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見合い当日
しおりを挟むミュラー侯爵邸。
美しく手入れの行き届いた庭にはバラが咲き乱れ、これぞ貴族の邸宅という様相を呈していた。
本来なら片田舎の子爵令嬢が名門と言われるミュラー侯爵の見合い相手に選ばれることなど有り得ない。
侯爵の祖母ナタリアが海が美しいという理由だけで片田舎の別邸に隠居しなければ、こんなご縁はなかっただろう。
ナタリアの別邸近くにあるハンセン子爵邸。社交的で人懐っこいナタリアは子沢山で賑やかな子爵家を気に入り頻繁に行き来するようになっていた。
そこで急浮上したのが、子爵家の五女エメリと孫である侯爵との縁談だった。
子爵家の子供たちは総勢十一人。
エメリの上に兄が三人と姉が一人、下には弟が三人と妹も三人いた。
ハンセン子爵は妻一筋で愛妾を持つこともなく全員、妻のジェーンが産んだ子供達だった。しかもハンセン子爵にも弟が三人、妹が四人おり、子爵の妻ジェーンの実家も子沢山の家系であった。
三年前に離縁していた侯爵、その離縁にまつわる噂はエメリの住む片田舎にも聞こえてきていた。
美しい妻への束縛が激しく軟禁状態にしたとか、妻を親友に奪われたとか、その他諸々…他人のゴシップを楽しむのは貴族社会の通例で噂話には事実と乖離していることが多いのは確かだが、正直尻込みせずにはいられない噂だった。
しかし、一度結婚に失敗したとはいえ、王都でも屈指の名門侯爵家。
どう考えても釣り合いが取れないのではとハンセン子爵家の心配をよそに、縁談話はあっという間に進んだ。
そして今、エメリは侯爵邸の美しい庭が見渡せるテラスに座り美しい薔薇を眺めている。
目の前に座るのはジョアキン・ミュラー侯爵。
漆黒の髪に金色の瞳。
女性の様な美しい顔立ちに加えて白い肌は真珠の様な艶を放つ。
エメリがチラリと見た一瞬、ジョアキンと目が合ってしまう。
エメリは何も見ていません…といったようにスゥーっと目を逸らす。
こんな美しい男性を見たのは初めてだった。
田舎の狭い社会の中で暮らしてきたせいか、洗練された男性を見たことがないのだ。
緊張で手に汗が滲む。
ドッドっと心臓が大きな音を立てて煩い、息が上がりそうなのを必死で抑えているため、きっと鼻の穴が大きく開いているのではないだろうかと気になって仕方がない。
ジョアキンは何も見ていませんよ~という素振りで目を逸らしたエメリの様子が可笑しくなり、吹き出しそうになるのを堪えた。
この子はやっぱり猫みたいだな。
動物的な動きに興味が湧き、ジョアキンもティーカップを口元に運びながら、こちらも何も見ていませんよ~という素振りでエメリの様子を観察する。
琥珀色の紅茶を見つめているようだが、丸く大きな黒い瞳は何かを考えるように右斜め上に動いてまた紅茶を見つめ唇をキュッと固く結んだ。
二人は自己紹介をしてからというもの何も話さない。
エメリはジョアキンから話しかけられるのを待っているものの彼の寡黙な様子に戸惑っていた。
次第に自分が見合い相手としても一人前のレディとしても扱われていないのではないかと思い、侮られているのかと微かな苛立ちさえも覚えた。
しかし、ここで意地を張っても仕方ない。自分から会話の糸口を作り話し掛けるべきかと考え始めた頃、二人の様子を見かねた執事が小さく咳払いをすると、遠慮がちに庭の散策を勧めた。
「いや、いい。午後には参上せよと殿下の仰せだからな」
ジョアキンは立ち上がりエメリの横で腰を折ると、彼女の手を取り触れるか触れないかのキスを残した。
「ハンセン子爵令嬢、束の間の楽しい時間をありがとう。これにて失礼させていただく。この後はゆっくり庭を散策なさると良い」
そう言い残してスタスタと部屋を出ていった。
扉が閉まると、ジョアキンは執事に伝えた。
「彼女で構わないと、父上と母上に伝えてくれ」
ジョアキンはエメリを特に好ましいと思った訳ではない。彼女の方が自分にねっとりとした視線を向ける都会の令嬢達より幾分マシなような気がしただけだ。
所詮、子を成すための結婚だ。
多産家系だか何だか知らないが、美貌や知性、気品や爵位よりは役に立つかもしれない。
ただそれだけだった。
エメリは馬車の中で憮然とした表情のまま前を向いていた。
馬車で丸二日かかる道程を帰らなければならない。
侯爵が去った後、残されたエメリは悲惨な状態だったのは言うまでもない。
給仕の為控えていた侍女の目が泳ぎ、子爵家から同行した侍女には居た堪れない視線を向けられた。
侯爵邸で宿泊の為の客室を用意してくれていたが…到底、泊まれるような状況でもない。
丁重に断り逃げるように侯爵邸を後にした。
「きっと、ダメだったのよね……一言も喋れないなんて。でも、いくら私を気に入らなかったとしても、あの態度はないわよね。大人気ないし紳士的ではなかったわ!最後の挨拶を除いては……」
自分の手に優雅な仕草でキスを残したジョアキンの様子を思い出す。
女性でも嫉妬するくらいの整った美しい顔立ちは冴え冴えとした美しさで、他の者を近寄らせない雰囲気があった。
ツンと澄ました様子はお高く留まっているようにも見えた。
それに加えて一向に自分からは話しかけないという姿勢も高慢な雰囲気を一層高めていた。
せっかく綺麗に結い上げてもらった髪が崩れるのも構わずガシガシと頭を掻いた。
縁談なんて初めてだったが、今日の二人のやりとりが円満でなかったことだけはハッキリとわかる。
そう、この縁談は明らかに失敗だった。
近日中に侯爵家から正式にお断りがあるだろう。
エメリは馬車の窓から流れる風景をただ呆然と見つめた。
それから一週間も経たないうちに侯爵邸からの使者がやって来て正式な結婚の申し込みがなされた時にはエメリをはじめ状況を聞いていた家族全員が目を丸くした。
そして侯爵家は驚くべき速さで結婚準備を推し進め一か月後には結婚式当日を迎えた。
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