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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 3-8
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その日は、アレクセイの要望で外に出た。ここ暫くは珍しく吹雪く事もなく、ロマノフ邸のゴーレム達の日々の努力によりすっかり屋敷の庭の雪掻きが終わっていた。
「グリゴーリーはどんな人でしたか?」
芝生の上にレジャーシートを引き、零はアレクセイと共にサンドイッチを頬張った。
「やっぱりグリゴーリー神父に興味があるんですね。」
微笑んで、アレクセイはサーモンとディルのサンドイッチを飲み込んだ。
「彼は皆が言っているような人ではなかったです。少なくとも敬虔でした。そして何より自分の信じるものに誠実な人でした。」
「やはり好色で酒飲みという人物像は巷で一人歩きしているんですか……?」
一緒に持ってきた魔法瓶の中には、暖かいオニオンスープが入っていた。バスケットに入れていたチーズを削り、皿の中にたっぷり浸した。
「死ぬ間際は酒飲みだったのは間違いないですよ。でも好色はどうでしょう……。グリーシャの女性関係は、僕にはよく分かりません。あの人は……一定の基準を設けて女性を選んでいた、とアンナは言っていましたし。」
耳慣れない名前を聞いて、零は片眉を上げた。いかに太陽が出ていようとも、ロシアの大地にその暖かさが届く事はない。吹きさすぶ寒風に対して、零は分厚いコートを掻き合せる。
「アンナは母の、一番仲が良い侍女でした。それ故にグリーシャとも仲が良かったです。」
「成程……。」
赤くなった鼻を手で温めて、ぬるくなったスープを一気に飲み干す。
「あの、零さんはグリーシャを……どうなさるんですか?」
逆光で、アレクセイからは零の表情はよく見えなかった。
「殺しませんよ。あいつに敵対心はなさそうですから。」
足元にテニスボールが転がってくる。跳ねてきた方向を見れば、アナスタシアが手を振っていた。
「こんな寒いのによくテニスを……。」
「姉さんは凄く元気なので……。」
テニスボールを拾うと、零は思い切りアナスタシアの方向に投げた。しかし、彼が思っているよりもボールは飛ばずに、三メートルくらいの位置で地面に落ちてしまった。
「……。」
ボールを投げた自分の手を見て、次に零は走ってきたアナスタシアに目を向ける。
「も~、投げないで走って持ってきてくればいいのに。」
「あ、あぁ。」
まさかボールがそんなに飛ばないとは思わなかった。零は思わず自分の左胸に手をやった。
(生きた心地がしないな。)
僅かに痙攣した手で拳を作って、零はレジャーシートに戻った。アレクセイがチキンとレタスのサンドイッチを頬張っている。
「零さんは、ここでの生活は慣れましたか?」
「まあ、それなりに。」
フェリクスの屋敷に来て、既に半月程が過ぎていた。その間、零はアレクセイと図書館や温室で話す日々を送っている。他愛のない日常、それが零にとってどれだけ染みいるものだっただろうか。
「そういえば殿下。俺と会った時に薬学の本を読んでらっしゃいましたが、一体誰の影響で?」
十中八九グリゴーリーの名前が出るものだと思って、零は尋ねた。アレクセイは不治の病である血友病に、生前ずっと悩まされていた、それを唯一、一時的にでも治す事が出来たのがグリゴーリーという男だ。一体グリゴーリーがどんな技を使って血友病を治癒したのかは未だに分かっていない。ニコライ二世も、アレクサンドラも、アレクセイ当人も知らない。
「えっとそれは……父の友人で。」
「友人……?」
恥ずかしげに頷き、アレクセイはぼそぼそと呟いた。
「アルフレッドって人なんですけど……。」
「……アルフレッド・オードリーってハーバードで教授やってるFBI捜査官の医者が俺の友人にもいるんですけど。」
はい、と小さい声でアレクセイは頷いた。
「最近はお忙しそうなので会っていないんですが、ついこの間までこの屋敷で医学を教えてもらってました。」
まさに同一人物であった。こんなところで間接的な関係があるとは、と零は改めてニコライ二世の交友関係の深さに感嘆の息を吐いた。
「教えるのは上手かったですか? あいつ。」
「はい、とっても! 僕は小さいからって父には銃も握らせてもらえなくて……。そりゃ、生前は嗜みとして習ってましたけれども、こっちに来てからはめっきりなんです。だから、だからせめて、なにかの役に立ちたいと思ってたんです。元々医療に興味はありましたが、調べてみるとあの世界は本当に広くて。図書館で薬草の本を読んでたら声をかけられてですね……。」
これは、と零は苦笑した。アレクセイはどうやらアルフレッドに憧れを抱いているようだった。
