神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第二巻『[人間]の業は 人の傲慢で 贖われる。』(RoGD Ch.3)

Verse 3-6

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 数時間経ってもジークフリートは戻らず、ジャンは永遠と別の同僚への挨拶と零の紹介で暇を潰した。どういうわけか、協力する筈の零はなにも話そうとせず、ジャンにされるがまま偽の微笑みを作り続けるだけである。

「ちょっとトイレ。」

「あ、場所分かる?」

 慌てて腰を浮かしたジャンに、零は曖昧な微笑みを浮かべてその場から立ち去った。すっかり定位置に落ち着き始めた参加者達のおかげで、先程よりもずっと移動しやすくなったホール内を縫って歩く。意識的に歩けば、一発で間取り図を頭に思い描く事が出来る。ふらふらと、散歩している体を繕って零は目的の影を探した。

「そうか。じゃあ今日も夜勤か?」

「あぁ、面倒な事にな。」

 話を盗み聞きしながら、零は微笑む。近くにあったオードブルを眺めながら、陶磁器の小さな皿を手に取った。

「折角だから飲みにでも行こうかと……ぁ。」

 孔雀色の瞳に自らの姿が映ると、零もその声に気付いたかのように振り返った。

「こんばんは。」

 その微笑みを見て恥ずかしそうに微笑み返すジークフリートよりも、零は向かい合って話していた男を見た。

「閣下、そちらの方は?」

「あぁ。僕の幼馴染、SSの国家保安部に勤めるルプレヒト・ヴァルツァーですよ。」

 紹介を受けたルプレヒトは、いつもより若干ぎこちなく右腕を上げて敬礼した。

「初めまして、悠樹零と申します。お見知り置きを。」

 差し出された手を、ルプレヒトはゆっくりと握り返した。

「ジャ、ハンス閣下と挨拶帰りを待っていたのですが、なかなか現れないもので食事を取りに来たところでした。よろしければルプレヒトさんも一緒に——」

「俺は……、自分は仕事があります。」

 それは残念、と眉を下げる零の手がルプレヒトの手中からすり抜ける。

「それは失礼を。じゃあ、僕は戻るよルプレヒト。」

 手短な返事とともにそそくさと人混みに姿を消したルプレヒトに、ジークフリートは怪訝そうに片眉を上げる。

「珍しく慌ただしかったな……。」

「分かるんですか?」

 また一枚皿を取って、零はジークフリートに渡した。まじまじと不思議そうに見つめ返すジークフリートに、零は微笑んだまま言った。

「長らく待たせましたから、ハンス閣下にもなにか持っていきませんと。」



 戻った頃には、ジャンはすっかり退屈に支配されていた。長々と橙色に照らし上げられた天井を眺めていたが、その視界に漸く変化が訪れた。

「お待たせ。」

 差し出された食器の上には、いかにも美味しそうなブルーチーズや生ハム、小さなキッシュなどが所狭しと並べられていた。品のいい人間から見れば顔をしかめるほどの欲深さの表れである。

「うわーめっちゃうまそう。お腹減ってきた。」

 零から皿を受け取って、ジャンはソファーでへたっていた体を正した。

「てかジークフリート、随分遅かったね?」

「あぁ、途中でルプレヒトに会って話し込んでた。すまないな。」

 ジャンの向かい側にある一人用のソファーに座り、ジークフリートも自ら持ってきたオードブルに口をつけた。

「お父上は軍人だと聞いておりますが、零殿はどちらにお勤めなのですか?」

「あぁ、俺は今年から外務省に勤務してます。父と同じく陸士に入ったんですが、あまり性に合わなくてですね。」

 ははは、と後頭部を掻きながら零は笑う。

「えっじゃあ陸士を中退してわざわざ大学に?」

「異例コースだと思ってらっしゃるでしょうが、まさにその通りです。父の協力のもと、無事昨年に修了過程を終えまして。」

 ジークフリートとジャンは、感慨深いため息をついた。

「しかし、陸士はエリートコースなのに、何故中退するような事を?」

「あー……いや、ほら。陸士って男ばかりでしょう? 俺はあまりガタイが良くないので、まぁ……。」

 陰湿ないじめが、はたまた強姦か、と眉を寄せて俯くジークフリートに対して、その向かいに座っていたジャンは一瞬で、零が一体なにについて言っているか察しがついた。陸士というのは、恐らく誤魔化しである。

「相手の首謀者が超絶嫌味な奴で。……いや、その後そこまで悪い奴ではなかったのを知ったのですがね。と先程までハンス閣下とお話ししておりまして。」

「そうですね……。」

 先程まで話すもなにも、ジャンはその事件の全貌をよく知っていた。彼の耳についている無線機を通して話を聞いているフィリップ二世は、ジャンよりも良く知っているだろう。

『レイだな。』

(レイだよね……。)

