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第十二章 学園祭の始まり
26 雲隠れ
しおりを挟む呉宇軒が前にお菓子作りをした部屋のある棟へ入ると、壁に見慣れない案内の貼り紙があった。お酒の研究をしているサークルが、日が落ち始めてからバーの案内を出したのだ。
張り紙に書かれた開店時間を見て、呉宇軒は感心した。
「よく考えたよな。夕方からなら、見応えのあるイベントは全部見られるじゃん」
美男美女コンテストや劇などの人気イベントは明るいうちに屋外ステージを使って行うため、その時間帯に店番をする生徒は必然的に見られなくなる。動画配信があるとはいえ、実際にその場で体験するのとではやはり気持ち的にも盛り上がりも大きく違う。
だが、彼らのように午後から開店の店にすれば、そんな心配とは無縁だ。
「なるほど、それは確かに賢いのう」
お酒が飲みたすぎて早歩きになりながらも、祖父は律儀に孫の話に相槌を打つ。ただ、先陣を切ってどんどん進んでいるので、祖父と呉宇軒たちの間には人二人分の距離ができてしまっていた。
祖父に置いていかれないように足早になりながら、呉宇軒は自分が出店をする時の店番はどうしようかと頭を悩ませる。来年は李浩然が美男美女コンテストに応募してもいいと言ってくれたので、絶対に応援に行きたい。
それに、友人たちもきっと彼の応援をしに行きたいと言うだろう。そうなると、店番を頼める人がいなくなってしまう。
「浩然、来年俺たちはどうしようか。誰か店番を任せられる人はいないかな?」
困った時の幼馴染だ。すると案の定、李浩然はすぐに最善の答えを出してくれた。
「君のバイト先の兄弟子に頼んでみては?」
確かに、兄弟子たちはコンテストや劇に興味があるとは思えない。客が少なくなるコンテストの僅かな間だけなら手伝ってもらえるだろう。
彼の素晴らしい答えに、呉宇軒はキラキラと目を輝かせて笑顔を向けた。
「いいアイディアだな! さすがは俺の然然」
やるじゃないかと幼馴染を褒め称えながらさり気なく身を寄せ、彼は祖父の視界に入らないように後ろ手でこっそり手を繋いだ。すると、李浩然が悪戯めいた目配せをして、その手をぎゅっと握り返してくる。前を行く祖父は全く気付いていない。
一行は案内に従ってしばらく廊下を進んで行き、目的の場所に辿り着いた。
廊下の外には目印の看板が置いてあり、僅かに開いた扉から落ち着いた雰囲気のジャズが漏れ聞こえてくる。部屋の扉には光沢のある黒い木の扉に見えるように壁紙が貼られていて、いかにもバーがありますと言った見た目だ。
扉から漏れる暖色の落ち着いた照明に誘われるように中へ足を踏み入れると、アンティーク調のカウンター席と二人掛けのお洒落なガラステーブルの席がある内装が目に入る。壁には薄いカーテンがかけられていて、バーらしさを精一杯演出しようという意図が窺えた。
扉を開けると、上についていたドアベルがカランと控えめな音をさせる。まだ飲み始めるには早い時間なためか、中にいる客はほんの二、三人だ。
「いらっしゃ……軒軒!? 優勝おめでとう! 応援してたよ!」
どこにでもファンはいるもので、バーテンの格好をした男子生徒が、呉宇軒の顔を見るなり大喜びでカウンターから飛び出した。
孫が熱い歓迎を受ける中、祖父は一人でさっさととカウンター席へ座り、早速メニュー表を見始める。孫より酒な祖父に呆れつつ、ファンサービスの握手をしていた呉宇軒は、振り返ってどの席に座ろうか悩んでいる祖母二人に声をかけた。
「ばあちゃんたちも好きなとこ座って何か飲みなよ。俺が払うから遠慮しないで」
「あら、いいの?」
「お言葉に甘えちゃおうかしら」
孫からの嬉しい言葉に笑顔になった祖母二人は、ゆっくりできそうな奥の席へ決めたらしい。二人は祖父とは違って、席に着くなり即決でカクテルを頼んでいた。
バーテンに勧められたこともあって、呉宇軒は幼馴染と二人でカウンター席にいる祖父の隣へ腰掛ける。羊皮紙風の小洒落たメニュー表を見ると、お酒の他に色々なつまみのセットも用意されていた。ヨーロッパ産のチーズやハム、チョコレートなどのよくあるものの他に、ちょっとしたパスタやパンなどの軽食もある。
「じいちゃん、夕飯前だからあんまり飲みすぎないでよ? 今夜は俺のバイト先予約してるんだから」
呉宇軒は今日のために、わざわざ職場の飲食店に予約をしていた。飲みすぎてはせっかくの美味しい料理が台無しだ。
