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刺さる棘 1

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 年明早々4日から再開された冬休みの補習授業の二日間。俺はあのクリスマスから一週間以上経ったその時に、ようやく先生と顔を合わせたんだ。
 だけど江嶋先生は俺のこと避けてる気がする。授業終了後に集められる計算プリントはいつも俺が運んでたのに年明けの補習授業開始からは一度も声が掛からない。ほんとなら補習に使うそれだって授業前に『篠原、取りに来い』って言って呼びつけてたのに。でも、二日間にやったプリントは先生一人でも持てる量だったから、ただ俺を呼ぶのがめんどくさかっただけなのかも知れない。
 だけど俺も先生とどんな顔して隣に並べばいいか、分からなくて……。結局補習授業の終わる日まで、俺はなんにも出来なかったんだ。

 そして1月8日、ついに三学期が始まった。雪がうっすら積もるほど寒いその日の朝、玄関のドアを開ければ軒先に10センチほどのツララが出来ていた。それを視界に入れたら寒い朝の空気が更にキンと冷たくなった気がした。
 時間は7時過ぎ。今日の俺は少し早めに家を出て学校へ向かったんだ。そして職員室に入れば、案の定江嶋先生はもういつもの席に座って仕事をしている。
「おはようございます、江嶋先生」
 俺の声に振り向いた先生。
「あ……しの、はら。ああ、おはよう」
 いつものクールな声が、少し揺れてる気がする。
「今日は3学期初日ですし早めに来ました。連絡事項沢山あるだろうし。これ、配るプリントですよね。教室まで運んでおきます」
「サンキュ。あ、こんだけでいいよ。残りは朝の職員会議が終わってから俺が持ってくから」
 小さな声で返答した彼から、机の上の大部分を占拠してたプリントの約半分を受け取った俺は一人だけでそれを教室まで運ぶ。
 ついこの間まで先生と一緒にくだらないことを話しながら歩いた渡り廊下も一人で歩くとなんだか寂しい。冬の寒い北風は、校舎の間を吹き抜けて肌に刺さるくらいの冷たさを感じる。そして俺の視界に映る中庭の木々は明け方まで降ってた雪のせいで枯れ枝に雪を薄く張り付けて雪化粧をしてた。
 ああ、こんな日に先生がここを歩いたなら『冬の景色はあんま色ねぇけど、凛としてて気持ちいいな』みたいな事言いそう。
 そんな風に俺はいつでも彼のことを考えてしまう。よっぼどだな、って我ながら笑えた。学級委員として一緒にいられたこの些細な時間が、俺にとっては本当に至福の時だったんだなぁって改めて感じて。そして今は一人だって事実が、北風より鋭くとがった棘みたいに俺に突き刺さる、それはまるで朝見たツララ並に冷たかった。
 その寒い寒い渡り廊下を通り過ぎて教室に入れば、そこはいつものクラスメイト達がひしめく賑やかな空間。
「おっはよー篠原っ」
 元気よく声をかけてくれた勝山だったが俺は背中を叩かれる予感がして、返事を返す前にささっと身体をずらした。そしてアイツの手がすっと俺の肩の少し向こうをよぎったのを確認してから「おはよ、勝山」と返事をする。
「うわっ、避けられたっ」
「当たり前。俺プリント運んでんのに叩かれたら落としちまうじゃん。いい加減手加減しろよな、お前の平手、超痛いんだからな」
「三学期もちゃんと学級委員にしてやるから、よろしくなっ」
「俺はお前みたいに人に押しつけたりしないから言われなくてもやってやるよ」
「マジかっ、お前太っ腹だな~」
 ドン、と教壇の上にプリントを置いた俺は「さすが篠原っ」と言う勝山を無視して自分の席に座った。
 そうなんだ、俺今学期も学級委員やりたい、って思ったんだよ。それがさっきプリントを自主的に取りに行った理由なんだ。あの人が正月明けから何となく俺を避けてるって感じるのは気のせいかも知れないけど、事実ならもちろん俺のせいだし、何より彼女いるのに男から告白されて避けない奴がいる方が逆に怖い。
 でもこのままじゃ先生とギクシャクしたままになってしまう。俺が告白したのは、そんな風になりたかったからじゃないんだから、がんばるって決めたんだから。

 先生が来室して始まったHRは、いくらかの私語でざわつく中、淡々とすすむ。いつもとなんにも変わらない先生は連絡事項を述べてる。
 そして「じゃあ3学期の委員会だが」と彼が話し始めた。その瞬間、俺は自分から挙手したんだ。「俺、学級委員でいいですよ」って。

