真面目ちゃんの裏の顔

てんてこ米

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第九章 ひみつのこころ

1 軒軒は確かめたい

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 李若汐リールオシーとの一件で不用意な発言をしてからというもの、呉宇軒ウーユーシュェン李浩然リーハオランのことを変に意識してしまって、いつもの調子に戻れなくなっていた。前まで全く気にしていなかった幼馴染との距離の近さが妙に引っ掛かり、しばしば取り乱すことが増えたのだ。
 それに、彼の心の動揺を知ってか知らずか、あの一件以来、李浩然リーハオランは以前にも増してスキンシップが激しくなったような気がする。
 人目を忍ぶようにしてちょっかいを掛けてくる幼馴染に、呉宇軒ウーユーシュェンは毎日ドキドキさせられっぱなしだ。ある時は、すぐ近くで彼の叔母が家事をしているのに壁際に追い込まれ、頬に口づけてくれるまで退かないと我儘を言い、またある時は、恋人にするように耳元で甘く囁かれたりと、とにかく心休まる時がない。

「お前さ……いや、何でもない」

 どういう心境の変化なのか、面と向かって尋ねようと思ったものの、呉宇軒ウーユーシュェンは結局問いただすことができなかった。尋ねようにも、何と聞けばいいかさっぱり分からない。
 そんな状況の中でも、彼は前にデートをした時のように衝動的に李浩然リーハオランの唇を奪ってしまうような失態だけはせず、ギリギリで踏み止まっていた。



 そんな心休まらない日々が続き、李家に泊まり始めてから四日目の朝、いよいよ李浩然リーハオランの祖父母が家に帰る日がやってきた。
 今までは彼らと過ごすために李家に留まっていたが、呉宇軒ウーユーシュェンはこれでやっとルームメイトたちの元へ戻ることができる。とはいえ李浩然リーハオランとの約束があり、寝る時は彼の元へ帰らなければならないが、家の中で所構わず甘えられるよりはずっといい。

「じゃあ、俺は先に寮の方に戻ってるからな」

 玄関先まで見送りに来た李浩然リーハオランにそう言うと、彼はしょんぼりと悲しそうな顔をしていた。離れ離れになるのはせいぜい一時間程度だろうに、ここ最近四六時中一緒にいたから、すっかり側にいることが当たり前になって離れたくないようだ。

「そんな顔すんなって。お前も、じいちゃんたち送ったらすぐ来るんだろ? 部屋で待ってるから」

 本当は呉宇軒ウーユーシュェンも彼らを見送りたかったが、ルームメイトたちからSOSの連絡が届いたのだ。何でも、寮の冷凍庫に残してきた作り置きの料理たちが底を尽き、食べるものに困っているという。
 彼は一週間は食べられるだけの食料を準備していたのに、もう無くなってしまったことを不思議に思っていた。きっと何か想定外のトラブルがあったに違いない。

阿軒アーシュェン、お別れの口づけをしてくれないか?」

 李浩然リーハオランがここぞとばかりに甘えてきたので、彼は笑って頷いた。

「それで元気が出るならしてやるよ。ほら、ちゃんとじいちゃんたちに笑顔でお別れするんだぞ?」

 呉宇軒ウーユーシュェンは彼を呼び寄せ、頬にちゅっと口づけを落とす。それからほんの一瞬、不満げに引き結ばれた唇へ羽のように軽やかな口づけをして体を離した。
 最近調子に乗っていた彼に、細やかな意趣返しだ。ほんの少し掠める程度とはいえ恥ずかしく、彼は脱兎の如く逃げ出して、待たせていたタクシーに乗り込んだ。

「また後で。待ってるから早く来いよ!」

 安全圏まで逃げてから振り返ると、李浩然リーハオランは呆気に取られた表情のまま玄関先で固まっている。呉宇軒ウーユーシュェンは悪戯っ子の笑みを浮かべて彼に手を振り、タクシーの運転手に寮へ行くように伝えた。



