真面目ちゃんの裏の顔

てんてこ米

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第七章 家族の在り方

8 プロの腕前

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 大学生活について根掘り葉掘り聞かれて話しているうちに、いつしか夕飯の時間が迫ってきていた。そろそろ準備に取り掛からなければ、遅くなってしまうだろう。祖母がキッチンを自由に使って良いと言ってくれたので、呉宇軒ウーユーシュェンはすぐに夕飯の準備に取り掛かった。
 酒豪の祖父のために、今夜は味付けが濃い北京料理を中心にすることに決めて、先に野菜から切っていく。その間、祖父はハラハラした様子で後ろに立っていたが、先ほど騒いで締め出されたのを反省してか、今は静かに見学している。そして呉宇軒ウーユーシュェンが素早く均等に野菜を切っているのを眺めて、感心したようなため息を漏らした。

「見違えたなぁ。昔はいつ指を切るかとヒヤヒヤしたもんだが……」

「言っただろ? 俺もうプロなんだって」

 小さな頃は確かに少々危なっかしかったが、今は手元をほとんど見ずに切ることすらできる。
 しばらくそうして見られながら作業をしていると、肉を切り始める頃には祖父も安心して、今度はテキパキと動く孫をじっくりと眺め始めた。それからずっと口を閉ざして邪魔をしないようにしていたものの、呉宇軒ウーユーシュェンが食材を炒め、同時に鍋を火に掛けてと忙しなく動き始めた途端、祖父はついに我慢できなくなって、リビングに向かって叫んだ。

「ばあさん、わしの孫がすごいことをしているぞ! ちょっとこっちに来てくれ!」

 呉宇軒ウーユーシュェンが気にしないで休んでいて、と言ったので、祖母は今リビングで休憩中だ。それなのに、祖父は家事から解放されてのんびりしている彼女をしつこく呼び付け、大騒ぎし始める。いつも店でやっていることの半分くらいしか実力を発揮していないのに、彼には孫が魔法を使っているようにでも見えているらしい。
 真後ろで騒ぐ祖父のあまりの驚きように苦笑していると、やがて目を吊り上げた祖母がキッチンに顔を出した。

「そんなに騒がなくても聞こえてるわよ!」

 あまりにもしつこく呼ばれ続けたせいで、うるさいわね!とカンカンに怒っている。我慢しきれず騒いでしまった祖父は、結局妻からきついお灸を据えられていた。



 ダイニングテーブルには北京料理を中心とした大皿がいくつも並び、まるでお店に来たかのように豪勢な食卓になる。見た目は美しく、食欲を誘ういい香りが部屋いっぱいに広がっていた。少し多めに作ったのは、翌日に祖母がゆっくり休めるように呉宇軒ウーユーシュェンが気を利かせたからだ。

「こりゃあすごい! 店顔負けだな」

 そう言うと、祖父は真っ先に豚のもつ煮込みに箸を伸ばした。その料理は味付けが濃く、北京でも酒の肴としてよく食べられている定番料理だ。土産で持ってきた司馬小焼酎を早速開けたので、つまみが欲しくなったのだろう。
 一口食べるなり、彼は孫の成長に驚いて目を見開く。

「美味い! 本当に見違えたな!」

 ひねくれ者の祖父から褒め言葉を引き出した呉宇軒ウーユーシュェンは、ふふんと得意顔になった。小さい頃は散々馬鹿にされたものだが、これでもう二度と下手くそとは言わせない。

「だろ? 参りましたって言ってくれよな!」

 昔のことをしっかり根に持っていた孫に笑うと、祖父は酒を飲んで満足げに目を細めた。

「参った、参った、降参だ。それはそうと、向こうのじいさんは北京料理も教えてくれたのか?」

 『向こうのじいさん』とは祖父が母方の祖父を指す時の呼び名だ。南部の男は信用ならないなどと言って嫌っている割に、もう一人の祖父の仕事についてきちんと覚えていたらしい。意外に思いながらも、呉宇軒ウーユーシュェンは幼馴染がしてくれた素晴らしい行いを、意気揚々と彼らに話して聞かせることにする。

「ううん、北京料理は大学に入ってからだよ。俺のために浩然ハオランがお店を紹介してくれて、今そこで修行中なんだ」

 修行の場を提供してくれた李浩然リーハオランには感謝してもしきれない。まさに自慢の幼馴染だ。
 ところが祖父は、鼻高々に嬉しそうな顔をする孫を見て眉をひそめた。

「また李浩然リーハオランか! お前の話はさっきからずっとそればっかりだな。女の子の話題は無いのか?」

 呉宇軒ウーユーシュェンはなるべく話題に出さないように気を付けようと思っていたのに、また李浩然リーハオランの話をしてしまっていたらしい。もはや彼の話が癖になっている気がする。
 あまりにも孫が幼馴染を褒め称えてばかりいるので、祖父はいい加減辟易してきたのかうんざり顔だ。そしてうーん……と唸って考え込むと、何か思い当たったらしく、片手で膝を叩く。