孫の小言に祖父は「はいはい」と苦笑いで返事をすると、メニューから日本酒と枝豆のセットを注文していた。世界のお酒を扱うだけあって、本当に多種多様な酒がある。
「浩然はどうする? 俺は赤ワイン飲もうかな」
「それなら、俺も同じものにする。つまみは肉系でいい?」
「うん。この生ハムとか色々乗った二人前のやつでいいんじゃないか?」
フードメニューは写真付きで、呉宇軒はカフェなどでよく見る木のプレートに綺麗に盛られている写真を指差した。サラミやハム、ベーコンなど、赤ワインに合うヨーロッパ産のつまみが食べ比べできるようだ。
注文してお酒が来るまでの間、呉宇軒は祖父に画面が見られないように、こっそりと携帯で大学の掲示板を覗いた。学園祭中にも拘らず、掲示板は例の嫌がらせを指示した黒幕女の情報で溢れている。
しかし、たくさんの書き込みを遡っていくと、例の女が混雑している食べ物の出店の辺りに逃げ込んだという目撃情報を最後に進展がない。恐らく人混みに紛れてうまいこと逃げおおせたのだろう。
呉宇軒はメニュー表をじっくり見ていた李浩然の膝を指でちょんちょんと突き、彼の耳元に顔を寄せて小声で話しかけた。
「例の子、見失ったって。もう捜索打ち切っちゃってもいいんじゃないかな? せっかく学園祭なのに、このままじゃみんな楽しめないだろうし」
囮作戦が失敗した上に、あちこちで彼女を探している人がいる。いくら李浩然と話せるチャンスだとしても、こんな状態ではさすがにもうこの会場に留まろうとは思わないだろう。楽しい学園祭の中、このまま無意味な捜索を続けるのは時間がもったいない。
「分かった。王茗たちに連絡しておくから、君は掲示板で呼びかけておいて」
小さな声で囁き返した李浩然は、友人に連絡しに行くと言って席を外した。その動きはさり気なく自然なものだったので、お酒に舌鼓を打っている祖父は疑いもしていない。
彼と入れ違いでお酒が来てしまったが、一緒に飲みたい呉宇軒は手をつけず、戻ってくるまでの間に掲示板に捜索打ち切りの書き込みをすることにした。
バーテンの生徒に美味しかったら紹介してと頼まれたので、呉宇軒は綺麗に盛り付けられたつまみとお酒をセットで写真に取り、せっせと紹介文を打ち込んでいく。李浩然が来たら一緒に食べて感想を添えようと思っていると、隣でそれを見ていた祖父が興味深げに声をかけてきた。
「お前はいつもそんなことをやっているのか?」
「んー……たまに? 美味しいものがあったらみんなに共有したいじゃん? それに俺、こう見えて有名インフルエンサーでもあるからさ。ちゃんと仕事しておかないと」
大学に入って前よりも宣伝の頻度は減ったが、インフルエンサーとしての影響力は健在だ。人気の秘訣は小まめな更新だと説明していると、ちょうど良いタイミングで李浩然が帰ってきた。
「浩然、王茗たちどうだって?」
「みんなで学園祭を見て回るって。ただ、猫奴はまだやると言っていた」
嫌がらせの犯人としてアンチたちが濡れ衣を着せられたので、彼の怒りは相当なものだろう。口で言ったところで止まりそうもないので、呉宇軒はアンチたちには好きにさせておくことにした。
「あいつは放っておこう。それより酒きたぞ。飲んでみよう!」
ワイングラスを持った李浩然は相変わらず上品で格好良く、呉宇軒はつい口元が緩む。バーの仄暗い照明効果も相まって、まるで彼の周りだけ別世界に見える。
せっかくだからと、呉宇軒はその姿を携帯で撮った。いつもならそのまま自分のアカウントに上げるが、なんとなく独り占めしたい気分だったのでやめておく。すると、らしくない彼に李浩然は不思議そうな目を向けてきた。
「上げないのか?」
「うん。例のあの子も見てるだろうから、ちょっと意地悪しようと思ってな」
最近めっきり李浩然の写真を上げなくなったので、彼のファンは不満そうにしている。その中にはきっと、例の黒幕女もいるはずだ。
李浩然は穏やかに微笑み、「そうか」と短く返す。彼はいつもやきもちを妬く側なので、呉宇軒が珍しく独占欲を覗かせたことが嬉しいようだ。
つまみの肉を一通り食べ終わった呉宇軒がバーの紹介文を携帯に打ち込んでいると、バーのドアベルが来客を告げる。
「あっ、軒軒こんな所にいたのね!」
聞き慣れた声に顔を上げると、仁雷と張姉が店の中に入ってくるところだった。
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