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悪魔と騎士
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タルダンの最北端の町、ロキが陥落した知らせは数日の内に大陸中を駆け巡った。
大陸最強と謳われたデンメルング聖騎士団も打ち破られ、一時はロキの町に逃げ延びたという、騎士団一の剣士も行方知れず。
更に数週間が経つと、タルダンの他の都市も次々とエルカーズに降伏し、事実上、小王国は崩壊した。
人ではない者を兵士とし、恐ろしい強さを誇る恐怖の軍団。
その噂は遥か南の大国、バルドルの港湾都市、ヘズの町にも届いた。
ヘズは石灰岩を含む白い石作りの町が並ぶ、海に面した明るい南の街である。
タルダンの崩壊は、バルドルとエルカーズを隔てる国がなくなったことを意味する。
人々は漠然とした恐れを抱きながら、異教の国の噂を口にしていた。
そして、図らずもこの町に流れ着いていた不死の騎士もまた、自分の故国が滅びたことを、一人身を寄せていた海沿いの宿で知った。
「滅びた……タルダンが……」
――あのロキの町への襲撃の夜。
レオンは人気のない場所から川沿いに出て、一晩南へ南へと歩き続けた。
何の旅の用意も無かったが、運良く途中で戦乱を避けて逃げて行く商人達に出会い、その用心棒になることでようやく食料と金銭とを得ることが出来た。
彼らの目指すのはタルダン王国の南境を越え、更に進んだ先にある大国バルドルであった。
故郷であるタルダンの首都に戻れば、敵前逃亡をした騎士として裁かれかねない。
レオンは祖国を後にし、商人たちと共に彼らの目的地を目指すほか選択肢が無かった。
しかし、今やその祖国も既に無いとは――。
真夜中の蒸し暑い部屋の中に、潮騒の音が響いている。
レオンは下着だけを身に付けた姿でベッドに横たわり、懊悩していた。
慣れないこの土地の気候が身に応えてしまったのか、今までの旅路の疲れが出たのか、もう数日この場所から動くことが出来ないでいる。
命がけで自分を救ってくれたジーモン神父に報いる為には、この安穏とした場所をすぐにでも出発しなければならないのに。
こうしてやむを得ず一つの場所にじっとしていると、今まで考えなくて済んでいたことがどうしても思い出された。
あの、悪魔のことを。
(カイン……)
まるで親しい者に呼びかけるように、久々に心の中でその名を口にする。
もう二度と会うことは無いだろう、この身に呪いを掛けていった悪魔。
だが思い出したことをすぐに後悔し、レオンは汗で額に張り付いた黒髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
(意味のないことをした……)
自嘲し、もう一度眠ろうと瞼を閉じた――その時。
「――呼んだか」
空耳か、あの艶のある声がすぐそばで聞こえたような気がした。
すぐに消えるかと思ったが、ベッドの傍でもう一度、今度は衣擦れの音が聞こえ、体の横を気配が通り過ぎてゆく。
幻聴だと思った。
悪魔がこんな場所に現れるはずがない。ロキの町はエルカーズに近かったが、今レオンがいるのは遥か南のバルドルだ。
だがその幻は狭い部屋を見定めるように勝手に歩き回り、挙句の果てにガタガタと音を立てて海側の窓を勝手に開け始めている。
「ほーお、これが海か。夜は真っ暗でつまんねえな」
無理やりに開かれた立て付けの悪い窓から、涼しい風までがさわさわと吹き込んできた。
――幻ではない。
確信し、レオンはベッドを軋ませながらゆっくりと上半身を起こした。
風でむき出しの背中の汗が乾き、寒気すらする。
海の匂いが強くなり、男の腰まで届く銀の髪が風に舞う。
星明かりに輝く丸く曲がった山羊のような角、異国の軍服にローブを纏ったその下から伸びている長い尾――その異形の姿を目にした途端、レオンはリンネルのシーツの上に手を滑らせ、いつも寝る時に傍に置いている剣の鞘に手を掛けた。
静かに引き寄せて左手で強く鞘を握り、音を立てぬように利き手で剣を抜く。
つま先をそっと床に下ろし、両手に剣を握りしめて、ゆっくりと窓の前の男に近付いた。
