。それとも――
 運命。
 これは日常が欠けた時から決まっていたことなのか。
 答えを知る者は彼の友人には居らず、たとえ知っていたとしたら彼は望んでそこへと飛び込んでいただろう。
 贖罪(しょくざい)を求める者にとって、目の前にそれを果たせるであろう道があるならば、どれほど困難であろうとも向かわずにはいられないのだから。
 それはまるでぼろぼろになっても大切な主を護ろうとする騎士のようであり、また決して報(むく)われないことをし続ける盲進者のようでもあった。
 彼は、どちらなのだろうか。
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