ハンガー先輩

まめつぶいちご

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ハンガー先輩

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―― 四月

 あんなに小さかったアイツも、ついに結婚して家庭持ちとはねぇ、この新居……まぁ日当たりは問題ねぇな

 俺はさっそく新築のベランダで、洗濯物に袖を通し太陽の光を浴びる。いい風が入るじゃねぇか。

 ん? 俺が誰かって? ハンガーだよ。ハンガー知らねぇのかい? 洗濯物を干すのに使ったり、上着なんかをかけて置く道具だよ。

 元々クリーニング屋出身でな、こいつが子供の頃から一緒にいるが……まさか結婚した後の新居にまで連れてってもらえるとはな、人生ってのは何があるかわからねぇな。


―― 五月

「わお! 超綺麗! 今日からここが俺の家!」

 ちっ……なんだかうるせぇな……せっかくの新居暮らしに水さしやがって……。どこのどいつだ。

「げ! 先客いた! ちわっす! 先輩! 今日からお世話になります! 自分、大手雑貨店ニコリのハンガーっす!」

「おう、新入り。ここじゃ俺が一番の古株だ。覚えておけ……でけーツラすんなよ?」

「さーせん! あざす! 頼りにしてます!」

 やれやれ。騒がしくなりそうだ……。
 しかし、ニニコリのハンガーか……、俺みたいにクリーニング屋出身の真っ黒なゴツいハンガーとは違って、白くてオシャレじゃねぇか。もやしみたいな厚みしやがって。お前なんかにハンガーが務まるのかってんだ。


―― 六月

「せ、先輩! 雨! 降ってきましたよ! 濡れる!」

「うっせーな、雨くらいでビビってんじゃねぇよ」

 この時期になると雨も多くなる。天気の予報も降水確率二十%とか適当なこと言いやがって。

「先輩! 洗濯物、もうビチャビチャです!」
「もうどうしよーもねーだろ。耐えろ」
「りょ、了解っす!」

 会社が忙しいとかで朝干したら夜遅くまで帰ってこないから、高確率で洗濯物が雨にやられんだよな。

「先輩! 濡れた洋服は重いっす! 肩痛い!」
「新入りはこれだからよー忍耐がねーな。肩張れ」
「あざっす!」

 道具である俺たちには、どうすることもできない事ばかりだ。ハンガーだぜ?なにができるよ。変な期待すんなよ。


―― 七月

 夏真っ盛りというやつだ。どの家も朝から洗濯物をたくさん干してやがる。最高の気分だぜ。

「あー暖かいっすー。先輩、太陽ってなんなんすか? 朝は出るけど夜は消えますよね?」

「太陽は宇宙に浮かんでる恒星で、太陽を中心に地球が回ってるだろ? 地球も回ってるから大体十二時間周期で朝と夜が変わんだよ」

「先輩物知りすぎません?! パねぇ!」

 外ではセミがミーンミーンとやかましい音を立てている。ツクツクホーシもいるな。これだけ暖かいと洗濯物もよく乾く。

「あ、先輩ってどこ出身なんすか?」
「クリーニング屋だよ。文句あんのか?」
「いや! さーせん! 渋いっすね!」


―― 八月

 この日は朝方に台風四号が上陸した。まさかとは思ったがよ。昨日洗濯干したまましまい忘れて濡れたからまぁいいや晴れるまで放置って、てめぇ!台風だっつーの!

「先輩!先輩! 助けてください! 先輩!」
「落ち着け! いいか! 物干し竿を離すなよ!!」
「無理っす! 無理っす! 飛ばされます!」

 俺も台風の日に外に出されたのは初めてで、柄にもなく新入りを励ましちまった。こいつ意外と根性あんな……。

「先輩! なんで風って! あるんすか!?」
「あ!? つかしっかり捕まっとけ! 風はな! 暖かい空気と冷たい空気が! ぶつかると! 発生すんだよ!」
「さーせん! 最後の方聞こえなかったっす!」



―― 九月

「暑っ……先輩、俺……溶けそうっす」
「ああ、俺もだよ。午前中で洋服は完全に乾いてるってのにな……」

 この日は過去最高気温の記録的猛暑だった。俺たちは熱や風に弱いんだ。

「はぁー、夏ってなんで暑いんすかね……太陽に近いんすかね?」

「いや、太陽の光に当たる角度の問題だ。地球も回ってるからなこの時期は太陽の光に良く当たる角度なんだ」

「はぁーなるほどー、冬は当たる角度が良くないと?」

「そうだよ、地球の自転と公転に関係が……って、おい」

「さ、さーせん! 暑すぎて意識飛んでました! しかし、先輩って本当に物知りっすね」

「まぁな、伊達に長生きしてねーよ」


―― 十月

「衣替えってわくわくしますね! どんな冬服なのかな」
「ふ……、まぁ楽しみにしておきな」

 この時期はいつも衣替えだ。夏服から冬服になる。この家の奴は秋服をあまり持ってないからな。最近は異常気象で秋が短いから俺はありだと思うがな。

「ぬぐぐぐぐぅうおおあお! 重いぃいい!」
「おうおう、いきなり当たり引いたな。冬用コートめちゃ重いからな」
「せ、先輩っ! 肩やばいっす! まがっちゃう!」
「もうちっと寒くなるまでの我慢だな」
「まじっすか! 十二月までこのままっすか!?」