すぐ背後まで抜き足で近付き上段に剣を構えても、まだ男は気付かない。
「死ね、悪魔……!!」
叫びと共に首筋を狙い薙ぎ払った剣を、カインは振り向きざまにあっさりと避けた。
光を帯びた銀髪が一筋断ち切られ、絹糸のようにさらさらと床の上に落ちてゆく。
「っと! あっぶねえなあ、どういう歓迎だよ」
その美貌には艶やかな笑みが浮かび、焦りの気配は見えない。
レオンはもう一度無言で剣を振り下ろしたが、今度は白くしなやかな尾に剣を持つ手首を素早く拘束され、目的を阻まれた。
尾の触れた部分に痛みが走り、痺れて力を奪われた手の平が開く。
剣は床に音を立てて落ち、縛めだけがレオンの腕に残った。
「くっ……離せ……!!」
半ば意固地になってもがき、振り向いた相手の赤い瞳を睨み上げる。
「分かったから少し落ち着け、レオン・アーベル。――俺と話がしたかったんだろう」
穏やかに掛けられた言葉と共に悪魔が両腕を広げ、レオンの裸の上半身がしっかりと抱きしめられた。
「――あ……っ」
その力強さと温かさに、がくんと膝から力が抜ける。
こんな風にされたくて思い出した訳ではない。そう思うのに、ハリネズミのように張り詰めていた神経が凪いでゆく。
「う……っ」
同時に何故か喉元をこみ上げるものが襲ってきて、レオンは軍服の男の胸に額を預けてそれを堪えた。
自分は誇り高い騎士だったはずなのに、何故この男の前では弱く取り乱してしまうのか、それが全く分からない。
カインは最早一人で立つことが出来なくなったレオンの腰を抱き寄せると、ドサリと狭いベッドに倒れ、一緒に体を横たえた。
「よく泣くよなお前」
頬を指で包まれ、呆れたように言われる。
そんなことは無いと否定したかったが、声が裏返りそうになり止めた。
「そんなに辛かったのか」
妙に優しい言葉と、背中を何度も優しく撫でる力強い手に、また嗚咽が喉を突く。
すぐ至近距離にあるカインの美貌が、自分を見つめている。
細く通った高貴な鼻筋と、高慢な切れ長の瞳に、いつもどこか微笑みをたたえている薄い唇――。
まだ数度しか会ってないのに、既にこの男の顔を懐かしいと思い始めている自分が恐ろしくなった。
大陸最強と謳われたデンメルング聖騎士団も打ち破られ、一時はロキの町に逃げ延びたという、騎士団一の剣士も行方知れず。
更に数週間が経つと、タルダンの他の都市も次々とエルカーズに降伏し、事実上、小王国は崩壊した。
人ではない者を兵士とし、恐ろしい強さを誇る恐怖の軍団。
その噂は遥か南の大国、バルドルの港湾都市、ヘズの町にも届いた。
ヘズは石灰岩を含む白い石作りの町が並ぶ、海に面した明るい南の街である。
タルダンの崩壊は、バルドルとエルカーズを隔てる国がなくなったことを意味する。
人々は漠然とした恐れを抱きながら、異教の国の噂を口にしていた。
そして、図らずもこの町に流れ着いていた不死の騎士もまた、自分の故国が滅びたことを、一人身を寄せていた海沿いの宿で知った。
「滅びた……タルダンが……」
――あのロキの町への襲撃の夜。
レオンは人気のない場所から川沿いに出て、一晩南へ南へと歩き続けた。
何の旅の用意も無かったが、運良く途中で戦乱を避けて逃げて行く商人達に出会い、その用心棒になることでようやく食料と金銭とを得ることが出来た。
彼らの目指すのはタルダン王国の南境を越え、更に進んだ先にある大国バルドルであった。
故郷であるタルダンの首都に戻れば、敵前逃亡をした騎士として裁かれかねない。
レオンは祖国を後にし、商人たちと共に彼らの目的地を目指すほか選択肢が無かった。
しかし、今やその祖国も既に無いとは――。
真夜中の蒸し暑い部屋の中に、潮騒の音が響いている。
レオンは下着だけを身に付けた姿でベッドに横たわり、懊悩していた。
慣れないこの土地の気候が身に応えてしまったのか、今までの旅路の疲れが出たのか、もう数日この場所から動くことが出来ないでいる。
命がけで自分を救ってくれたジーモン神父に報いる為には、この安穏とした場所をすぐにでも出発しなければならないのに。
こうしてやむを得ず一つの場所にじっとしていると、今まで考えなくて済んでいたことがどうしても思い出された。
