神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 2-54

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 零の自転車を見つけて、危うく理恵はそれを注視し過ぎて攻撃にぶつかるところだった。慌てて自分の自転車を飛び降りて、間一髪でそれを避ける。

「貴女……、零に付きまとってた人ね。」

「こんばんは。貴女にも会えるなんて、思ってませんでした。」

 綾子がさする首元にはしっかりと銀の首飾りがはめられていた。理恵は薙刀の刃を彼女に突きつける。

「一体零になにをしたの。」

「さあ、私はなにもしていませんから。」

 理恵の足元が突然円を描いた銀色に輝いた。慌ててその場から離れたが、一瞬だけ触れてしまった髪の毛が焦げ付いたのを見やる。

「貴女達はやっぱり普通じゃないわ。聞いている魔術師ではこんな事……私達に実害を及ぼすなんて無理だもの。」

 もう一つ聞くわ、と理恵は薙刀を振りかぶる。

「貴女達は、一体何?」

 頭を取る気でいたが、薙刀は綾子の首元を擦るに留まった。

「さあ。」

 にたり、と綾子は今まで見た事もないような粘ついた微笑みを浮かべた。

「お答えしかねます。」

 理恵の目の前を、ナイフが縦に一閃した。



 頚動脈をやられれば、頚動脈とその周囲の神経や筋肉だけを修復し、喉元をかき切られれば、その全てを修復した。致命傷となりうる傷の極限だけを修復していたが、零の体も限界すれすれに来ていた、何度その越権行為で血を吐き出したか分からない。

「そろそろ私の軽い一撃でも腕が痺れてきるのでは?」

 生命活動が極限まで抑えられるようになってきていた。爪先も指先も、最早感覚がなくなる程に体温を失っていた。赤かった唇には色などない。そこを彩っているのは、吐き出し続けている血液だけだ。喉から歪な空気の通る音が聞こえる。酸素はそれを求める左胸に行くばかりで、最早脳に行く事をしなかった。明宏の言っている簡単な言葉さえ意を解せない。

(まだだ、まだ……。)

 ただそれだけを繰り返して、零は刀を構えた。

「零!」

 遠くから女の叫び声が聞こえた。声を認識したが、だれの言葉か分からない。向かってきた刃を受け止めて弾き返す。だれの攻撃が分からない。

「零、駄目! 貴方、自分の体がなんなのか分かってるの!?」

 急所を突かれる、それは認識出来たが、どう避ければいいか今の頭には皆目見当がつかなかった。体の横から生暖かいなにかがぶつかる。

「っ……!」

 理恵が庇って入ってきたが、理恵は受け身を取れずにそのまま後ろに吹き飛ばされる。

「綾子。」

「私の力不足です、お兄様。」

 何度かステップを踏んで、理恵は地面に足をついて漸く立った。瞬間、足元に淡く輝く金色の丸が現れた。

(まずい……!)

「理恵はん!」

 地面を見て青い瞳を見開いた瞬間、横に引き摺り出された。間一髪で、靴の側面が少しだけ焦げるに止まる。

「逸叡さん!?」

「間に合った~……。心臓に悪いわぁ。」

 理恵を下ろして、逸叡はダークブラウンのジャケットを脱いで理恵に着せた。

「ずたずたやありまへんか服が。」

「仕方ないでしょ……!」

 焦りながら薙刀を持ち直し、理恵は零の姿を探した。刀を地面に突き立てて、片膝が地面すれすれまで落ちていた。

「あかんやろあれ!」

「だから私がここにいるのよ!」

 駆け出したが、零が地面を蹴ったほうが先だった。ありあまる殺気を察して理恵は立ち竦む。地面の下の[回路]が一瞬だけ枯渇したのが分かった。

「待って、零! 駄目よ!」

 既に理恵の目には一目瞭然だった。[人間]の状態である零の体は、自身の体で[燃料]を生成出来ない。体の傷を部分的にでも瞬時に治すには、自然に流れている[燃料]を吸い上げる必要があった。しかし吸い上げられる量にも限度がある。零の場合はそれを軽く越して肉体が完全にガタを迎えていた。

「[燃料]の吸い上げをやめたらもう動けへんやろ……。」

「動かなくなったほうがまだマシよ! 早く止めないと!」

 言葉を理解出来ていないのなら力付くでも止めるしか方法はない。逸叡は零から目を離した。

「あの女の相手はわいがしますさかい。」

「頼むわ。」

 振り返ってまず一発、逸叡はいつの間にか手の中にあった長弓で矢を的確に放った。

「あれまあ。」

 しかし、微笑む綾子の額に着く前に一瞬にして霧散する。

「無駄ですよ。」

 傷つく度に修復を続ける零を止めに行った理恵も、あと一歩のところで金の丸に阻まれて指先さえ届かなかった。

「くそっ!」

 やはりあの女を、と理恵は逸叡の背中に体を向けた。

「一瞬で片付けましょう。」

 一瞬で跳躍すると、逸叡が矢を番えたその肩に軽く飛び乗る。薙刀を斜めに構える理恵の黒髪が月夜に広がった。

「えぇよ。」

 その肩を蹴って、理恵は綾子の目の前に降り立った。

「何度やっても無理だと言ってますのに。」

「私はそうでも、あっちはどうかしら。」

 降り立ちざまに薙刀を縦に一閃する。確かに、その刃は綾子に届かない。しかし、腰を落とした理恵の頭の上すれすれを、逸叡の矢が通った。

「っ!」

「認識出来なければ消す事なんて無理よ。」

 矢は霧散したが、理恵は慢心せずに薙刀を振り上げていた。綾子は再びナイフで理恵の応戦を始める。理恵の体の隙間から綾子の体が見える度に、逸叡は的確にそこを狙い射る。

「矢ならいくらでもありますえ。」

 ぼそりと呟いて、逸叡は再び矢を射る。当たりはしないが、確実に追い詰めていた。ふと気を張っていたところに、気配が引っ掛かった。背後で刃を交える零と明宏に、もう一つ気配が増えた気がした。一瞬だけ振り返るが、なにもいない。

