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第七章 家族の在り方
13 家族と他人
しおりを挟むあの時、祖母だけでも自分の味方をしてくれて良かったと思う。そうでなければ、また家族がバラバラになっているところだった。
話しているうちに鳩尾の辺りがずしりと重くなったような気がして、呉宇軒は幼馴染にもたれ掛かると深いため息を吐いた。
「アンチには何言われても平気なのに、なんであいつに言われたことは未だに気にしてんだろ……もう六年も経ったのに」
とっくに忘れられたと思っていた。それなのに、顔を合わせただけで当時の嫌な思い出が蘇り、たちまち怒りと苛立ちが頭を支配する。
父との諍いの後、呉宇軒はしばらく荒んだ生活を送っていた。その頃の自分にはもう戻りたくないと思っていたのに、いざ父が目の前に現れると気持ちの制御が効かなくなってしまったのだ。
静かに聞き役に徹していた李浩然は、落ち込む幼馴染の背中をゆっくりと撫でると、慰めるように言った。
「家族と他人は違うから」
「あんなやつ家族じゃねぇよ。ごめんの一言すらまともに言わねぇし」
父が真っ先に謝罪の言葉を口にしていたら、今よりはずっとマシな気分だったかもしれない。それでもきっと許すことはできなかっただろう。そして、未だに父に対して恨みが消えない自分が嫌になる。
「俺、すごい嫌な奴だよな……なんであんな風に言っちゃったんだろ。せっかくじいちゃんたちが喜んでくれてたのに」
やっと祖父母との蟠りが解けて楽しく話せていたのに、これでは何もかも台無しだ。祖母の悲しそうな顔を思い出すと罪悪感で胸が押し潰されそうで、呉宇軒の口からはため息ばかりが漏れる。胸の奥につかえていた嫌な気持ちは、今やドロドロに溶けて重く沈澱してしまっていた。
深い底なし沼に沈んでいくような気分の中、彼は黙って聞いてくれている優しい幼馴染に目を向ける。心配そうな瞳に見返され、呉宇軒は力なく微笑んだ。
「なんか、愚痴ってばっかでごめんな」
こんな話ばかり聞かされて嫌だろうと謝ると、李浩然は僅かに寂しげな表情を浮かべ、彼の背中をさすった。
「大丈夫。俺のことは気にしなくていいから、溜め込まないで」
手のひらが背中を撫でる度に、腹の底で渦巻いていた苦しい気持ちが少しずつ溶けていく。幼馴染に促されるままに、彼は心の内を吐き出した。
「俺が我慢すれば丸く収まったのかな? ばあちゃんを泣かせるつもりじゃなかったのに……ばあちゃんのあんな顔、見たくなかったよ。俺、どうしたら良かったんだろう」
話し始めると堰を切ったように言葉が溢れて止まらなくなる。
自分がカッとなってあんな態度を取らなければ、祖母が泣くこともなかったかもしれない。そう考えると呉宇軒は自分が許せなくて、どうしようもなくやるせない気持ちになる。
目の奥が熱くなって、視界がぐにゃりと歪む。こんなことで泣くまいと思っていたのに、気付けば涙が頬を伝っていた。
止めようと思うほど溢れてきて、焦った呉宇軒は慌てて袖で目をゴシゴシと擦る。すると李浩然は乱暴に涙を拭う彼の手に触れ、そっと止めた。
「擦ると腫れてしまうからやめなさい。彼らは君よりずっと大人なのだから、君が全て背負う必要はないだろう?」
それから彼は、涙に濡れた頬を慈しむように指で拭い、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「阿軒、もっと俺を頼って。全部受け止めるから」
「もう充分すぎるくらいだよ」
ぐずぐずと鼻を啜り、呉宇軒は涙声で言った。
電話の後すぐに来てくれた李浩然は、彼が話せるようになるまで無理強いせず待ってくれたのだ。嫌なら話さなくていいとまで言ってくれて、その気遣いにどれだけ気持ちが楽になったか。それに彼がハルビンまで来ていなければ、呉宇軒は今頃、寒空の下で震えながら途方に暮れていただろう。
感謝の気持ちと共にまた涙が溢れてきて、乾いたばかりの頬を濡らす。泣きじゃくる幼馴染に李浩然は優しく微笑んで、震える体を包み込むように抱きしめた。
「家族は支え合うものだろう?」
優しい声が呉宇軒の胸にすっと入り込み、取り乱した心を落ち着けてくれる。彼の腕の中にすっぽりと収まっていると、触れた個所から暖かな温もりが伝わってきて、呉宇軒はもっと、と言うように自ら体を擦り寄せた。
「……それ、俺が言ったんだっけ」
幼馴染に身を預けたまま、彼はテーブルに置かれたグラスをぼんやりと見ながら呟いた。透明なグラスの表面が結露していて、雫が伝った場所はまるで涙のあとのように見える。
「うん。俺の祖父が亡くなった時のことを覚えている?」
尋ねられ、呉宇軒は懐かしい気持ちになりながら頷いた。
李浩然の母方の祖父は、彼が七歳の頃に癌で亡くなっている。穏やかで物静かな雰囲気の優しい人だった。決して賑やかで明るい人ではなかったが、不思議と子どもたちは祖父によく懐いていて、彼の周りで集まって遊んでいたことを思い出す。
小さな頃の李浩然もおじいちゃんっ子で、幼馴染の次に祖父のことが好きだった。そんな大好きな祖父が亡くなった時の落ち込み様は見ていて胸が痛くなるほどで、呉宇軒は心配のあまり朝から晩まで付きっきりで慰めたのだ。
「あの時に君が言ってくれた言葉を今でも覚えている。家族は支え合うものだから当然だ、と」
話を聞いて、呉宇軒はようやく当時のことをはっきりと思い出した。
祖父が亡くなったショックから、彼は一時期すっかり食欲を無くし、塞ぎ込んでいたのだ。呉宇軒はそんな幼馴染のためにお粥を作り、確かに彼が言った言葉を口にしていた。
ハッとして顔を上げると、李浩然は昔を懐かしむように目を細め、呉宇軒の手をそっと握って言った。
「今度は俺が君を支える番だ」
力強いその言葉と自分を見つめる優しげな眼差しに、胸がドキリとする。今日の李浩然はいつも以上に頼もしくて、一段と格好良く見えた。
「俺……」
散々弱音を吐いた後だというのに、呉宇軒は今になって急に恥ずかしくなってきた。たちまち頬が熱くなり、赤くなっているところを見られたくなくてぱっと顔を逸らす。
「お前に支えられてばっかりじゃん」
苦しい時も辛い時も、李浩然はいつでも側で寄り添ってくれていた。お返しをしなければならないのは、むしろ自分の方ではないか。
申し訳なく思っていると、彼は小さく笑みを漏らして呉宇軒の熱くなった頬を優しくつまんだ。
「そんなことはない、君は気付いていないだけだ。俺はいつも君に助けられている」
いつの話か気になったものの、これ以上食い下がるのも悪い気がして、呉宇軒はそれなら、と彼の胸に体を預ける。彼が望んでいるなら断る理由がない。
「……じゃあ、いっぱい甘えてもいい?」
上目遣いに彼を見ると、いつもと変わらない穏やかな眼差しが見つめ返してくる。
「君の気が済むまで」
鼓膜を揺らす心地よい声にうっとりと聞き入ると、呉宇軒はしばらくの間、優しい幼馴染の腕の中で目を閉じた。
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