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第二章 ~募る不安~ 2

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                ◇◆◇◆◇


 あれから二日後。
 シースとフィルネは依頼を受けてアンノルダの町に来ていた。
 依頼内容は怪虫の駆除。対象は穀物を食らう人里に現れる怪虫である穀虫。
 最も人里に現れることの多い怪虫でそれゆえに駈虫などよりも強い。しかしその分研究はされていて薬剤で殺すこともできる。ただし薬剤を食らわせるには直接掛けなければならず危険が伴う。
 穀虫も馬鹿ではないので近付いてくる人間を容赦なく襲う。近付いてこなくても人間を殺すが。
 つまりは程度の問題ということだ。近付いてきた者には全力で襲い掛かる。それ以外では無理に殺そうとはしない。そういう違いだ。
 シースとフィルネは穀虫に薬を掛けるという危険な役目を任されたというわけだ。

「薬を掛けた時にしばらくの間もがく虞(おそれ)があるので皆さんはこちらの指定した危険区域の外に逃げていてください」

 フィルネは町の人を集めて必要な説明していた。

「こっちは高い金払って仕事をやらせてんだぞ。どうしてわざわざ町中であいつらを暴れさせようとすんだよ」
「あの怪虫はこの町に来て日が浅いんですよね。あの種類の怪虫は自分たちが食べ物を食い尽くすまで移動しようとしません。ですから彼らを少しでも早く退治するには町中で行うしかありません。食料が食い荒らされるのが良いのなら彼らが移動するのを待って作戦を開始します。私たちはそれまで一切の手出しをしませんのでどうかご了承ください」
「ふざけんなっ。こっちがどれだけの被害を受けていると思ってるんだ。さっさと待ちの外に連れ出してあいつらを始末しろ!」

 フィルネの説得は町の人間を納得させられないでいた。彼らは怪虫について恐ろしいということは知っているが、具体的にどんな風に恐ろしいのかと訊けば、人間を殺す・食料を食い荒らす程度のことしか知らない。
 実際には人間を殺すのも食料を荒らすのも恐ろしいことだが、それ以上に彼ら一体一体の強さが人間よりも遥かに上なのだ。
 硬い外殻。脚一本で人一人を何メートルも弾き飛ばす力。馬よりもある瞬発力。知能の高さ。広範囲を見ることのできる複眼。団結時のチームワーク。火にも水にも強い。
 全ての怪虫が持っている特性を上げただけでもこれほどに恐れなければならないことはあるというのに、町中に現れる穀虫はこの一般的なポテンシャルが他と比べて非常に高い。
 例えば駈虫と比べた場合。
 剣で脚を斬るなど余程の力自慢でもなければ不可能。
 首を半分ぐらい切ったところで死にはしない。
 雑食だが普段は穀物しか食べないので口が小さく剣を構内に入れるなど無理。
  駈虫みたく簡単なことで怒って我を忘れたりはしない。
 等々、この前のことと比べてみても分かるように穀虫を薬剤を使わずに殺すのはかなりの労力を必要とする。とても二人で二体の穀虫を外におびき出せるわけがなかった。

「だったらもっと使える奴らを応援に呼べっ。てめぇらはあいつらがこれ以上物食わねぇようにしやがれ」

 フィルネがその旨を伝えたところ帰ってきた答えがこれだった。

「あなた達が納めた代金ではとてもではないのですがこれ以上の人員を裂けないと言われまして……」
「なんだと!? いったいどんだけの金を払ったと思ってるんだっ。この町の年間収入の半分だぞ」