 正しく、レイとジークフリートの恋の始まりの事件であった。

 * * *

 月の高い夜。数人の隊員を連れて、男はそのアパートメントの戸を激しく叩いた。

「遅いですね。」

「はやるな。」

 せかせかと落ち着きのない部下を激励して、ルプレヒトはもう一度激しくドアを叩く。先程、ベルを三度鳴らしても管理人が出る気配はなかった。

「……もう一度、戸を叩いて一分以内に誰も出てこなければ蹴破って突撃しろ。まだ部屋に入るなよ、管理人に話をつける。」

「はっ、了解致しました!」

 急いで準備を整えにいった副官の足音を聞きながら、ルプレヒトはもう一度戸を叩いた。最早、部隊が突撃するまでもなく蹴破りそうな勢いである。部下が出す指示以外、アパートの中はもぬけの殻かと思う程に静かであった。いつの間にか、ルプレヒトの後ろにはある程度の武装を整えた隊列が、一分が過ぎるのをまだかまだかと待っていた。腕時計の秒針音でさえ耳に届くような静寂を、副官の号令が切り裂いた。アパートメントの中から響く、男の怒声や女の悲鳴、子供の金切り声は、ルプレヒトが意識が遠くなるほどの長い間聞き続けてきたものと同じだ。

「誰だ、貴様!」

 しかしその日は、いつもと違った。前から聞こえてくる筈の隊員の怒声は、なぜかルプレヒトの背から十数歩ほど離れた向かい側の歩道から聞こえたのだ。怪訝そうに眉を寄せて、ルプレヒトはゆっくりと上体だけを後ろに向けた。

「お前、枢軸国の人間か!? なぜこんな時間に出歩いている!」

 まさに部下の言う通りである。来賓客用のダンスパーティは既にお開きになっている時間である上に、パーティ会場からも指定ホテルからも、ルプレヒトが今いる場所はそれなりに距離がある。

「隊長、不審人物を見つけました!」

「今行く。」

 やれやれ、と頭を振りながら、ルプレヒトは面倒な事になった、とただそう思って報告をした部下の方へ歩いていく。しかし、その月明かりに浮かび上がる影を、ルプレヒトが忘れる筈もないのだ。近付くにつれて、その繊細な体の細さと、夜でもしっかりと分かる赤い唇を見て、ルプレヒトは少し距離を置いて立ち止まった。

「あ、さっきのパーティの方! いや、すみません。慣れない土地で眠れなかったので夜風に当たろうと散歩していましたら、まあ土地勘がないせいで迷ってしまいまして。」

「隊長、お知り合いですか?」

 口を開ける事も頷く事もなく、ルプレヒトは蝿を払うように片手を動かして、両端にいた部下にアパートメントの支援を命じた。短く会釈して軍靴を鳴らしながら部下がいなくなると、ルプレヒトはいからせていた肩を落としてため息をついた。

「零……本当に、お前なのか。」

「じゃなかったらここに来ると思うか?」

 道化のようにおどけた雰囲気は消え去って、ルプレヒトの目の前には知った通りの青年の姿があった。

「話は今度聞く。今は仕事だ。部下に言って送っ——」

「いいよ、土地勘ならある。さして変わってない。」

 会いに来ただけだよ、と微笑む零に対して、ルプレヒトは制帽をかぶり直した。

「……そうか、気を付けて帰れ。」

 既に背を向けて来た道を行く零は、ルプレヒトに対して振り返らずにひらひらと手を振った。

「あ、あの。隊長、あの人は……。」

「今日のパーティでジークフリート閣下に紹介された。どうやら、ホテルから地図を持ってくるのを忘れたようだ。」

 道理でこんな辺ぴなとこまで、と部下が頷くのを見て、ルプレヒトは再びアパートへ向かった。

「気を引き締めろ。あっちはどうなった。」

 ショックで緩んでいた唇を引き締め、ルプレヒトはいつもの職務中の表情に戻った。隊員も一度敬礼をして踵を鳴らす。

「は、申し訳ありません! 先程副官殿が管理人へ話をつけて踏み入りました。今のところ、床裏にアカの本を隠していた部屋が一室見つかっています!」

「ではその部屋の居住者は逮捕しろ。引き続き調査し、なにも出なかった場合は明日に事情聴取をする。」

 了解しました、と駆けていく部下の背中を、ルプレヒトはなにも考える事が出来ずに見つめていた。
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