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第十四章 トラブルは付きもの
24 新米モデル
しおりを挟む休憩の五分をとっくに過ぎた頃、呉宇軒は幼馴染を連れ立ってスタジオまで戻ってくると、音を立てないように扉をそっと開け、息を潜めながら顔だけを覗かせた。
彼らがなかなか帰ってこないから、先に別の写真を撮ることにしたのだろう。中央のベッドでは、茶色いクマのパーカーを着た桃蓮がソロで撮影をしている最中だ。
スタッフたちはスタジオの扉が開いたことにも気付かず、様々なポーズを取る彼女を見物している。中に入るなら今がチャンスだろう。
呉宇軒は肩越しに後ろを見て、上機嫌な李浩然に囁いた。
「いいか? そっとだぞ?」
そう言い含めると、彼は極力音を立てないように足を忍ばせ、ほんの僅かに開いた扉から体を滑り込ませる。扉の軋みすらなく中へ入った呉宇軒は、扉を押さえたまま李浩然を手招いた。
男二人がそうしてこそこそスタジオへの侵入作戦を決行していると、小道具を片付けていた女性スタッフと鉢合わせしてしまった。彼女は呉宇軒の顔を見るなりニヤリと笑い、声を潜めて話しかけてきた。
「軒軒ったら、ずいぶん遅かったわね。何やってたの?」
どう見ても何かあったと察している顔だ。呉宇軒は誤魔化し笑いを浮かべ、なんともないと言うように口を開いた。
「べ、別に……ちょっと休憩が長引いただけだよ」
実際はちょっとどころではなく、十分オーバーだ。呉宇軒は両手を合わせると、必死になって彼女に拝み倒した。
「このこと、Luna姉には内緒にしといて!」
仕事に厳しい彼女の耳に入るのが一番まずい。後で地獄のお仕置きフルコースを喰らいかねないのだ。
女性スタッフは必死な様子にクスクス笑い、「貸し一つね」と言い残して仕事へ戻っていった。
周囲を見渡しても、他に彼らが帰ってきたことに気付いた人はいないらしく、現場は静かなものだ。呉宇軒は他人事みたいに立っていた李浩然を横目でジロリと睨み、彼の脇腹を肘で小突いた。
「お前のせいだぞ!」
声を潜めて咎めるも、李浩然は不敵な笑みを浮かべる。
「君も楽しんだだろう?」
痛恨の一撃が呉宇軒の胸を貫いた。誘惑に負けてしまった手前、それ以上強くは言えなくなる。
「うっ……それはそうだけど」
悔しくも言い返せずにいると、李浩然は大胆にも呉宇軒の体を抱き寄せ、流れるように唇を奪った。
一体いつからこんなに大胆になったのだろう。引っ込み思案で大人しかった昔とは真逆の成長を遂げた幼馴染に、呉宇軒は翻弄されるばかりだ。
その時、カメラマンの楽しそうな声が聞こえてきた。
「いいねぇ蓮蓮! 本物のクマみたいなワイルドな顔! すっごく良いよぉ!」
妙な言葉に呉宇軒が撮影現場へ目を向けると、可愛らしさを売りにしている桃蓮が彼女らしからぬ鬼の形相をしている姿が目に入る。まるで親の仇を睨むような鋭い視線はカメラマンを通り越し、ちょうど後ろに位置する二人──もとい李浩然へと向けられていた。
せっかくスタジオに戻ったのに、写真を確認していたスタッフから呉宇軒の分は先ほどの撮影で十分と伝えられる。お払い箱になった彼は次の撮影の準備をするように言われ、これ以上桃蓮を刺激しないよう、李浩然と共にスタジオから追い出された。
「あーあ、俺の出番もう終わりだって。せっかく可愛い格好してるのに!」
もう何枚か写真に撮ってほしかった呉宇軒は、冷えた廊下を歩きながら頬を膨らませる。スタッフたちからちやほやされて、すっかりこのうさちゃんパーカーが気に入ってしまったのだ。