「アルは……出来た人間ですよ、本当に。医者としても一人の人間としても素晴らしい人格者だ。」
「父も、アルフレッドさんとは凄く仲が良くて同じような事を言ってました。父は毎年、カソリックのクリスマスにアメリカにあるアルフレッドさんの家で過ごしているのですが、とても楽しんでるようで。」
零は少し驚いた。あの二人がそこまで親睦を深めているとは知らなかった。
「プレゼントはいつも毛糸のセーターやミトンを貰ってるみたいで。」
「かなり仲が良いんですね。」
再びアレクセイは、はい、と元気に頷いた。次に手を伸ばしたのはパストラミビーフとカマンベールを野菜とともに挟み込んだクロワッサンサンドだった。
「美味しいですか?」
「はい。とっても!」
バスケットの中のサンドウィッチは、アレクサンドラ皇后が手ずから作ってくれたものだ。零はまだ面識がないが、アレクセイが今日ピクニックをすると言ったお陰で作ってきてくれたという。元気に答えるアレクセイが眩しくて、零は少し目を細めた。
ピクニックを終えて、零はアレクセイをゴーレムに預けてロマノフ邸のキッチンで食器を洗っていた。アレクセイとの日々はとても楽しい。だが、彼と一日中一緒にいるとやはり自分と向き合う時間がどんどんと減っていく。
(疲れた……。)
使ったバスケットの中を拭きながら、隣で水につけっぱなしの魔法瓶を見る。楽しさとは裏腹に、一日が終わる頃には風呂に入る為に運ぶ足さえ重かった。アレクセイは確かにインドアだ。外に出ても今日のようにただ座って話したり、図書館や温室でずっと本を読んだり話したりするだけだ。それでも、今の零にとって人とのコミュニケーションはあまりに体力を削るものだった。
(今日はもう帰ろう。)
肺が痛くなって、思わず噎せる。手のひらに生暖かいどろりとした液体が流れ出た。その手のひらを見もせずに、零は水道水でそれを流した。
(また血か……。)
ここ最近になって何回目の吐血か分からない。水と混ざって流されていく血液はもう飽きる程見た。
* * *
意識が浮上すると、耳には窓ガラスが激しく震える音が飛び込んでいた。零は外の光から目を庇うように薄く瞼を開いて外を見た。
「今日は吹雪か……。」
『そのようです。』
敷地内にいるゴーレムはとても口達者だった。独り言のような言葉を紡いでも、機敏に反応してくる。どうやら昨夜閉めたカーテンは、指定された時間にゴーレムが開けたようだった。分厚い布地をタッセルでまとめ、修道士のような白いフードローブを引きずって零の枕元で膝をついた。
『フェリクス様から、外出召されるな、とのお達しです。』
重く長いため息を鼻から吐き出して、零はゴーレムのフードから目を逸らして再び外を見た。例え自分の体が元気でも、このような天候では出歩こうとは思えない。
「殿下には?」
『他のゴーレムが伝えに行きました。』
ご安心を、とばかりにゴーレムは頭を恭しく下げた。零はもう一度薄くため息を吐いてベッドの布団を剥ぎ取った。
「グリゴーリーはどんな人でしたか?」
芝生の上にレジャーシートを引き、零はアレクセイと共にサンドイッチを頬張った。
「やっぱりグリゴーリー神父に興味があるんですね。」
微笑んで、アレクセイはサーモンとディルのサンドイッチを飲み込んだ。
「彼は皆が言っているような人ではなかったです。少なくとも敬虔でした。そして何より自分の信じるものに誠実な人でした。」
「やはり好色で酒飲みという人物像は巷で一人歩きしているんですか……?」
一緒に持ってきた魔法瓶の中には、暖かいオニオンスープが入っていた。バスケットに入れていたチーズを削り、皿の中にたっぷり浸した。
「死ぬ間際は酒飲みだったのは間違いないですよ。でも好色はどうでしょう……。グリーシャの女性関係は、僕にはよく分かりません。あの人は……一定の基準を設けて女性を選んでいた、とアンナは言っていましたし。」
耳慣れない名前を聞いて、零は片眉を上げた。いかに太陽が出ていようとも、ロシアの大地にその暖かさが届く事はない。吹きさすぶ寒風に対して、零は分厚いコートを掻き合せる。
「アンナは母の、一番仲が良い侍女でした。それ故にグリーシャとも仲が良かったです。」
「成程……。」
赤くなった鼻を手で温めて、ぬるくなったスープを一気に飲み干す。
「あの、零さんはグリーシャを……どうなさるんですか?」
逆光で、アレクセイからは零の表情はよく見えなかった。
「殺しませんよ。あいつに敵対心はなさそうですから。」
足元にテニスボールが転がってくる。跳ねてきた方向を見れば、アナスタシアが手を振っていた。
「こんな寒いのによくテニスを……。」
「姉さんは凄く元気なので……。」
テニスボールを拾うと、零は思い切りアナスタシアの方向に投げた。しかし、彼が思っているよりもボールは飛ばずに、三メートルくらいの位置で地面に落ちてしまった。
「……。」
ボールを投げた自分の手を見て、次に零は走ってきたアナスタシアに目を向ける。
