真面目ちゃんの裏の顔

第一章 早すぎる再会

14 教育的指導

　アンチに噛みつこうと意気揚々として文字を打っていた呉宇軒ウーユーシュェンの手から、突然ふっと携帯が消える。一瞬すぎて何が起こったか分からず慌てて行方を探すと、探していた物は何故か李浩然リーハオランの手の中にあった。
　嫌な汗が背中を流れる。不味いと思った時には遅く、画面に目を通した李浩然リーハオランの表情がたちまち険しくなった。

「……阿軒アーシュェン？」

　ただ名前を呼ばれただけだというのに、ヒリヒリとした緊張が走る。それはルームメイトたちにも伝わったようで、突然の張り詰めた空気に部屋がしんと静まり返った。
　何を書いていたか必死に思い出しながら、呉宇軒ウーユーシュェンは一縷いちるの望みを掛けてすっとぼけた。

「別に何もしてませんけど？」

　しらを切る幼馴染を無言で見つめていた李浩然リーハオランは、その言葉に厳しい表情を浮かべてゆっくりと立ち上がり、氷粉ビンフェンを音もなくテーブルに置いた。そして、片手で携帯を操作しながら何かを打ち込み始めた。
　指の動きを読んだ呉宇軒ウーユーシュェンは、それが意味する事に気付き慌てて手を伸ばす。

「待って待って、待ってってば！！　俺が悪かった！　もうしませんっ」

「その言葉は何度目だ？」

　ぐうの音も出ない言葉だった。それ以上何か言うこともできず、呉宇軒ウーユーシュェンは必死になって携帯を取り戻そうとする。
　冷たい目をした李浩然リーハオランは片手で幼馴染を遠ざけながら、もう片方の手で器用に携帯を扱う。手慣れたもので、ほとんど画面を見ずに作業している。
　呉宇軒ウーユーシュェンは一旦動きを止めると、獲物を狙う猫のように狙いを定めて飛び掛かった。ところが李浩然リーハオランの動きはそれよりも速く、伸ばした手は虚しく空を切る。
　ちらりと見えた画面にはパスワードを変更しますか？の文字。自分のアカウントから弾き出される！
　全力で阻止すべく体当たりすると、その動きをとっくに読んでいた李浩然リーハオランは素早く身をかわした。空振りしてよろける呉宇軒ウーユーシュェンの体を腕一本で引っ張り、その勢いのまま椅子の上にストンと座らせる。

「反省しなさい」

　一連の動きは達人の域に達していた。成り行きを見守っていたルームメイトたちから感嘆かんたんの声と共にパラパラと拍手が起こる。謝桑陽シエサンヤンに至っては、凄いものを見たと興奮した様子で手を叩いていた。
　帰ってきた携帯を確かめると、既にログアウトされた後だった。わなわなと震える手で元のパスワードを打ち込むもアカウントに入れない。
　呉宇軒ウーユーシュェンはこの上なく悲しそうな顔をして李浩然リーハオランを上目遣いに見たが、容赦なくパスワードを変えた幼馴染は冷ややかな視線を返すだけだった。

「先生の指導を見られるなんて感激です！」

　感極まった謝桑陽シエサンヤンの言葉に、王茗ワンミンがえっ？と驚きの声を上げた。それから幼馴染二人の攻防戦を思い出し、ハッとした顔になる。

「……あっ！　アンチたちが言ってる先生って李浩然リーハオランのことだったのか！」

　未練がましく変更されたパスワードを突破しようとしていた呉宇軒ウーユーシュェンは、王茗ワンミンの言葉に顔を上げた。

「お前、俺のことフォローしてるくせに知らなかったのか？」

　李浩然リーハオランがアンチから先生と呼ばれているのはファンの間でも有名だ。ネットでアンチ相手に度々暴走する呉宇軒ウーユーシュェンを止められる存在として、アンチ連中から一目置かれている。他には猛獣使いや救世主、飼い主とも呼ばれていた。呉宇軒ウーユーシュェンがクソ犬や駄犬、いかれ野郎だの散々な呼ばれようなのとは雲泥の差がある。

「ファンとアンチは棲み分けろって言ってたから」

　あまりにも純粋な言葉に呉宇軒ウーユーシュェンの心は感動に打ち震えた。こんなに素直な子は今時珍しい。
　何度もパスワードの入力に失敗して匙を投げた呉宇軒ウーユーシュェンは、勧められた椅子に座って何事もなかったかのように氷粉ビンフェンを食べる幼馴染へスーッと椅子を滑らせて近付いた。

「然然ランラン、然然ランラン、パスワード教えて？」

　入力画面を見せながら甘えた声を出しておねだりするも、李浩然リーハオランは毅然きぜんとした態度を崩さない。呉宇軒ウーユーシュェンはめげずに身を乗り出すと、耳元に顔を寄せて囁いた。

「小然シャオラン、中に入れてよぉ」

　何が悲しくて自分のアカウントから追い出されなければならないのか。
　いつもならこれで手を緩めてくれるが、今日は違った。李浩然リーハオランは目を閉じてため息を吐くと、横目で呉宇軒ウーユーシュェンを睨み、返事の代わりにスプーンを口に突っ込んできた。
　とろりとした氷粉ビンフェンと甘酸っぱい苺の味が口一杯に広がる。口の中のものを飲み込んだ呉宇軒ウーユーシュェンが何か言おうとすると、間髪容れずスプーンが入ってきた。
　そっちの入れてじゃねぇ！と抗議の声を上げようとするも、呉宇軒ウーユーシュェンが口を開く度に氷粉ビンフェンが突っ込まれて堂々巡りになる。
　ついに根負けした呉宇軒ウーユーシュェンは床を蹴って距離を取り、盛大にため息を吐いた。

「分かった！　もういい！！」

「分かればよろしい」

　ぴしゃりと言い放たれ、不貞腐れた呉宇軒ウーユーシュェンは悔し紛れに幼馴染を睨むと、うぅーと犬のように唸った。李浩然リーハオランはいつも容赦がないが、今日は一段と手厳しい。
　問題児を完封した李浩然リーハオランの手際を見て、呂子星リューズーシンが感心した顔をする。

「さすが幼馴染。見事なもんだな」

　果たして自分も同じようにできるだろうか。呉宇軒ウーユーシュェンと王茗ワンミンというそれぞれ別の意味で手の掛かる問題児を見て、呂子星リューズーシンは途端に不安になった。気分はさながら、言う事を聞かない駄目犬を二匹も抱えた飼い主だ。

「心配ない」

　悩める呂子星リューズーシンの気持ちを察して、李浩然リーハオランはきっぱりと言い切った。

「彼は俺が見ておく」

　『彼』とは当然呉宇軒ウーユーシュェンのことだ。頼もしい味方を得た呂子星リューズーシンは安堵したが、見張られることが決定した呉宇軒ウーユーシュェンはうんざりした声を出した。

「お前、四六時中俺に張り付いてる気かよ！」

「いい子でいなさいと言ったはずだが？　それに、おばさんから君の面倒を見るように頼まれている」

「ああああぁぁぁっ！　もうやだぁぁぁ！」

　聞き分けのない子どもに言い聞かせるように言われ、呉宇軒ウーユーシュェンは頭を抱えて嘆いた。パスワードは変えられるわ母親から余計なことをされるわ、今日は踏んだり蹴ったりだ。
　項垂れる呉宇軒ウーユーシュェンにとどめを刺すように、李浩然リーハオランは普段の行いだなと冷たく言い放った。