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天降る天使の希い
萌の月 その四
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開戦してから届く報せは良くも悪くもソルーシュの気持ちをざわつかせた。
泥濘んだ湿原で大規模な衝突は難しく、小さな戦闘が発生し、戦況は一進一退といったところだ。
本陣にいる蒼鷹はその指示を出すばかりで、戦闘に加わっていはいないと聞いて、ホッとした。
「今日は後宮についてお話しましょうカ」
戦の話が続いた講義から一転、関係のない話をして気を紛らわせようとする舜櫂の声に、ソルーシュも紅希も頷いた。
オーランだけは、どうでもよさげな顔をしていたが、舜櫂はそれをくすりと笑って話を続けた。
「世界各地に後宮と呼ばれるものはありますが、何のためにあるとお思いですカ?」
舜櫂の問に紅希は勢いよく手を挙げて「王家のためです」と答えた。
オーランはそれを聞いて鼻で笑うので、ソルーシュは目で叱った。
五歳の紅希にそれ以外の理由を知っていてほしくないという思いもあった。
「オーランはどう思いますカ?」
「そりゃ、子どもを作るためだろ? 後は王の趣味か」
「確かにそういう王もいますが……。子どもを作る、確かにそうですネェ。ですがそれは答えの半分にもなりませんネェ」
――子どもを作るため、以外にあるのだろうか?
ソルーシュは自らが子どもを産めるわけではないのに後宮にいる意味をよく考えていた。後宮の主として、王妃として何が出来るのか。
紅希がいなければ、ここに来ることもなかっただろう。蒼鷹が王位を紅希に譲るための中継ぎとして、子どもの出来ない男を王妃にすると言わなければソルーシュが嫁ぐことはなかった。
では、ソルーシュがここにいる意味は……?
「ソルーシュ様はどう思われますカ? 後宮とは何のためにあるのでしょう?」
舜櫂の問は、ここに来てからずっと悩まされていた命題だ。
これまで蒼鷹のために役立ちたいとずっと思い、それは少しずつだが形になってきているように思う。
それは結局、この後宮の目的でもある。つまり……。
「王を支える、ため……でしょうか?」
不安げに答えるソルーシュに、舜櫂はほぉと目を開き頬を緩めた。
「ソルーシュ様はそう思われるのですネェ。それも答えのひとつ、だと思いますが、もう少し踏み込んで考えてください。王を支えると、どうなりますカ?」
蒼鷹を支えたいと思うのは、何故か。
彼を好きだから、というのはもちろんだがそれ以上に彼の王という重責を少しでも分かち合いたいと思う。
「蒼鷹の、王の自信に繋がります」
「王が自信を持つことは大事ですカ?」
「やる気のない王では長老も官吏も仕える意義がありません。専横がはびこり、腐敗してしまいます」
「そういう事例は多いですネェ」
ソルーシュは知らないが、舜櫂には思い当たることがあるのだろう。小さく首を揺らして同意すると、オーランが口を挟んだ。
「強すぎてもだめだろ。トルナヴィエのような独裁では貧しい者、弱い者は一生変わらない」
「そうですね。あのハレムは王を支えるのではなく、王に余計な自信を付けさせるための、媚びたものですから」
ソルーシュのいたハレムで、妃はみな王にへつらっていた。数少ない楯突く妃もいたが、それでもそれは王に響くことはなかった。
「その結果、国はどうなりましたカ?」
「貧富の差の激しい、他国との争いに耐えない国になりました。今、兄は休戦協定に走り回っていると思います」
長兄のアミールは父を嫌っていた。即位してすぐに行ったのは各地で行われていた侵略行動の一切を中止することだった。
