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第七章 家族の在り方
10 大切な家族
しおりを挟む夜も遅いというのに、街の中にはまだ営業中の店が結構あった。
むしゃくしゃした気持ちを抱えたまま、まずはどこかに腰を落ち着けてからホテルを探そうと思った呉宇軒は、タクシーから降りるなり身を切るような寒さに震え上がる。そして慌てて近くの店に転がり込むと、暖かな空気が流れる店内には炭火焼きと醤油の芳ばしい香りが漂っていた。
その店は巨大な錦鯉のネオン看板を掲げた日本食の居酒屋で、夕方に見かけた時に気になっていた場所だ。ハルビンはロシアだけでなく日本とも交流が深いため、日本食を出す店も意外に多い。
店に入るなり、まるでタイミングを測ったかのようにコートの中で携帯が震え出す。心配した祖父母が電話を掛けてきたのかと思って画面を見ると、そこに映し出されていたのは李浩然の名前だった。
呉宇軒はふと、父に会う直前まで彼に電話をしようとしていたことを思い出す。もしかして、彼も同じことを考えていたのだろうか。
席へ案内しようとやって来た女性店員に片手で待って、とお願いすると、呉宇軒はすぐに電話に出た。
「浩然?」
「阿軒、まだ起きていた?」
彼の穏やかな声を聞いた途端、呉宇軒はささくれ立っていた気持ちがゆっくりと溶けていくような気がした。辛い時や悲しい時、李浩然の声を聞くといつも心が安らぐのだ。それは彼が昔から変わらず、呉宇軒を支えてくれていたからに他ならない。電話越しではあるものの、すぐ側に彼がいてくれているような気がして、先ほどまでの酷い気分は随分とマシになった。
口元に笑みを浮かべ、呉宇軒はまだ起きてるよ、と返す。ところが電話の向こうで小さく息を呑む気配がして、李浩然の訝しむような声が響く。
「何かあったのか?」
不意打ちのようにそう尋ねられ、呉宇軒はドキリとした。自分の受け答えは普段と変わらないはずなのに、どうして彼がそう思ったのか不思議でならない。
呉宇軒は深呼吸して動揺する心を静めると、勤めて明るい声を出して勘のいい幼馴染に聞き返した。
「……な、なんで?」
「先ほどとは様子が違う気がして……今はどこにいる?」
何を根拠にそう判断したのか謎だが、思い返すと李浩然はいつも幼馴染の僅かな変化によく気が付いていた。洞察力が鋭いというだけでなく、絶対に何か根拠となるものがあるはずなのに、未だにそれが何なのか分からない。
呉宇軒は正直に言おうかどうしようか一瞬迷ったものの、隠し事はどうせバレるだろうと思い直す。しかし父と会ったとはさすがに言い辛く、少し考えて街へ出て来ているという事実だけを告げた。
「お祖父さんたちの家で何かあったのか?」
「ん、ちょっとね。浩然はもう寝るところだった? 俺、さっき連絡しようと思ったんだけど、ちょっとゴタついててさ」
相変わらず鋭い読みをする幼馴染に、気付かれやしないかと心臓がドキドキする。なるべく不自然にならないように明るい声を出したものの、電話の向こうで彼が押し黙る気配があり、呉宇軒の背中に冷や汗が流れた。あまり心配をかけたくないのに、些細な嘘すら彼はすぐに見抜いてしまう。
ややあって、李浩然はキッパリとした口調で言った。
「迎えに行く。今どこにいる?」
まさかそう来るとは思わなかった。
思わぬ彼の言葉に、呉宇軒は驚いて危うく携帯を落としそうになる。落ちる途中でどうにか受け止め、まだ繋がっていることを確認すると、彼は信じられないと言うように幼馴染に尋ねた。
「迎えに行くってお前、まさかハルビンに来てるのか!?」
てっきり北京空港の近くにあるホテルに泊まっていると思っていた。それがまさか、彼も飛行機でこちらまで来ていたとは。