 いきり立つ町の人たち。フィルネにはこの事態を収拾する手立てが何一つなかった。
 町の人たちの気持ちも分かるのだ。
 恐ろしい怪虫が自分たちの町を襲い、荒らす。恐怖を取り払って貰う為にお願いしたところから来た者たちは役立たず。挙句この者たち以外に人は来ない。
 ここで溜まった鬱憤がでるのも仕方が無いのだとフィルネは思ってしまっていた。
 たとえそう思ったとしても職務を果たすことができる者はいる。しかしそれは酷く少数だ。だがそれでも彼らの命に関わる重大事に遠慮をするなど以ての外だった。
 遠慮も人間関係を円滑にするためには必要だが、決して命を護ることよりも上に位置するものではない。むしろ遠慮など命を危険に晒すものでしかない。
 本当に町の人のことを思ったとき、フィルネは下手な説明などするべきではなかった。ただ危険区域には入らないように。それだけを伝えれば良かった。
 気持ちが分かるならどんなことを言えば不安になるのかは分かったはずなのだから。
 優しすぎる。思いやりが過ぎる。彼女はこの仕事に必要な、助ける為に情報を操作するという割り切りをすることができなかった。
 それも経験を積めば次第にできるようになっただろう。また、経験を多く積んだパートナーが説明しているのを見ればどうすれば良いのか見て理解できただろう。
 だがどちらも今の彼女には望むべくもないものだった。
 パートナーは無愛想で説明不足なことが多く逆に人を不安のどん底に陥れる可能性があり対話を頼むわけにはいかない。しかも彼女が困っているのに彼はまったくの無頓着でさえあった。「シースさんっ。どうにかしてください。私にはもうこの人たちを説得するなんてできないです」

 シースは見ていた町の見取り図から目を離し、やっと自分のパートナーがどうなっているのかを知った。

「放っておけ。俺たちはやることをすれば良い。そしてこの場合の俺たちの仕事は駆除だ。それが何よりも優先される。文句を言いたい奴は言わせてればいいし、死にたいという輩は死なせてやれば良い」

 にべもない言葉をさらりと出され、全員が息を呑んだ。

「ざけんなっ! 俺たちの町を貴様なんかに好き勝手されてたまるかっ。おい、こいつらを追い出すぞ」

 人々は雄叫びを上げる。誰もが皆、頼りない少女も自分たちのことを何も考えない少年と青年の間の奴も必要としていなかった。

「邪魔をするなら殺す。言ったはずだ。俺たちの仕事は駆除であって人命救助ではない。町が壊滅しようと、結果的に怪虫が駆除できればそれでことは済む。自分の町を荒らされることを嫌うくせに、荒らしてる相手を外の人間に頼むなど愚かだ。そんな自分勝手なことしかできないのにそれを棚に上げて他人を貶(おとし)めるな」

 珍しく侮蔑し、冷たく斬った。
 それに人々は怒りを露わにし、襲い掛かる。フィルネは人の波の中に埋もれた。
 シースは剣を抜き構える。一点の躊躇(ちゅうちょ)も存在しない顔で――つまりはいつもと変わらない表情で――人を斬ろうとしていた。

「ぐおわぁぁぁぁ」
「あぐおぉぉぉぉん」

 突如上がった咆哮が全ての人の動きを止めた。
 皆が皆その声の上がった方を見ると、二体の怪虫がこちらに向かってきていた。

「な、なんで」
「こいつらだ。こいつらが腹癒せに怪虫を呼んだんだ」
「誰か、誰か助けてくれぇぇっ」

 いままでそこにあるというだけの脅威でしかなかった怪虫が、突如として自分たちに牙を向く。そんな事態に慌てない者など、ただの民衆の中にいるはずがなかった。
 あっという間に町の者たちは姿を消した。大人も、子供も、老人も。皆、誰一人残りはしなかった。

「いつつつ。死ぬかと思った」
「あいつらの意識は俺に向いていた。数が多いとはいえ、あれぐらいで死ぬようなら始めからガベルの隊員になどなれはしない」

 フィルネの率直な感想に、シースは何の思いもなく冷たい刃を触れさせた。

「それにしても、どうして突然こっちを狙ってきたのかな」

 気を取り直してフィルネが疑問を口にすると、シースはそれに答えた。

「騒ぎすぎたんだろう。これだけ近くで雄叫びを上げれば、温厚な動物だって威嚇をしてくる。それだけのことだ」
「でもこれで町の外におびき出せるかも」
「無理だな」

 フィルネの希望をシースはあっさりと打ち砕いた。

「奴らは怯えてるだけだ。恐怖の元がなくなれば引き返す。しばらくこの辺りで暴れてそれで終わりだ。深追いもしてこない」
「そんな」

 フィルネはシースを見て頼んだ。

「どうにか町の外に出す方法はないのっ? できることならどんな危険なことでもするからっ」
「ない。何をしたところで町の外には出ない。たとえ火を放っても食べる物がある限り居続ける」