もちろん、中止を宣言したからと言ってそれがすぐに和平へとつながるわけではない。
それでも民を思う若い王は、今も各地に飛び回っていることだろう。
「そう。後宮のあり方が国も変えてしまうこともあります」
そこで一息ついて、舜櫂が前に座る彼の教え子たちを見渡した。
「つまり、後宮とは国を育てるものなのですヨ。王を支え、次の王を育てることで、国を育てているのです。例え子が産めなくても、王妃にしかできないことはたくさんある、ということですネェ。大変ですヨ?」
子を作ること、子を育てること、王を支えること。
それらはひいては国を育てることだと、舜櫂は言う。
はっと息を呑むソルーシュ、紅希はまだ良くわかっていない顔をして、オーランはなぜか渋い顔をしていたが、舜櫂はそれに構わず先を続けた。
「子を産める者は多いです。まぁ賢高、特に王家は子を孕みにくいので、おかげで後宮を作らざるを得なかったという経緯もありますが。国を育てることができる人というのはそう多くはないと、拙は思いますが、いかがですカ?」
最後にソルーシュを見据えた舜櫂に、ソルーシュは自分の役割を思い知らされた。
これまでずっと悩んできた、自分の価値について突きつけられて、重くのしかかる。
「ワタシができると?」
「おや? まったくやる気のなかった引きこもりの陛下を城から出した方が何をいまさら」
蒼鷹が範按に迎えに来たときのことを持ち出されてソルーシュはそれは意味が違うのではないかと、反論しようとした。
「それは――」
誂われてるのではないかと、あげた声は舜櫂の次の言葉でかき消された。
「おかげで治水工事まで。拙はこのことを知り、ソルーシュ様は王妃にふさわしい、そう思ってこの職に就いたのです。ぜひ陛下の尻を叩いてやってください」
何気ないソルーシュの言葉が蒼鷹を動かした事実が、思いのよらぬ方向で舜櫂を変えさせたのだと告げられた。
まだ迷いは晴れたわけではない、それでも自分が後宮にいて良いのだと、言われた気がした。
――早く、蒼鷹に逢いたい。
開戦してから半月。戦は長くてふたつきは掛かるだろうと言われていた。
春の到来は、嵐とともに訪れる。
院子に咲いた、真っ赤な牡丹と共に。
泥濘んだ湿原で大規模な衝突は難しく、小さな戦闘が発生し、戦況は一進一退といったところだ。
本陣にいる蒼鷹はその指示を出すばかりで、戦闘に加わっていはいないと聞いて、ホッとした。
「今日は後宮についてお話しましょうカ」
戦の話が続いた講義から一転、関係のない話をして気を紛らわせようとする舜櫂の声に、ソルーシュも紅希も頷いた。
オーランだけは、どうでもよさげな顔をしていたが、舜櫂はそれをくすりと笑って話を続けた。
「世界各地に後宮と呼ばれるものはありますが、何のためにあるとお思いですカ?」
舜櫂の問に紅希は勢いよく手を挙げて「王家のためです」と答えた。
オーランはそれを聞いて鼻で笑うので、ソルーシュは目で叱った。
五歳の紅希にそれ以外の理由を知っていてほしくないという思いもあった。
「オーランはどう思いますカ?」
「そりゃ、子どもを作るためだろ? 後は王の趣味か」
「確かにそういう王もいますが……。子どもを作る、確かにそうですネェ。ですがそれは答えの半分にもなりませんネェ」
――子どもを作るため、以外にあるのだろうか?
ソルーシュは自らが子どもを産めるわけではないのに後宮にいる意味をよく考えていた。後宮の主として、王妃として何が出来るのか。
紅希がいなければ、ここに来ることもなかっただろう。蒼鷹が王位を紅希に譲るための中継ぎとして、子どもの出来ない男を王妃にすると言わなければソルーシュが嫁ぐことはなかった。
では、ソルーシュがここにいる意味は……?