李浩然に会えると思うと、先ほどの比ではないくらいに鼓動が速くなり、呉宇軒の胸は喜びでいっぱいになる。それと同時に、寒空の下に彼を引っ張り出してしまうのは気が引けた。夜のハルビンは身を切るような寒さで、彼も呉宇軒同様、薄い上着しか持ってきていないはずだ。
「うん。明日迎えに行くと言っていただろう? 街のどの店にいる? すぐに行く」
「えっと……でかい錦鯉のネオン看板がある日本食の店」
矢継ぎ早に尋ねられ、彼は断るのも忘れて素直に店の特徴を伝えた。するとすぐに分かった、と言う声がして電話が切れる。
あまりのことにびっくりし過ぎて呆然としていた呉宇軒は、電話が終わるまで待ってくれていた店員に慌てて声をかけた。
「あの、この店個室ってあります?」
まさか寒さを凌ぐためだけに店に入るなんて、そんな非常識な真似はできない。すると店員の女性はにこやかに微笑んで、ありますよと頷いた。
呉宇軒がこれから連れが来るからと言うと、彼女は奥の待合場所に案内してくれる。本当に来るんだろうかと妙に緊張しながら、彼は柔らかなクッションの椅子に腰掛けて幼馴染の到着を待った。
十分も経たないうちに、入口の方からいらっしゃいませ、と声が聞こえてくる。そわそわと落ち着かない気分でいた呉宇軒は、来客を告げるその声に待ち切れなくなって席を立ち、待合場所に来た李浩然と正面衝突しかけた。
「然然! 会いたかった!!」
今日の昼過ぎに別れたばかりだというのに、こうして再会すると長い間離れ離れになっていたような気がしてくる。
入り口へ向かおうとした勢いのまま彼に飛びつくと、ふと嗅ぎ慣れない匂いが鼻腔を掠めた。その香りは李浩然の髪から漂っているようで、呉宇軒は彼の首に腕を回すと、確かめるようにぐっと顔を寄せた。
「もしかして、シャワー浴びた? いつもと違う匂いがする」
よく見ると空港で別れた時と髪型も違っている。今の李浩然は、普段と同じように前髪を両サイドに流しただけの見慣れた髪型だ。前髪を上げた男前な彼も良かったが、やはりいつもの髪型の方が安心する。
李浩然は、抱きついてきた幼馴染の腰に手を回して支えると頷いた。
「うん、もう寝るところだったから」
「そっか、俺のためにわざわざありがとな」
思えば、あんなことが無ければ呉宇軒も寝ようとしていたところだった。
せっかくシャワーを浴びて温まっていただろうに、彼の頬に触れるとひんやりと冷たくなっていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ただ、幸いなことに彼は防寒対策をしっかりしてきていた。
薄い上着の下に、来る時には無かった暖かそうな黒いカーディガンを着ている。見慣れないものなので、恐らく現地で買ったのだろう。
面倒をかけてしまったと罪悪感に顔を曇らせていると、李浩然は優しく微笑み、彼の頬をそっと撫でた。
「家族は支え合うものだろう? 気にしなくていい」
優しい幼馴染の慰めの言葉に、呉宇軒も緩く微笑んだ。『家族』と言っているところが特に良い。
「それ、いい言葉だな」
すると李浩然は可笑しそうに小さく笑い、穏やかな目で幼馴染を見つめた。何がそんなに面白いのか不思議に思っていると、彼は悪戯っぽく笑みを浮かべて言った。
「君の受け売りだ」
「受け売り? 俺、そんなこと言ったっけ?」
いつ言ったのかさっぱり記憶になく、呉宇軒が考え込んでいると、先ほど待合場所に案内してくれた女性店員がやって来る。
彼女は親密に抱き合う二人に驚いて声をかけられずにいたらしい。そのことに気付いた李浩然は、笑ってぽんぽんと幼馴染の腰を叩くと、席へ行こうと促した。
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