 タクシーは落ち葉舞う大きな通りを行き、滞りなく寮へ辿り着く。数日前にも一度帰ってきたというのに、しばらく李家に居座っていたから随分と久しぶりに思う。
 大型連休が始まったというのに、寮の廊下は思いの外人が歩いていて、あちこちの部屋から賑やかな声が聞こえていた。

シュェン兄ちゃんが帰ってきたぞ!」

 自室の扉を開けてそう言うと、中央の長テーブルでパソコンを弄っていた王茗ワンミンが嬉しそうに顔を上げる。彼は感極まってやって来ると、呉宇軒ウーユーシュェンに飛びついた。

シュェン兄ちゃぁぁん!! 会いたかったよぅ」

 後ろに倒れてしまいそうなほどの勢いで熱烈歓迎され、彼は苦笑しながらよしよしと王茗ワンミンの背中を撫でてやる。部屋の中を見渡すと、ルームメイト全員が揃っていた。
 自分の机で分厚い法律の本を読んでいた呂子星リューズーシンは、入り口前で団子になっている二人を冷ややかに見て口を開く。

「ようやく帰ってきたか。お前がいない間、大変だったんだぞ」

「大変だった?」

 一体何があったのかと思えば、彼が留守にしている間に同じ寮の男子たちが食事を求めてひっきりなしにやってきていたのだという。大型連休で一部の食堂が休みになり、食事難民が発生したのだ。飢えた彼らは呂子星リューズーシンたちが毎晩いい匂いをさせていることに気付き、おこぼれを貰いにやって来た。そして、噂が噂を呼び、その数はどんどん膨れ上がっていったらしい。

「断りゃいいだけだろ」

 話を聞いて、呉宇軒ウーユーシュェンは呆れ顔をする。自分たちの分しかないと言えば、彼らもさすがに諦めて帰っていくはずだ。
 そこまで考えて、彼はピンと来た。そうならなかったということは、ルームメイトたちにとって何か断れない理由があったに違いない。

「待てよ……お前ら、何をしたか白状しろ! どうせいい思いしたんだろ?」

 鋭い彼に、呂子星リューズーシンは顔をしかめてキッチンの方へ顎をしゃくる。呉宇軒ウーユーシュェンが覗きに行くと、キッチンの床には段ボールが置いてあり、中に酒や米、缶詰などが入っていた。彼らは呉宇軒ウーユーシュェンの手料理と物々交換で、随分と美味しい思いをしていたらしい。

「俺の飯で勝手に商売すんなよな!」

 冷凍庫の中にたっぷり入れてあったはずの作り置きのおかずたちは跡形もなく消えていて、すぐにでも補充が必要だった。一日は夜の街に繰り出すとして、残りの数日分はまた作らなければならない。
 箱の中に使えるものがないか確認しながら、計画性のない彼らに呆れ果てていると、呂子星リューズーシンがキッチンに顔を覗かせた。

「お前の土産はまだ少し残ってるぞ」

「なんだよその微妙な気遣い! 俺、浩然ハオランのとこで食べたから、お前らで食っちまっていいよ」

 やったー!と王茗ワンミンの呑気な声がする。呉宇軒ウーユーシュェンの買ってきたハルビンソーセージは、彼らの口に合ったようだ。

「お前ら、今度物々交換する時は俺が指定した物と交換にしろよ。リスト作っておくから」

 料理に使えそうなものがほとんど無かったので、彼はルームメイトたちにそう言った。これでまた食料がなくなっても、すぐに追加分を作ることができる。



 友人たちが部屋にやって来るまでの間、呉宇軒ウーユーシュェンは彼らがせしめたスナック菓子を貪りながらのんびり過ごしていたが、ふと思い立って腰を上げた。

「どこか行くのか?」

 彼が急に立ち上がったので、呂子星リューズーシンが分厚い法律の本から顔を上げる。呉宇軒ウーユーシュェンは違う違う、と笑って言うと、呑気に面白動画を見ていた王茗ワンミンの肩をちょんちょんと指で叩いた。