 唇を噛み、必死で考えるフィルネに、シースはどこまでも追い討ちを掛け続ける。

「町への被害は免(まぬが)れないな。退治したとしても、来年まで持つかどうか」

 客観的で、何の感情もない事実を羅列するだけのシースに、フィルネは遂に我慢の限界を超えた。

「どうしてっ、どうしてそんなに与えられた仕事以外は、どうでもいいってことを言えるのよっ? どうして町の人の不安を少しでも取り除こうとしないのっ? どうして被害がでないようにしようとしてるのに何も考えないで否定ばかりするの? どうしてよっ!?」

 シースはそれでもたじろがず、フィルネの目を見て言った。

「穀虫が、最も研究された怪虫だということは知っているな。そして、その研究の中で穀虫を食べ物が町の中にあるのに外に出すことは不可能だとしている。無理にそれをしようとすれば、逆に被害が大きくなるばかりだともされている。つまり、世界中の研究者や現場の人間は、あいつらをただの一度も外に引っ張り出せたことはない。どうしようもないことなんだ」

 珍しく最後の方に感情がかなりあったが、頭に血が上ったフィルネには気付くわけがなかった。

「そんな、ことって」

 シースが込めた感情は、悲哀と呼ばれるものに近かったが、ほとんど表に出ることはなかった。フィルネはただ愕然とし、本当に何もできないのかと気を無くしていた。

「ぐおぁぁーん」

 二体の怪虫はもう目前に迫っていた。

「早く倒せば、それだけ被害は減る」

 フィルネが出した結論は、やはりそれしかなかった。

「もう、それしかないんですね」
「早く倒す、か」

 シースは怪虫の方を見ながら、フィルネが言った言葉を聴いていた。

「いっそ気絶してくれてれば、それができたんだがな」

 シースはフィルネの方を一瞬だけ見て言った。

「それはどういうことですか?」

 シースはこの時初めて驚き慌てる、という行為をフィルネの前でしていたのだが、当の彼女には今言った意味が頭の中にこびり付いていたために無視していた。
 明らかにしまったという表情を浮かべるシースは、時と場合によってはからかいの対象として彼女の中に刻まれただろう。しかし今この時、シースがどれほど人間的な表情をしていても彼女にはそれがどういうことなのか考える時間はなかった。

「誰が、気絶してくれていれば、早く倒せたって言うんですか?」

 フィルネは頭の中に浮かんだ名前を否定した。違う。そんなはずはない。

「私が、気絶していればどうして早く怪虫を倒せるんですか?」

 ついさっき激昂(げっこう)したばかりの思考は、簡単に熱される。
 してはいけないと、言ってはいけないと分かっていながら出てくる言葉を、彼女は止められなかった。
 フィルネはシースの違うという回答をまった。
 だが、いつまで経っても返事はなかった。
 フィルネは呟いた。

「信頼されてないだけじゃなく、邪魔者扱い……か。上手くとは言えないけど、少しはやっていけると思ってたのに」

 それは、言った本人以外の耳に届くことはなかった。
 遂に来た怪虫の声に、掻き消されたのだ。
 シースは、怪虫の方へと向き直り、フィルネを後にした。
 フィルネは俯(うつむ)き、シースの後を追う事はなかった。
 出会ったばかりだが、友人と話すような話をしたことはなかったが、それでも悪い人間ではなく、人と接するのが苦手か少し嫌いなだけかと思っていた。その相手に、彼女は裏切られた。 役立たずと言われて。

「まだ、たった二回しか仕事をしていないのにな」

 穀虫用の駆除剤を掛けられ、身悶(みもだ)えする怪虫の声が、どこか遠く聞こえた。
 シースの攻撃を掻い潜り、残った一匹の怪虫がフィルネを襲う。
 シースが何か叫んだ気がしたが、フィルネには全てがこの世のこととして認識されてはいなかった。
 信頼されていなくても、信頼していた相手に痛烈な一言を浴びせられた彼女に、立ち直るまでの時間はあまりにもなかった。
 フィルネは怪虫の攻撃を食らう前に気絶した。
 目の前の耐え切れなかった出来事に、体が自然と眠ることを強要したのだった。
 そして、彼女は怪物に掴まれた。
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