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第九章 ひみつのこころ
30 石橋を叩いてカチ割る
しおりを挟むしばらく李浩然を揺さぶって怒ったふりをしていた呉宇軒は、手を休めて深いため息を吐くと、改まった顔で幼馴染に向き直った。先ほどの言葉が聞き間違いではないと、もう一度確かめたいと思ったのだ。
「なあ、本当に昨日の続きしてほしいのか?」
幼馴染相手だといつもの無鉄砲さは鳴りを潜め、つい慎重になってしまう。
李浩然は小さく息を呑み、少しの間躊躇うように口を閉ざしていたが、やがて機嫌を窺うような上目遣いで呉宇軒の瞳を覗き込んだ。
「……だめ?」
可愛らしく尋ね返され、胸がキュンとする。こっぴどく叱ったため、また怒られるとでも思ったのだろう。最近強硬手段ばかり取っている彼にしては随分と控え目だ。
自分が優勢と分かると少しだけ余裕が出てくる。呉宇軒はニヤついてしまいそうになるのをなんとか堪えると、勿体ぶって呟いた。
「どうしよっかなぁ……」
さも気乗りしない風を装っているが、心の中では天使たちが高らかにファンファーレを鳴らし、花びらが降り注ぐお祭り騒ぎだった。しばらく神妙な面持ちで考えるふりをした後、彼は幼馴染の唇にちゅっと触れるだけのキスをして膝から降りた。
「今日はおあずけだな。飯食いに行こう」
今はまだ昼休憩なので、食事を先に済ませてからの方がいい。そう判断した彼に、李浩然は素直に頷いた。
「分かった。行こう」
拍子抜けするほどあっさり引き下がったので、呉宇軒はむっとして眉根を寄せ、ほんの少し不満を覗かせる。さっきまで不安でいっぱいだったのに、今では欲が出てもっと求めてほしいとまで思う。
すると、その顔を見た李浩然は笑って彼を抱き寄せ、流れるように自然な動きで唇を重ねた。昨日の晩と同じ不意打ちのキスだ。
少しだけこうなることを期待していた呉宇軒は、すぐに彼の腰に手を回して甘い口づけを歓迎した。何度もしているせいか李浩然の動きは性急で、待ちきれないとばかりに唇の隙間から舌が滑り込んでくる。
手慣れた彼の舌遣いに必死に応えながら、呉宇軒は有頂天になって頭の中で考えた。ここまでするなら、もう付き合っていると言っても良いのでは?
ところがその時、テントの幕の向こうからわざとらしく大きな声が聞こえてきた。
「あーあ、疲れた! 早く昼飯食べに行かないと」
その声は一緒に売り子をしていたイーサンのものだ。呉宇軒は幼馴染からぱっと離れると、駆け寄って入り口の幕をそっと捲った。するとそこには、何故か入り口に背を向けたイーサンの姿があった。
「お前も昼休憩?」
彼の背中に声をかけると、イーサンは文句を言いたそうに眉間にシワを寄せて振り向いた。きっと中に居た二人に気を遣ったのだろう。彼が大きな声を出さなければ、今頃キスしているところを目撃されていたはずだ。
イーサンは奥にいる李浩然をチラリと見た後、呉宇軒に向き直って口を開いた。
「猫奴が一緒に飯食いに行ってこいって。王茗が煎餅食べようって連絡してきてたぞ。煎餅って何だ?」
「クレープみたいなやつだよ。甘くないけど」
彼が言っているのは煎餅果子といって、小麦粉などを薄く伸ばして焼いた生地に具を挟んで食べる中国風のクレープのことだ。ただしデザートではなく、中身はしょっぱいものや野菜が中心で、朝や昼によく食べられている。王茗たちがもう店の前で待っているというので、三人は急いで現地へ向かった。
人で賑わう大きな通りをナビに従って進んで行くと、そう時間も経たないうちに王茗たちの姿を見つける。建物の一階の隅に煎餅の店が入っているようで、通りに面した注文窓口にはすでに昼休憩の人たちが並んでいた。
三人の姿をいち早く見つけた王茗が、キラキラした眩しい笑顔で手を振ってくる。