あの、悪魔のことを。
(カイン……)
まるで親しい者に呼びかけるように、久々に心の中でその名を口にする。
もう二度と会うことは無いだろう、この身に呪いを掛けていった悪魔。
だが思い出したことをすぐに後悔し、レオンは汗で額に張り付いた黒髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
(意味のないことをした……)
自嘲し、もう一度眠ろうと瞼を閉じた――その時。
「――呼んだか」
空耳か、あの艶のある声がすぐそばで聞こえたような気がした。
すぐに消えるかと思ったが、ベッドの傍でもう一度、今度は衣擦れの音が聞こえ、体の横を気配が通り過ぎてゆく。
幻聴だと思った。
悪魔がこんな場所に現れるはずがない。ロキの町はエルカーズに近かったが、今レオンがいるのは遥か南のバルドルだ。
だがその幻は狭い部屋を見定めるように勝手に歩き回り、挙句の果てにガタガタと音を立てて海側の窓を勝手に開け始めている。
「ほーお、これが海か。夜は真っ暗でつまんねえな」
無理やりに開かれた立て付けの悪い窓から、涼しい風までがさわさわと吹き込んできた。
――幻ではない。
確信し、レオンはベッドを軋ませながらゆっくりと上半身を起こした。
風でむき出しの背中の汗が乾き、寒気すらする。
海の匂いが強くなり、男の腰まで届く銀の髪が風に舞う。
星明かりに輝く丸く曲がった山羊のような角、異国の軍服にローブを纏ったその下から伸びている長い尾――その異形の姿を目にした途端、レオンはリンネルのシーツの上に手を滑らせ、いつも寝る時に傍に置いている剣の鞘に手を掛けた。
静かに引き寄せて左手で強く鞘を握り、音を立てぬように利き手で剣を抜く。
つま先をそっと床に下ろし、両手に剣を握りしめて、ゆっくりと窓の前の男に近付いた。
すぐ背後まで抜き足で近付き上段に剣を構えても、まだ男は気付かない。
「死ね、悪魔……!!」
叫びと共に首筋を狙い薙ぎ払った剣を、カインは振り向きざまにあっさりと避けた。
光を帯びた銀髪が一筋断ち切られ、絹糸のようにさらさらと床の上に落ちてゆく。
「っと! あっぶねえなあ、どういう歓迎だよ」
その美貌には艶やかな笑みが浮かび、焦りの気配は見えない。
レオンはもう一度無言で剣を振り下ろしたが、今度は白くしなやかな尾に剣を持つ手首を素早く拘束され、目的を阻まれた。
尾の触れた部分に痛みが走り、痺れて力を奪われた手の平が開く。
剣は床に音を立てて落ち、縛めだけがレオンの腕に残った。
「くっ……離せ……!!」
半ば意固地になってもがき、振り向いた相手の赤い瞳を睨み上げる。
「分かったから少し落ち着け、レオン・アーベル。――俺と話がしたかったんだろう」
穏やかに掛けられた言葉と共に悪魔が両腕を広げ、レオンの裸の上半身がしっかりと抱きしめられた。
「――あ……っ」
その力強さと温かさに、がくんと膝から力が抜ける。
こんな風にされたくて思い出した訳ではない。そう思うのに、ハリネズミのように張り詰めていた神経が凪いでゆく。
「う……っ」
同時に何故か喉元をこみ上げるものが襲ってきて、レオンは軍服の男の胸に額を預けてそれを堪えた。
自分は誇り高い騎士だったはずなのに、何故この男の前では弱く取り乱してしまうのか、それが全く分からない。
カインは最早一人で立つことが出来なくなったレオンの腰を抱き寄せると、ドサリと狭いベッドに倒れ、一緒に体を横たえた。
「よく泣くよなお前」
頬を指で包まれ、呆れたように言われる。
そんなことは無いと否定したかったが、声が裏返りそうになり止めた。
「そんなに辛かったのか」
妙に優しい言葉と、背中を何度も優しく撫でる力強い手に、また嗚咽が喉を突く。
すぐ至近距離にあるカインの美貌が、自分を見つめている。
細く通った高貴な鼻筋と、高慢な切れ長の瞳に、いつもどこか微笑みをたたえている薄い唇――。
まだ数度しか会ってないのに、既にこの男の顔を懐かしいと思い始めている自分が恐ろしくなった。
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