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第八章 芽生え
18 かき乱される心
しおりを挟む呉宇軒は体を強張らせたまま、頭の中ではどうやってこの窮地を乗り越えようか必死に考えていた。触れた個所から伝わってくる温もりは、いつしか体の隅々まで行き渡り、暖房を点けていないのに何故だか部屋が暑く感じる。
何も言えずに押し黙っていると、李浩然はますます勢い付き、彼の耳元にそっと唇を寄せた。呉宇軒は無意識に息を止め、彼の言葉をドキドキしながら待っていたが、不意にふっと息を吹きかけられて飛び上がる。
「な、何すんだよっ!」
せっかく見ないようにしていたのに、びっくりして思わず彼の方を向いてしまった。すると、間近に李浩然の顔があり、出かかった言葉を慌てて飲み込む。彼の瞳の中に、緊張に強張った自分の顔が映っているのが見えた。
「君が構ってくれないから」
どこか拗ねたようにそう言うと、李浩然はぐっと顔を近付けてきた。その動きは、まるでキスをしようとしているみたいだ。
呉宇軒は体を逸らそうとしたが、腰に回された幼馴染の腕は思った以上に力強くてびくともしない。
「ちょっ……なに」
手を伸ばして彼を止めようとしたその時、ガチャリと部屋のドアノブが回る音がする。こんな姿を人に見られたら一大事だ。
呉宇軒は「わあぁぁっ!」と叫び声を上げながら、弾かれたように立ち上がった。
部屋の入り口を見ると、李若汐がびっくりした顔で固まっているのが目に入る。彼女は扉を開けた格好のまましばし動きを止めていたが、叫び声を上げた呉宇軒を見て迷惑そうに眉を顰めた。
「なんなのよ、びっくりしたじゃない!」
怒られたものの、その声に張り詰めていた緊張の糸が切れた呉宇軒は体の力が抜けた。彼はある意味いいタイミングで現れた李若汐に気付かれないよう動揺をサッと隠し、不思議そうに首を傾げる。
「お前、何しに来たんだ?」
先ほど彼女は、宿題をすると言って自分の部屋に逃げ込んだはずだ。すると、李若汐は幼馴染二人を交互に見てニヤリと笑うと、李浩然を指差した。
「ちょっと然兄借りていい?」
元々、李浩然がこの家に間借りしているのは、来年に受験を控えている彼女の勉強を見るためだ。そんな大事な時期なので、当然断る理由がない。それに、呉宇軒は少し彼と距離を置きたい気分だった。
「どうぞどうぞ、好きなだけ借りていいよ」
当人の答えを待たず、彼は快く頷いた。李若汐は何か言いたそうな顔をしていたが、そんなことに構っている場合ではない。
それから彼は渋る李浩然を引っ張って立たせると、反論の隙を与えず、グイグイと背中を押して部屋から追い出した。
部屋で一人きりになった呉宇軒は、パタンと扉が閉まる音が聞こえるなりベッドに飛び込んだ。絹の滑らかなシーツはひんやりとして、火照った体を少しだけ冷ましてくれる。
呉宇軒は堪らなく叫びたい気分だったが、李若汐の部屋は向かいにあるのでそうもいかない。そういうわけで、彼はふかふかの枕に顔を埋めると、足をバタバタさせて行き場のない感情を爆発させた。
今日の李浩然は所構わずキスをねだったりベタベタくっついてきたり、いつになく積極的だ。その原因は恐らく、彼が今朝言っていた『デート』のせいだろう。
朝から今まで振り回されっぱなしで、呉宇軒は柔らかな枕に顔を埋めたままぐったりする。一階へ降りても良かったが、どうも今はそんな気になれなかった。
しばらくそうして気分を落ち着けた後、彼は枕からゆっくりと顔を上げた。
「浩然のやつ、一体どういうつもりなんだ?」
静かな部屋の中で、呉宇軒はぽつりと呟いた。李浩然が居なくなってからしばらく経つというのに、心臓はまだドキドキしていて収まる気配がない。それくらい、今日の幼馴染の行動は彼の心を激しく掻き乱していた。
気持ちがなかなか落ち着かず、シーツの上でゴロゴロしていた呉宇軒は、しばらくしてベッドの上に座り直し、酷い目に遭ったとため息を吐く。
しかし、いつも以上に格好良くなった李浩然のことは、到底無視できない問題だ。早々に対処しなければ、今日も一緒に寝る予定でいる呉宇軒は安眠を脅かされる。
彼は一人の時間を有効活用してじっくりと考え、幼馴染には寝る前にシャワーを浴びてもらおうと決めた。
この胸のときめきは、きっと普段と違う髪型のせいだろう。見慣れない姿をしているから、いつもと勝手が違い、目が合うだけでドキドキしてしまうのだ。
そう結論付けた呉宇軒は、そうと決まればもう一人で部屋に篭る必要はないと立ち上がった。
今夜の方針を決めた彼は、足音を忍ばせて李若汐の部屋へ向かった。そして部屋の扉にぴったりと耳を押し付けると、扉の向こうから微かに二人が話す声が聞こえてくる。
「……どうだった? 軒兄……」
声のトーンを落としているようで、ここからだと上手く聞き取れない。呉宇軒はさらに耳を押し付けたが、二人が彼の話をしているらしいことしか分からなかった。
「人のいない隙に噂話なんて……あいつら、何を話してんだ?」
自分の話をしているとあって、彼らの会話には非常に興味をそそられるものの、耳を澄ませてみても聞こえるのは断片ばかりで意味をなさない。それに、よほど聞かれたくないのか、二人はかなり声を抑えている。
これ以上聞いていても収穫は無さそうだったので、呉宇軒はわざとらしく大きな咳払いをすると、コンコンと部屋の扉を軽やかにノックした。
扉の向こうがしんと静まり返り、少しの間を置いて李浩然が顔を出した。相変わらず格好いい彼の顔を見た途端、呉宇軒の心臓はまたドクンと跳ねる。彼は思わず目を泳がせながらも、平静を装って口を開いた。
「寂しくなって来ちゃった」
自分で言ってて恥ずかしくなり、半笑いになる。そんな彼を見て李浩然は僅かに驚いた顔をしたが、その表情はすぐに嬉しそうな笑みに変わった。
「寂しくなって来ちゃった? 軒兄ってば、そんなに然兄と離れたくなかったんだ」
からかう声に目を向けると、李若汐が椅子に座ったままニヤニヤしてこちらを見ていた。彼女は足で床を蹴ってくるくると椅子を回し、「寂しくなって来ちゃっただって!」と彼の言葉を何度も復唱している。底意地の悪い彼女に李浩然は眉を顰め、呉宇軒の耳を両手で塞いでやりながら肩越しに従姉妹を睨んだ。
「若汐、それ以上言うならおばさんを呼んでくる」
今の彼女にその脅し文句は効果抜群だった。李若汐は椅子の上で天を仰ぎ、うんざりした声を出した。
「分かった、分かったってば! っとに、軒兄に甘いんだから!」
ぐちぐちと文句を言う彼女に苦笑すると、李浩然は幼馴染の耳を塞いでいた手をそっと離して彼に微笑んだ。
「若汐が何かしたら、俺に言って」
どうやら彼は、何か従姉妹の弱みを掴んだらしい。優しい幼馴染に微笑み返すと、呉宇軒は彼に手を引かれて部屋の中に入った。
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