「やっと来た! 俺もうお腹ぺこぺこだよぉ……」
早く早くと急かされ、彼に連れられて店の中へ入る。店内にはイートインのスペースがあり、椅子に座ってゆっくり寛ぎながら食事が楽しめるようになっているのだ。
先に来ていた彼らはもう注文が決まっているらしく、王茗と謝桑陽は注文係の呂子星を残して席を取りに行ってしまった。
煎餅は軽食の定番なので、呉宇軒と李浩然はすぐに何にするか決められたが、初めて食べるイーサンはメニュー看板を見て頭を悩ませていた。呉宇軒が彼の相談に乗ってあれこれ説明していると、呂子星がこっそり手招いているのが目に入る。
「浩然、ちょっとこいつのこと任せていい?」
「うん。すぐ決めさせるから、並んでいて」
頼もしい返事をすると、李浩然は初心者イーサンにおすすめの具を教え始めた。
少し前までは彼も選んでもらう側だったのに、随分と成長したものだ。二人の様子を見て大丈夫そうだと判断した呉宇軒は、何か言いたげな顔をして待っている呂子星の元へ向かった。
「どうしたんだ?」
尋ねると、彼は嫌そうに顔を顰めながら、周りに聞こえないよう声を潜めて言った。
「お前、何があったんだ? 妙にデレデレしやがって」
彼の言葉に、呉宇軒は目が点になる。何を言っているのかさっぱり分からず怪訝な顔を向けると、呂子星は眉間にぐっとシワを寄せて、より一層小さな声で指摘した。
「まさか自覚ないのか!? ずっと李浩然のこと見てニヤニヤしてたぞ。朝はあんなにキレてたくせに」
それを聞いて、呉宇軒はやっと何のことか分かり、ああ、と納得する。それから満開の花のよう幸せいっぱいの笑みを浮かべ、呂子星の耳元でこっそり囁いた。
「昨日のやつ、別に嫌がってなかったんだって。俺たち相思相愛かも!」
てっきり一緒に喜びを分かち合ってくれると思ったのに、それを聞いた呂子星は眉を顰めて冷や水を浴びせるようなことを言い始めた。
「かもって、好きだって言わなかったのかよ。何怖気付いてんだ? 前と変わってねぇじゃねぇか」
早く言ってこいとせっつかれ、呉宇軒はちらりと幼馴染を盗み見る。イーサンの質問に真摯に受け答えする彼の横顔は、うっとりするほど美しい。
自分が想いを伝える姿を想像して、呉宇軒は恥ずかしさにたちまち真っ赤になった。
「い、言わなくても良いんじゃないか? もうほぼ付き合ってるようなものだろ? さっきキスしたし!」
変に何かして今の関係が台無しになるより、このままの方がずっといい。そう主張すると、呂子星はこの期に及んで尻込みする呉宇軒へ冷たい視線を向けた。彼は心底呆れ果ててため息を吐くと、危機感を煽るように忠告した。
「余裕ぶっこいてると、誰かに掻っ攫われるぞ」
「それはないって。あいつ石橋を叩いて渡る性格だし、そう簡単には落とせねぇよ」
幼馴染の恋愛に対しての行動力は未知数だが、呉宇軒は彼の性格をよく分かっている。警戒心が強くて人見知りなので、李浩然はそうそう人を寄せ付けない。
だから大丈夫だと余裕ぶって笑う彼に、呂子星はますます呆れて、救いようのない馬鹿を見るような目を向けた。
「気付いてないかもしれないけどな……お前今、石橋を叩いてカチ割りそうになってるぞ」
老婆心でそう言ったものの、呉宇軒の方は戻ってきた李浩然にたちまち夢中になり、適当な返事をした。
「大丈夫だって。あっ、もう決まったのか? 然然、飲み物は何にする?」
猫撫で声で幼馴染に甘えに行った彼を見て、呂子星は密かに頭を抱える。このまま放置すれば絶対に面倒なことになるのは目に見えているのに、まるで取り付く島もない。
ハートを撒き散らかしながら幼馴染にじゃれる呉宇軒に冷ややかな眼差しを向け、彼は泣きついてきても絶対に助けないぞと心に誓った。
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