 冬用コートの重さは半端ない。俺みたいにガッチリとしたハンガーなら問題ないが、オシャレ重視のこいつには厳しいだろうな。


―― 十一月

「いやー、冬用コートをクリーニングに出してくれて助かったっす! 肩がひんまがるところでした!」
「わかるよ。俺も昔は冬のコート二つ重ねられた事あってな……流石に首が抜けるかと思ったぜ」
「それやばいっすね……」

 これから本格的に寒くなってくる。そんな時、俺らの運命を変える日がやってきた。

「先輩……あれって、ニコリのハンガーの増援っす!」

 この日、ニコリのハンガーが大量に運び込まれてきた。クローゼットの中は一気に騒がしくなった。

「先輩! これで少しは楽できますね!」
「……ああ、そうだな。お前にもやっと子分が出来るな」
「あ! そうっすね! やった!」


―― 十二月

「いいっすか? 洗濯物を干される時は、肩を張る! これ大事っす!」
「ふ、お前も教えるのが上手くなったじゃねぇか」
「全部、先輩の受け売りっすよー」

 ニコリの新入りが大量に入ってから、こいつは妙に張り切ってやがる。新人の教育はこいつに任せよう。俺はクローゼットの中で落ち着いた生活に身を委ねた。

「太陽を中心に地球が回っててー、それで――」
「暖かい空気と冷たい空気が――」

 あいつの指導する熱心な声がベランダから聞こえる。最初はもやしっ子だと思ったが、中々……みどころのあるやつだな。


―― 一月

 その日は、唐突にやってきた。
 クローゼットの扉が開かれて、眩いほどの日光がクローゼットの中に差し込まれる。俺たちはその光を全身に浴びながら外の光景に目を見張った。

「先輩! 雪降ってますね! すげー!」
「積もりそうだな」

 今日は雪だ。洗濯を干すはずがない……。なぜクローゼットを開けた。いや、そうだな。俺には全部わかっていた。

 家主はおもむろに俺に掛かっていた洋服を取り外し、別のニコリハンガーに掛け直した。

 そして、俺は……、ゴミ袋に押し込まれた。

 他にも昔からいる大御所達が次々とゴミ袋に詰め込まれていく。

「え…… ちょ……先輩! どういうことっすか!?」

「落ち着け、これは仕方のない事だ」

「なんすか! わかんねーっすよ!」

「こないだ大量にニコリのハンガーの新入りが来ただろ。つまりだ、俺達のような形の古い、色もバラバラのハンガーは見栄えが悪いのさ」

「そ、そんな……どれも同じハンガーじゃないっすか! 出来ることに大差ないっすよ! むしろ俺の方が細いし! 冬服掛けられると体が捻れそうになるっすよ!」

「人間にとっては、見た目がなによりも大事なんだ。それに耐久性は散々試してきただろ。お前には俺の代わりが務まる。胸を張れ。あとのことは任せたぜ」

「先輩……、俺! ちゃんとやります! 立派なクローゼットにしてみせます! 今まで! ありがとうございました!!」

 先輩達ハンガーは、ゴミ袋に押し込まれて口を縛られ、どこかへと持ち去られてしまった。

 クローゼットの中にはニコリの白いハンガーのみが残った。右を見ても左をみても白いハンガーのみ。スーツ用のハンガーやコート用のゴツいハンガーは一つもない。

「俺、がんばるっす……。いや、がんばるよ。先輩」



―― 十年後

「長老はマジ物知りっすねー」

「ふぉふぉ、伊達に長くハンガーしてないわい」

「おじい! またあの話聞かせて!」

「うむ、あれは……わしがまだ若かった頃の話だ。このクローゼットには、クリーニング屋出身の威張り腐ったゴツくてムカつく黒いハンガーがおってな……」

「おじい、いつもこの話する時は嬉しそうだねー」
「そうかね? ふぉふぉ」


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あとがき
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ちょうどハンガーを総入替する時に、ふとクリーニング屋出身のごつくて黒いハンガーが寂しそうな顔をしている気がして、この話を思いつきました。

初めて書いた作品なので右も左もわかってませんが、先輩と後輩のハンガーのやりとりはちょっとコミカルに、月毎に区切りをつけてと、ない頭をひねってみたら、私的には大好きな話の一つになりました。

また書きましたら読んでいただけると幸です。
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