タカと天使の文通

三谷玲

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天降る天使の希い

実の月 その三

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 実りの秋というだけあって、今日の昼餉には今年採れたばかりの米とキノコの汁物。挽いた鶉の肉と青菜の炒めものが並んでいる。
 はじめてキノコを食べたときはその触感に驚いたソルーシュだったが、豊かな香りに魅了され、今では好物と言ってもいい。

「荷が届かないのですか?」

 朝議を終えた蒼鷹は峰涼も従えずひとり、蓮華宮の院子を訪れた。
 ふたりで昼餉を食べはじめると、蒼鷹から思いも寄らないことを告げられた。
 アミールからの手紙にはそのようなことは書いてなかった。

「義兄上が特に何も言っていないのであれば、トルナヴィエからは間違いなく出発したということだろう。季節によっては遅れることも多いから、気にするほどではないと、舜櫂は言ってるんだが……」
「そろそろ砂漠の路は閉ざされるころですからネェ。途中で路を変えた可能性もありますヨ」

 砂漠の冬がどれほど厳しいものか、ソルーシュは身を持って知っていた。
 その路が使えないとなると、海か山。どちらにしろ一度、パルサまで戻る必要があった。あの、真っ白なオアシス都市だ。

「海はまだ問題ないと思いますが……。パルサで足止めを食らっている可能性はありますネェ。戒律が厳しいため、治安は良いのですが、その分、荷の検査なども入念ですし……」

 舜櫂は思案げに髪を口に寄せた。

――本当になんでも知っているんだな。

 一度、訪れたことはあったが、白い国という印象しか、ソルーシュにはなかった。ただ、王都へ辿り着くと、身分を確かめられ、トルナヴィエ王子と分かると、すぐに王宮へと案内された。
 他の国ではなかったことだ。
 その王宮も荘厳で真っ白いことしか思い出せないが……。

「そうか。まぁ何事もないならそれに越したことはない。ここで考えていても埒が開かないからな。助かった、舜櫂」

 とんでもないと頭を下げて、舜櫂は昼餉の片付けに向かった。
 蒼鷹は舜櫂が院子の廊下を渡り終えるのを、ずっと見送っていた。

――舜櫂はこの春官吏になったと聞いているけれど、蒼鷹や峰涼と親しげな気がする。

 他の官吏や、宦官、女官がこの場にいて、意見を求められることはこれまでなかった。
 ソルーシュの側仕えというには舜櫂に才がありすぎるため、それは当たり前のように思っていた。

「蒼鷹は、舜櫂を知っていたのですか?」

 ふたりきりの卓で思い切って聞いてみた。
 問われた蒼鷹は驚いて身体を仰け反らせた。

「あ、ああ……。私が王位を継ぐ前、あいつは厨房にいたんだ」
「厨房に? 御膳部にお勤めだったんですか?」
「いや……どう話せばいいのか」

 やけに蒼鷹の口は重かった。

――言いにくいこと、なのだろうか?

 あぁともうぅともつかない音が蒼鷹の口から漏れ聞こえるが、到底言葉にはなっていない。

「あの、秘密のことならいいのです。仲がよろしいんだなと思っただけですから」
「……? 仲がいいように見えるのか? それを言うならソルーシュは舜櫂を信頼しすぎている気がする。それにオーランとも距離が近いし、紅希にいたっては父上などと呼ばせて……。そうだ! このごろ紅牡丹までっ! あぁ……っ! くそっ!」

 唐突に出された大きな声に、今度はソルーシュが身体を仰け反らせた。

「悪い……ただの嫉妬だ。やはりこうなるような気がしていたのだ」
「嫉妬、ですか?」
「そうだ。私の天使は誰にでも優しいからな。みながソルーシュを好きになる。それは誇らしいが……ときおり自分だけの天使でいてほしいと思う。王妃教育も先延ばしにしていたのだが」

 もうすぐ半年になるが、その王妃教育はあまり進んではいない。

 覚えなければならないことが多すぎるのもひとつ。言葉の壁もまだある。
 舜櫂の教え方はわかりやすいが、直接的な儀式についてはまだ教えられていなかった。
 そのため表に出ることがあっても、それはただ座っているだけ。あの祖魂祭のときのように。
 その際の視線は痛い。
 男の自分が王妃の位置にいることも、蒼鷹よりも大きな身体も、この日に灼けた肌も、光も素通りするほどに色のない銀髪も。
 すべてが奇異に見えるのだろうと、ソルーシュは肌で感じていた。
 後宮の内では穏やかにすごせても、外はまだソルーシュにとっては慣れない異国だった。
 王妃教育と聞いて顔色を曇らせてしまったソルーシュに、蒼鷹が肩を抱いた。

「焦る必要はない。なんなら覚えなくてもいい。紅希さえ大人になってしまえば、私たちは早々にここを出るのだから」
「わざと教えてない……などということはないですよね?」
「それはない! そこは舜櫂にまかせているから。あいつがまだ必要ないと思っているのなら、そうなんだろう。あいつは内政にも後宮にも詳しいからな」

 抱き寄せられて、頭を撫でられる。
 先日同じことをオーランにしたばかりだと、ソルーシュは思い出した。
 蒼鷹の匂いと自分の匂いが混じり合い、少し肌寒ささえ感じる風が通り過ぎていく。

「ソルーシュはソルーシュのままでいればいい」

 蒼鷹はいつもそう言って慰めてくれたが、ソルーシュにはそれが「役立たず」と言われている気がしてならなかった。
 寒さのせいだけではなく、ふたりで院子で昼餉をとるのはこれが今年最後となった。
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