つばめ荘「おばちゃん亭」

如月つばさ

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夕凪町

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「じゃ、ちょっと行ってきます」 

「行ってらっしゃい。あれ、お願いしますね」

「厚揚げですね。勿論ですよ」

 玄関に見送りに出てきてくれた雅美が「1日にゃんたと遊んでいます」と、にゃんたを抱き上げて言う。

 そんな1人と1匹に軽く手を振ってから、家を出た。 

今日は夕凪町を散策。 

あとは買い物だ。


黄色く色付いたイチョウの葉が、通りを明るく彩る。 

少し歩いて曲がった先に商店街がある。

 「流石に空気は冷たくなってきたなぁ」

 空が高くなり、見るもの全てが秋を感じさせる。 

「やぁ花村さん。出掛けるのか?」

 角を曲がった所で、腰くらいの高さの本棚を乗せた荷台を押す、滝じぃに出会った。 

「散歩と買い物です。それは売り物ですか?」 

「あぁ、これかい。引っ越す家族がいて、引き取って欲しいって言われてね。いくつか運び終えて、これが最後だよ」

「へぇ・・・大変ですねぇ」

 あんなに売り物で溢れているというのに。

 こう言うのは、滝じぃの善意なのかもしれない。 

「どんどん人が出ていくから、年寄りばかりだ。あんたも物好きだね。はっはっは」

 肩を揺らして滝じぃが笑った。

 「私もいずれは年寄りですから。ここで静かに楽しく過ごせたら良いですよ」 

「そうかそうか。あぁ、引き留めて悪かったね」 

滝じぃは「失礼するよ」と言うと、重そうな荷台を押して店へと向かって行った。 



「ごめんください」

 「いらっしゃい。見ない顔ねぇ」

 布が散らかったテーブルで作業をしていた60代くらいの女性が、外した眼鏡を置いて、さち子をまじまじと見ながらこちらへ来る。 

その小太りの女性は、すぐに優しい笑顔を見せた。 

「何かお探し?」 そうさち子に尋ね、店の中へ「どうぞ」と招き入れた。


花柄やドット柄。ヴィンテージっぽい布。 色とりどりの刺繍糸や、カラフルな毛糸たち。

 見ているだけでもワクワクする。

 「ゆっくり見ていってね」 

おばちゃん店主はそう言うと、再び席について眼鏡を掛け、何かを縫い始めた。 

「それ、何やってるんですか?」

 「え?あぁ、これはパッチワークよ。私はこれが専門なの」

 彼女は、様々な色柄の生地を縫い合わせたそれを見せてくれた。

 「今は、孫にぬいぐるみ作ってるのよ」

 そう言って嬉しそうに笑って見せた。

 「あなたはパッチワークはするの?」

 そう尋ねられたが、正直見てるだけで気が遠くなる。 

「いえ。私は挫折したので」

 「あらまぁ、そうなの」 

少し残念そうにそう言う店主に、「商品、見せてもらいますね」と言ってその場を離れた。



「ありがとう。また来てね」

 店の外にまで、おばちゃん店主は見送りに出てきてくれた。 

会釈をしてから、店をあとにした。 

刺繍糸を三種類と、無地の布を数枚。

 「結構良いものがあったわね」

 ぽつりとそう呟き、それらが入った袋を握り締めて、商店街を歩く。

 気に入ったものを買えたときの胸の高鳴りはたまらない。 

何を作ろうか? 

そんな事を考えて、思わず顔がにやついた。


「わぁ・・・素敵」

 商店街を抜けて坂道を降りた先には、海が広がっていた。

 風が穏やかな今日は、さざ波が優しく打ち寄せる。 

海風になびく髪を軽く抑え、深呼吸をする。 太陽の光が反射して、水面がキラキラと輝いていた。 

遠くに見える水平線。 小さく船も見えた。

 「本当に良いところだわ」

 靴と靴下を脱いで、豪快にばたんと直に砂浜に座り込む。

 さち子は夕凪町に来て、1番のお気に入りの場所を見つけた気がした。


どれくらい座っていただろう。

 ぼんやりと水平線を眺めていると、うっかり時間も忘れてしまう。

 「ずっと居れるなぁ」 

今度は雅美も連れてこよう。

 あと、にゃんたも。

 にゃんたは猫だから嫌がるだろうか? 

「平和だなぁ」

 電線もない、大きく広がる青空を見上げた。 

「あ。厚揚げ買わなきゃ!」

 さち子は慌てて立ち上がり、パンパンとスカートについた砂を払ってから、商店街への道を戻った。


「厚揚げ、大きいの1つちょうだい」

 「はい。ちょっと待ってよー」

 百合子が厚揚げを用意して、袋に入れる。 

「ん。お金」 

「はい、ありがとね。どう?生活は慣れた?」 

お金を受け取った百合子が尋ねた。

 「うん。さっき海も見てきて、凄く気に入った」 

「そっかそっか!よかったよ。大きなお店も近くに無いし不便も多いだろうけどさ。もし、買い物に困ったら言ってよ。旦那が、たまに車でまとめ買いに隣町に行くからさ。買ってきてもらうように頼んであげる」

 「助かるわ。ありがとう」 

「働いてる時、さち子には散々お世話になったからねぇ!ま、ここは悪い人も居ないからさ。困ったら色んな人に頼りなよ。皆、きっと聞いてくれると思うからさ」

 そう言って百合子が笑う。 

「わかった、本当にありがとう。また来るね」 

そうして、豆腐屋を後にして、雅美の待つ自宅へと急いだ。 


「雅美さーん!お待たせしました」

 玄関で靴を脱ぎながら、大きな声で雅美に言う。 

スリッパの足音が、玄関に近づいてきた。 

「おかえりなさい。大丈夫ですよ。買ってきて下さってありがとうございます」

 さち子が渡した厚揚げの袋を受け取りながら、雅美が言った。 

「あ、雅美さん。明日、海行きません?」

 「海ですか?・・・これ?」

 雅美が両腕をクロールをするようにくるくると回す。 

「あははっ。違いますよー。寒いじゃないですか。ぼーっとしに行くだけです。商店街の向こうなので、歩いて行けますし」 

「あら、良いわね」

 雅美が目を細めてみせた。

 にゃんたが居間のドアの隙間からするりと出てきた。 

「にゃんたも行く?」 

さち子のその言葉に、にゃーと答えて奥の部屋へと入っていってしまった。 

それを見て、雅美はクスクスと笑っていた。


夕方、縁側で縫い物をしていると、台所の方から食欲を誘う匂いが漂ってきた。

 出汁の優しい匂い。 

あの厚揚げを炊いているのだろうか。

 「にゃんた、お腹すいたねぇ」

 にゃんたはさち子の隣の座布団に丸まっている。 

返事はしないが、さち子の言葉に耳をピクつかせた。 

何もない1日。 何もない幸せ。

 さち子は手元の布を整え、再びチクチクと縫い始めたのだった。
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