(……気のせいやろか。)

 再び弦を引こうとして、逸叡は理恵もまた目を見開いてこちら側を見ていたのに気付いて腕の力を抜く。

「あれは……!」

 綾子のナイフも、最早理恵を貫く事さえ忘れて同じ方向を見ていた。

「お兄様! 下がって!」

 今まさに、零の首を切り落とそうと振り上げた明宏の腕は、確かに軽々と太刀によって受け止められた。

「もういいよ、零。」

 腰を落として、ただ殺す事だけを見ていた零の瞳に、黒い手が覆い被さる。噛み締められていた歯が薄く開き、とめどない赤黒い血液が流れ出る。

「もう休みなさい。お前は十分過ぎるほどに戦ったよ。」

「お前は……!」

 零の体が崩れ落ちると共に、明宏の攻撃を受け止めた太刀から強烈な薔薇の蛇眼が覗いた。

「まあよくもここまでしてくれたね。私の大切なものに。」

 零を片腕で抱きかかえ、その黒いスーツの男は刀を跳ね返した。

「バスカ……ヴィル。」

 重さを感じさせない足取りで、バスカヴィルは零を持ち上げて体にもたれさせた。最早意識はない。

「まだ戦うかね。残念ながら私は現在絶賛職務放棄中なので手っ取り早く頼もうか。」

 明宏は歯噛みした。目の前に男に、一度ならず二度も三度もしてやられた。今回の計画も、バスカヴィルさえいなければ全て成功した筈だった。

(一矢だけでも報いねば。)

 刀を構え、明宏は走り出した。バスカヴィルはそれがあまりに滑稽で、思わず声漏らして笑う。

「遅い。」

 繰り出された攻撃のほんの序盤、コンマの乱れもなく明宏の攻撃を悠々と跳ね返す。その動きさえまるで一種の殺戮の美しさがあった。

「私に刃向かうなど光年単位で早い。計算するのも面倒臭い程度に。」

 片手で太刀を振り上げて、明宏の攻撃を跳ね返してはその皮膚を切り裂く。零の顔は乱れを知らない。バスカヴィルの左腕で、ただ眠りにふけっている。その場違いなあどけない顔を覗いて微笑みながら、バスカヴィルは眼前の上からきた剣戟を上に跳ね返す。

「では、これで終いだ。」

 その微笑みに殺意の一切はなかった。ただ、動物一匹をあやすような微笑みが、明宏に向けられた。

「お兄様!」

 背後から迫ってきたナイフも振り向かずに打ち返して、バスカヴィルはそのまま腕を明宏の首元に振り下ろしかけた。刹那、脇腹を一瞬にして輝くなにかが通り過ぎた。

「……悪運の強い。」

 刀は振り下げられなかった。その必要はないと、バスカヴィルが判断したのだ。黒い髪を宵闇になびかせて振り返れば、綾子の白いコートの上に、確かにナイフが突き刺さっていた。綾子は左胸に手を当てて、その血を見ると、両膝から地面に倒れた。

「こ、れは……、お父……様、——」

 太刀を明宏の首元に当て、バスカヴィルは地面に崩折れている明宏の姿を見下げた。

「まだやるかね? 今なら見逃してやろう。」

「どういう、風の吹き回しだ……。」

 褐色に浮かぶ金色の瞳を見て、バスカヴィルは微笑みが失せた。

「つけあがるな。お前の命などいつでも取れると言っている。お前ではない、この子の為のだ。」

 寒空の下、その表情は、冬の凍てつくような風がまるでバスカヴィルの感情という感情を吹き飛ばしてしまったかのようだった。その表情筋の一切は永遠に動かないと思えるほど、その顔は氷の仮面のようで、そしてなにより、非の打ち所のない完璧な美であった。明宏は惨敗だとばかりに首を垂れた。

「ならば一刻も早く失せろ。」

 言うや否や、一つの女の死体と男の姿はその場から薄くなり、やがて消えた。もう二度と戻ってこない事を確認して、バスカヴィルは刀を収める。

「零……少しだけその肉体に猶予を与えよう。」

 バスカヴィルは、理恵と逸叡が駆け寄ろうとしてくるのを目で諭した。二人の動きが再び止まると、零を下ろして塀を背もたれに座らせた。

「暫くしたら良くなっているよ。けれどそれは……一瞬の安寧に過ぎない。」

 血で固まった髪の毛をそっと避けて、その色のない頬を撫でる。

「おやすみ、零。良い泡沫を。」

 その額にそっと、優しい口付けを施して、バスカヴィルはもう一度頬を撫でた。

「そして、……遅くなったけれどお前の愛路の門出に祝福を。」

 頬からするりと手を抜いて、バスカヴィルは一瞬でその場から消えた。

 * * *
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