「ん? なに?」

「ちょっと顔貸してくんない?」

 そう言うと、王茗ワンミンは素直に立ち上がった。呉宇軒ウーユーシュェンはそんな彼の頬にそっと手を当てると、おもむろに顔を寄せて口づけするふりをした。

「ちょ、ちょちょちょ、待ってぇ! 俺には……心に決めた人が!!」

 王茗ワンミンはたちまち真っ赤になり、大慌てて身を引く。呉宇軒ウーユーシュェンはぱっと手を離すと、冗談だよと笑ったが、彼は体を両手で抱きすくめ、まるで悪漢に汚された乙女みたいにさめざめと泣き真似をした。

「お、俺、汚されちゃった……」

「なんもしてねぇだろうが。桑陽サンヤン、ちょっといい?」

 大袈裟な彼に笑うと、呉宇軒ウーユーシュェンは人形の服を縫っていた謝桑陽シエサンヤンに目をつける。標的にされた彼はびくりと肩を跳ね上げ、守るように両手を胸のところで合わせると、ブンブンと頭を振って全力で拒否した。

「だ、ダメです! 勘弁してください!!」

「じゃあ子星ズーシンでいいや」

 彼が次々に標的を変えてよからぬことをしようとするので、呂子星リューズーシンはとっくに警戒体制に入っていた。彼は顔いっぱいに嫌悪感を滲ませて呉宇軒ウーユーシュェンを睨みつけると、脅すように鈍器のような厚みがある法律の本を構えて口を開く。

「一体何の真似だ! ついにイカれちまったか?」

「それを確かめるためにやるんだよ!」

 彼は両手を広げ、野良猫のように警戒する呂子星リューズーシンにじりじりと近寄り、部屋の隅まで追い詰めた。そして、彼がほんの一瞬気を緩めた隙をついて飛び掛かった。

「うおぉぉぉぉっ! やめろおぉぉぉっ!!」

 呉宇軒ウーユーシュェンが彼の両手を掴むと、思いの外強い力で抵抗される。呂子星リューズーシンが右へ左へ体を捩らせて抵抗するので、側から見ると二人でダンスを踊っているようだ。

「落ち着けって、何もしねぇから」

「もうしてるだろうが!」

 全力で抵抗しながら呂子星リューズーシンが怒鳴る。呉宇軒ウーユーシュェンは本気で何かするつもりではなく、ちょっと『確かめたい』だけだったのだが、彼があまりにも必死で抵抗するので諦めて手を離した。
 ようやく危機を脱した呂子星リューズーシンは、ゼイゼイと肩で息をしながら迷惑そうな顔をして彼を睨んだ。

「何がしたいんだよ、お前は……」

「いや、ちょっと気になることがあってさ」

 そう言うと、呉宇軒ウーユーシュェンは幼馴染とキスをした件は伏せながら、最近彼に対して妙に緊張して恥ずかしい気持ちになることを告白した。そうなるのが彼に対してだけなのか、それとも誰にでもなるのか確かめたかったのだ。
 事情を知った呂子星リューズーシンは呆れ顔をして椅子に腰を下ろすと、「俺たちじゃ無理だろ」とため息混じりに言った。

「無理って、何でだ?」

「顔面偏差値が違いすぎる」

 確かに李浩然リーハオランは絶世の美男子で、ここに居る誰よりも格好いい。しかし、ルームメイトたちも決して不器量というわけではなく、系統が違うだけでモテそうな顔をしている。

「謙遜すんなよ、お前結構男前だぞ」

 特に女子から細やかに人気のある呂子星リューズーシンにウインクをしてみせると、彼は心底嫌そうに眉をひそめた。

「とにかく、やるならイーサン辺りにやってみろよ。俺たちを巻き込むんじゃねぇ!」

 李浩然リーハオランに匹敵する美男子だろ、とさり気なくイーサンに彼をなすりつける。呉宇軒ウーユーシュェンはルームメイトたちの顔を交互に見て、それもそうだなと椅子に座り直し、それでようやく部屋に平和が訪れた。
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