「李家の女の子はどうした? 確か従姉妹が居ただろう?」

 何度かこの家に遊びに来たお転婆な彼女のことを、祖父はかなり気に入っていたので覚えていたようだ。そういえば、呉宇軒ウーユーシュェン李若汐リールオシーを並べてお似合いだと褒めていた気もする。

李若汐リールオシー? あいつ来年受験だから大変みたいで、今浩然ハオランが勉強見てやってるんだって」

 彼のお陰で、李若汐リールオシーは最近成績がかなり上がっていると聞いていた。呉宇軒ウーユーシュェンはあいつは勉強を教えるのも上手なんだ、と自慢げに言う。
 孫がどうやっても李浩然リーハオランの話題に戻ってくるので、祖父は頭を抱えた。

「浮いた話をするどころか幼馴染の話ばかり……うちの孫はこんなに色男なのに、周りの女の子たちは一体どこを見ているんだ!?」

 久しぶりに再会したというのに、孫の口から出てくるのは八割以上が幼馴染の話だ。おまけに話題に出た女の子は中秋節に一緒に遊びに行った三人のみときた。これでは、孫の将来を心配して嘆いてしまうのも仕方がない。
 モテないと思われるのはさすがに嫌なので、呉宇軒ウーユーシュェンは慌てて祖父に反論した。

「別にモテないわけじゃないよ! 俺、大学行くまでは彼女が途切れたことないし」

 最終的に振られはするものの、彼は基本的に物凄くモテるので、別れてもすぐに次の恋人が見つかる。ただ、今は李浩然リーハオランへの恋愛指南が落ち着くまでひと休みしているだけなのだ。さすがにその話はできないので、彼は代わりの言葉を口にした。

「ほら、彼女はいつか裏切るかもしれないけど、浩然ハオランは絶対に裏切らないから!」

 頼りになる幼馴染を自慢しただけなのに、二人は何故か気まずそうに押し黙ってしまう。何かおかしなことを言っただろうかと少し考え、呉宇軒ウーユーシュェンもしまった!と自分の迂闊さに気付いた。
 『裏切る』というワードは両親が離婚に至った原因を思い起こさせるので、気まずい空気になるに決まっている。彼らはきっと、呉宇軒ウーユーシュェンが父の不倫の件で人間不信、あるいは恋愛不信になってしまったと思ったのだろう。
 一度自分から離れた相手とは二度と付き合わないので、あながち間違いとも言い切れないものの、ここは否定するに限る。

「別に女の子が嫌いになったとか、恋愛が嫌になったとかじゃないから! 今はただ、学園祭の準備とか料理の修行で忙しくて……それにほら、学園祭では美女コンテストもあるし!」

 まだ大学生活は始まったばかりだと強調すると、二人もようやく表情を和らげた。祖父に至っては、美女コンテストで孫にぴったりの相手を見つけようと意気込んでいる。
 さすがにそれは恥ずかしいな、と思っていると、祖母がやめなさいと厳しい口調で言ってしっかりと釘を刺してくれた。



 晩酌用のおかずを残して残りを冷蔵庫にしまうと、三人はリビングでゆったりと寛いだ。
 やっと料理下手の汚名を返上できた呉宇軒ウーユーシュェンは大満足で、つい酒が進んでしまう。孫の飲みっぷりに触発されて、祖父もご機嫌で酒とつまみを楽しみ、和やかな時が流れていた。
 ずっと不安だった祖父母との再会は思っていた以上に楽しいものになり、やっと心のわだかまりが解けた気がする。

「ちょっと電話してきてもいい?」

 そろそろ寝るにもいい時間で、一度李浩然リーハオランに連絡を入れようと思い立った呉宇軒ウーユーシュェンは二人に断りを入れた。
 彼らはまだ電話相手のことを恋人だと勘違いしていて、からかうような笑みを浮かべてどうぞごゆっくり、と送り出してくれる。電話口で彼の声を聞かせる以外に、この誤解を解く術はなさそうだが、それには人見知りな李浩然リーハオランに一度お伺いを立てなければならない。
 一度廊下へ出てから電話をかけようか迷っていると、玄関へ続く扉のノブがガチャリと回る。驚いて携帯を片手に固まっている彼の目の前で、扉が静かに開いた。
 扉の奥から、白髪混じりの髪をした中年の男性が顔を出す。どこか見覚えのあるその顔が父のものだと気付いたのは、彼が呉宇軒ウーユーシュェンの名前を呼んでからだった。

「なんで……」

 それ以上言葉が続かず、呉宇軒ウーユーシュェンは信じられないものを見るような目で男を見つめる。目の前の男はずいぶんと痩せていて、記憶の中の父よりもずっと小さく見えた。いつも生き生きと輝いていた父の瞳は、今は暗くどんよりとして憔悴の色が滲む。
 六年ぶりの再会にも関わらず、呉宇軒ウーユーシュェンは先ほどまで体を満たしていた温かな気持ちが、静かに腹の底へ落ちていく気がした。
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