「ソルーシュ様はどう思われますカ? 後宮とは何のためにあるのでしょう?」
舜櫂の問は、ここに来てからずっと悩まされていた命題だ。
これまで蒼鷹のために役立ちたいとずっと思い、それは少しずつだが形になってきているように思う。
それは結局、この後宮の目的でもある。つまり……。
「王を支える、ため……でしょうか?」
不安げに答えるソルーシュに、舜櫂はほぉと目を開き頬を緩めた。
「ソルーシュ様はそう思われるのですネェ。それも答えのひとつ、だと思いますが、もう少し踏み込んで考えてください。王を支えると、どうなりますカ?」
蒼鷹を支えたいと思うのは、何故か。
彼を好きだから、というのはもちろんだがそれ以上に彼の王という重責を少しでも分かち合いたいと思う。
「蒼鷹の、王の自信に繋がります」
「王が自信を持つことは大事ですカ?」
「やる気のない王では長老も官吏も仕える意義がありません。専横がはびこり、腐敗してしまいます」
「そういう事例は多いですネェ」
ソルーシュは知らないが、舜櫂には思い当たることがあるのだろう。小さく首を揺らして同意すると、オーランが口を挟んだ。
「強すぎてもだめだろ。トルナヴィエのような独裁では貧しい者、弱い者は一生変わらない」
「そうですね。あのハレムは王を支えるのではなく、王に余計な自信を付けさせるための、媚びたものですから」
ソルーシュのいたハレムで、妃はみな王にへつらっていた。数少ない楯突く妃もいたが、それでもそれは王に響くことはなかった。
「その結果、国はどうなりましたカ?」
「貧富の差の激しい、他国との争いに耐えない国になりました。今、兄は休戦協定に走り回っていると思います」
長兄のアミールは父を嫌っていた。即位してすぐに行ったのは各地で行われていた侵略行動の一切を中止することだった。
もちろん、中止を宣言したからと言ってそれがすぐに和平へとつながるわけではない。
それでも民を思う若い王は、今も各地に飛び回っていることだろう。
「そう。後宮のあり方が国も変えてしまうこともあります」
そこで一息ついて、舜櫂が前に座る彼の教え子たちを見渡した。
「つまり、後宮とは国を育てるものなのですヨ。王を支え、次の王を育てることで、国を育てているのです。例え子が産めなくても、王妃にしかできないことはたくさんある、ということですネェ。大変ですヨ?」
子を作ること、子を育てること、王を支えること。
それらはひいては国を育てることだと、舜櫂は言う。
はっと息を呑むソルーシュ、紅希はまだ良くわかっていない顔をして、オーランはなぜか渋い顔をしていたが、舜櫂はそれに構わず先を続けた。
「子を産める者は多いです。まぁ賢高、特に王家は子を孕みにくいので、おかげで後宮を作らざるを得なかったという経緯もありますが。国を育てることができる人というのはそう多くはないと、拙は思いますが、いかがですカ?」
最後にソルーシュを見据えた舜櫂に、ソルーシュは自分の役割を思い知らされた。
これまでずっと悩んできた、自分の価値について突きつけられて、重くのしかかる。
「ワタシができると?」
「おや? まったくやる気のなかった引きこもりの陛下を城から出した方が何をいまさら」
蒼鷹が範按に迎えに来たときのことを持ち出されてソルーシュはそれは意味が違うのではないかと、反論しようとした。
「それは――」
誂われてるのではないかと、あげた声は舜櫂の次の言葉でかき消された。
「おかげで治水工事まで。拙はこのことを知り、ソルーシュ様は王妃にふさわしい、そう思ってこの職に就いたのです。ぜひ陛下の尻を叩いてやってください」
何気ないソルーシュの言葉が蒼鷹を動かした事実が、思いのよらぬ方向で舜櫂を変えさせたのだと告げられた。
まだ迷いは晴れたわけではない、それでも自分が後宮にいて良いのだと、言われた気がした。
――早く、蒼鷹に逢いたい。
開戦してから半月。戦は長くてふたつきは掛かるだろうと言われていた。
春の到来は、嵐とともに訪れる。
院子に咲いた、真っ赤な牡丹と共に。
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