隣を歩く李浩然は彼の腰を抱いて引き寄せると、うさぎフードに隠れた拗ねた顔を覗き込み、穏やかに微笑んだ。
「それは持って帰れるんだろう? 俺の前でたくさん見せて」
単に記録魔の彼が撮りたいだけなのかもしれないが、家に帰ってからでも写真は撮れると慰めてくれる。呉宇軒ほどの人気者になると、撮影で使った服は宣伝のために持ち帰りが推奨されているのだ。
「お前もこの格好好き?」
「すごく可愛いと思う」
愛する恋人から褒められて、呉宇軒の機嫌はすぐに元通りになる。彼は喜びを隠しきれず頬を緩ませると、悪戯に目を輝かせながら李浩然に顔を寄せ、甘やかに囁いた。
「じゃあ……お前の上に乗って跳ねてやろうか?」
「うん、たくさん跳ねて」
どちらからともなく笑みが漏れ、そっと唇が重なる。そのまま足を止めた二人は、絡まり合いながら廊下の端に寄った。
しかし、抱き合って口づけを交わしていると、どこかから妙に聞き馴染みのある声が聞こえてくる。
「やだ、軒軒じゃない! そんな所で何やってんのよ」
いつの間にか更衣室の近くまで来ていたらしい。扉から顔を覗かせていたのは、仲良しカメラマンの張姉だった。今日は銀と黒のツートンカラーの上着に細身の白いパンツを合わせ、イケメンモデル顔負けの格好いい姿をしている。
「次の撮影って張姉なの?」
呉宇軒が驚き混じりに尋ねると、彼はふふふ、と意味深に笑った。
「今日はとっておきの新人が入ったのよぉ。軒軒も知ってるあの子!」
勿体ぶった言い方に、呉宇軒は新入りの知り合い?と首を傾げる。
張姉が大きく扉を開けると、そこに居たのは仁雷だった。彼は廊下の隅で抱き合う二人に一瞬怯んだものの、初仕事への緊張が勝ったのか、ぎこちない笑みを浮かべた。
「や、やあ二人とも。今日はよろしくな」
美男美女コンテストでスカウトされていた彼は、しばらくどうするか迷っていたのだ。ここに居るということは、ついに腹を括ってモデルデビューをすると決めたらしい。
カチコチに固まった仁雷を見て、張姉は乙女らしくしなを作りながらその背中を叩いた。
「んもう、心配しなくても大丈夫よ! 今日はあたしが撮るんだから」
初めての相手になれて光栄だわ、と意味深に笑う。一見ふざけてばかりに見えるが、張姉が初仕事で緊張する仁雷がリラックスできるように、色々手を回してくれたことは明白だ。
自分の時もそうだったな、と昔を懐かしみながら、呉宇軒も二人に笑いかけた。
「今日は俺がリードするから任せときな! プロの技を見せてやるぜ」
それに、緊張している仁雷よりも写真が苦手な李浩然の方が問題は山積みだ。なにせ彼は編集長に弱みを握られ、渋々撮影に来ているのだから。
「ほら、あんたたち外でイチャついてないで。さっさと中に入んなさい」
張姉に招かれて、廊下で抱き合っていた二人は寒さを凌ぐようにくっ付きながら、ヨロヨロ歩きで更衣室の中に入った。
撮影で使う冬服は準備万端で、それぞれ誰がどれを着るか分かりやすいように名札まで付けられている。モノトーンのシンプルで落ち着いた大人のデザインは李浩然で、赤や暖色で柔らかい印象の服は呉宇軒の分だ。仁雷の分はシルエットがすっきりとした格好いいデザインを合わせるらしい。
三者三様、個性に合わせた衣装選びはさすがプロの現場だ。三人分の衣装と数人のスタッフしかいないことから、今日は他の撮影が無いことが窺える。
モデルが全員揃ったので、さっそく衣装合わせから入ることになった。
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