「さっすが篠原!」
「首席はちがうねぇ!」

 教室は拍手喝采だったけど、俺は、こうでもしなきゃ先へは進めないって感じてたから。
 江嶋先生は「そっか、じゃあ篠原頼む」と言っただけ。俺は席を立って教壇に行き、彼の作業を手伝った。そして学級委員以外の委員会決めやその他の係も俺と同じように二学期と同じメンバーで続行と言うことになり、あっという間にHRは終わった。ふつうなら、始業式後にそう言った決め事するはずなのに、うちのクラスはほんとに決議が早い。それは江嶋先生の影響なんだろうけれど。
 その結果体育館で行われた始業式後に予定されてた学活も、うちのクラスはなくなってしまい、「やることねぇから今日はもう解散だ」と先生が呟いた。
「やった! 帰れる~」
 と大喜びの生徒たちに先生が、
「明日からは6時間の通常授業だからな、気ぃ抜くなよ」
 と軽く釘を刺せば、
「すでに補習授業でみっちり予習できてますよー」
 って返答した奴もいたりして。
 鞄に荷物を詰めて席を立とうとしたとき、俺の後ろにいる世良さんが小声で話しかけてきた。
「ねえ、篠原君、聞いた?」
「え、なに?」
「あのね、池本くんとのりこ、つき合うことになったんだってっ」
 世良さんが言うにはあのクリスマスの後かららしい。
「嬉しいよね」と笑う世良さんのように、俺は心そんな広くない。なんか自分がすごく情けなくなった。あの日、俺は叶う事なんて無いだろうと分かっているのに、先生に告って逃げちゃったんだから。
「そっか、よかったね」
 とだけ、返事をしたら「篠原くん、もしかして、悩んでるの?」と顔色を伺われた。
「あ、いや、大丈夫」とブンブン手を振って誤魔化したけど、
「篠原くん、片思いだって言ってたもんね。前も言ったけど手伝うよ? 何でも言ってね」
 って恋煩いなのバレバレでした。だけど担任に告白しましたなんて言えるわけ無いじゃないか。
「ありがとう世良さん、その時がきたら、お願いするかも」
 とだけ感謝を述べて、俺は教室を出たんだ。


   *


 翌日、6限までフル稼働な学校。そして全く代わり映えなく滞りもなく授業は進む。俺たち特進は冬休みも補習授業いっぱいあったから中だるみだとか、気のゆるみとか、そう言うのには無縁で。俺は通ってないけどクラスのほとんどの奴が塾もあるし。勉強ばっかで超つまんないって思ったりしないのかな?
 あ、そういう風に考えるのは中だるみって事? いや、ただ恋人のいない俺の妬み、みたいな物なのかも。
 でも、今日の江嶋先生は、朝のHR終わりに職員室来い、って呼んでくれたんだ。そして並んで俺と廊下歩いた。でも結局、しゃべれなかったんだ。先生じゃなくて、俺が。
 どうやってしゃべってたっけ? って考えても思い出せない。分からなかった。だから先生が
「冬休みの補習のまとめテスト、お前が一番だったよ。よくやったな、篠原」って言ってくれた声に、「あ、ありがとうございます」って返事しただけだったんだ。せっかく先生が話振ってくれたのにまともな返答すら出来ない俺。もう自己嫌悪しか感じなかった。


 今は昼休み時間。弁当も食べ終わってクラスの中は皆、思い思いにしゃべってザワツいてる。俺の目の前にいる勝山もなんか下らないこと話してたけど、それに適当に相づち打ちながら、俺ずっと先生のこと考えてた。
 あのクリスマスから俺、全くなにもしてない。せっかく学級委員に立候補したのに、それも有効活用できてないんだ。あなたと一緒にいれば、もしかしたら、って思ったんだけど、彼との今までの距離感みたいなのが全くわかんなくて、ギクシャクしたまま。
 したら、ぼーっとしてた俺の目の前で、池本が嬉しそうに彼女になったのりこさんと笑顔で話してた。いいなぁ、あんな風に先生とも自然に仲良くできたら、どんなに楽しいだろう……。
 彼らの姿が俺の目には痛くて、尖った棘みたいに感じる。

「池本、幸せそうに話してるな~」
 こそっと勝山が呟いてきた。
「そだね。今日はデートかな?」
 と俺が返せば「たぶんな」と勝山は言う。そして、
「……なあ、篠原、お前の好きな奴って誰なの?」
 といきなりの一言を放ったんだ。それはコイツがいつも俺の背中にくらわす平手打ち並みに強烈で、
「な、な、なん、だよっ」
 って俺はまともな返事すら出来なかった。

 でも勝山は、俺の顔じっと見て言った。
「なんかさ、年明けからお前なんか変だな、って思ってたんだよな。もしかしてクリスマスの帰り、世良さんに告白して振られた? って考えたんだけど世良さんとお前の様子、二学期と変わんなかったし、世良さんとはやっぱりただの友達っぽいし。ってことは、お前は俺の知らない誰かに告ったとしか考えられない。という結論を導き出したわけだよ」

「か、かつ、かつ」

 余りに図星すぎて、俺の声はただどもるばかり。でも勝山は俺から目を離さず「だから教えて? 誰? 告白した相手」と迫る。
 その視線から顔を背けた俺は「……言えない」と小さな声で返事した。

「じゃあ、結果だけでも」
「聞いてない」
 俺の返答に苦笑した勝山。
「聞いてないのに落ち込んでんじゃ慰めようもないなぁ。そうそう、竹内は告白断ったらしいよ。クリスマス遊んだ中で幸せなのは池本だけかぁ」
「……じゃあ、お前は?」
「俺は振られたクチ。お前と同じかな? てゆーか、お前まだ振られてないんだろ?」

 勝山は、ニヤリと笑った。
「お前、ああなりたいって思わねぇの?」

 俺の視界に池本がちらつく。

「なりたいけど……」
 
 小さく嘆息したとき、俺ハタと気付いた。
 そうなんだ、ああなりたくて俺、先生に告白したんだよ。先生とギクシャクする為な訳ないじゃん。
「白黒つけてきたら? 篠原一応イケメンの部類に入るんだし。それに結果出すのは向こうだから、待ってても仕方ないよ」
 って励ましてくれた勝山の声なんて俺は聞いちゃいなかった。
 頭ん中は今日の先生への失態でいっぱいで。

 俺、先生に逆に気を遣わせちゃって話しかけさせて、なのに返事もまともに出来ないとか、最低じゃね? 距離感わかんないとか言ってる場合じゃないじゃん!
 あの人のこと、好きなのに、告白したくせに逃げてるなんて……!
 
「……俺、もう一回言ってくる」

 俺の呟きに笑ってるだろう勝山の顔も見ず、教室を飛び出したんだ。


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