「も~、投げないで走って持ってきてくればいいのに。」
「あ、あぁ。」
まさかボールがそんなに飛ばないとは思わなかった。零は思わず自分の左胸に手をやった。
(生きた心地がしないな。)
僅かに痙攣した手で拳を作って、零はレジャーシートに戻った。アレクセイがチキンとレタスのサンドイッチを頬張っている。
「零さんは、ここでの生活は慣れましたか?」
「まあ、それなりに。」
フェリクスの屋敷に来て、既に半月程が過ぎていた。その間、零はアレクセイと図書館や温室で話す日々を送っている。他愛のない日常、それが零にとってどれだけ染みいるものだっただろうか。
「そういえば殿下。俺と会った時に薬学の本を読んでらっしゃいましたが、一体誰の影響で?」
十中八九グリゴーリーの名前が出るものだと思って、零は尋ねた。アレクセイは不治の病である血友病に、生前ずっと悩まされていた、それを唯一、一時的にでも治す事が出来たのがグリゴーリーという男だ。一体グリゴーリーがどんな技を使って血友病を治癒したのかは未だに分かっていない。ニコライ二世も、アレクサンドラも、アレクセイ当人も知らない。
「えっとそれは……父の友人で。」
「友人……?」
恥ずかしげに頷き、アレクセイはぼそぼそと呟いた。
「アルフレッドって人なんですけど……。」
「……アルフレッド・オードリーってハーバードで教授やってるFBI捜査官の医者が俺の友人にもいるんですけど。」
はい、と小さい声でアレクセイは頷いた。
「最近はお忙しそうなので会っていないんですが、ついこの間までこの屋敷で医学を教えてもらってました。」
まさに同一人物であった。こんなところで間接的な関係があるとは、と零は改めてニコライ二世の交友関係の深さに感嘆の息を吐いた。
「教えるのは上手かったですか? あいつ。」
「はい、とっても! 僕は小さいからって父には銃も握らせてもらえなくて……。そりゃ、生前は嗜みとして習ってましたけれども、こっちに来てからはめっきりなんです。だから、だからせめて、なにかの役に立ちたいと思ってたんです。元々医療に興味はありましたが、調べてみるとあの世界は本当に広くて。図書館で薬草の本を読んでたら声をかけられてですね……。」
これは、と零は苦笑した。アレクセイはどうやらアルフレッドに憧れを抱いているようだった。
「アルは……出来た人間ですよ、本当に。医者としても一人の人間としても素晴らしい人格者だ。」
「父も、アルフレッドさんとは凄く仲が良くて同じような事を言ってました。父は毎年、カソリックのクリスマスにアメリカにあるアルフレッドさんの家で過ごしているのですが、とても楽しんでるようで。」
零は少し驚いた。あの二人がそこまで親睦を深めているとは知らなかった。
「プレゼントはいつも毛糸のセーターやミトンを貰ってるみたいで。」
「かなり仲が良いんですね。」
再びアレクセイは、はい、と元気に頷いた。次に手を伸ばしたのはパストラミビーフとカマンベールを野菜とともに挟み込んだクロワッサンサンドだった。
「美味しいですか?」
「はい。とっても!」
バスケットの中のサンドウィッチは、アレクサンドラ皇后が手ずから作ってくれたものだ。零はまだ面識がないが、アレクセイが今日ピクニックをすると言ったお陰で作ってきてくれたという。元気に答えるアレクセイが眩しくて、零は少し目を細めた。
ピクニックを終えて、零はアレクセイをゴーレムに預けてロマノフ邸のキッチンで食器を洗っていた。アレクセイとの日々はとても楽しい。だが、彼と一日中一緒にいるとやはり自分と向き合う時間がどんどんと減っていく。
(疲れた……。)
使ったバスケットの中を拭きながら、隣で水につけっぱなしの魔法瓶を見る。楽しさとは裏腹に、一日が終わる頃には風呂に入る為に運ぶ足さえ重かった。アレクセイは確かにインドアだ。外に出ても今日のようにただ座って話したり、図書館や温室でずっと本を読んだり話したりするだけだ。それでも、今の零にとって人とのコミュニケーションはあまりに体力を削るものだった。
(今日はもう帰ろう。)
肺が痛くなって、思わず噎せる。手のひらに生暖かいどろりとした液体が流れ出た。その手のひらを見もせずに、零は水道水でそれを流した。
(また血か……。)
ここ最近になって何回目の吐血か分からない。水と混ざって流されていく血液はもう飽きる程見た。
* * *
意識が浮上すると、耳には窓ガラスが激しく震える音が飛び込んでいた。零は外の光から目を庇うように薄く瞼を開いて外を見た。
「今日は吹雪か……。」
『そのようです。』
敷地内にいるゴーレムはとても口達者だった。独り言のような言葉を紡いでも、機敏に反応してくる。どうやら昨夜閉めたカーテンは、指定された時間にゴーレムが開けたようだった。分厚い布地をタッセルでまとめ、修道士のような白いフードローブを引きずって零の枕元で膝をついた。
『フェリクス様から、外出召されるな、とのお達しです。』
重く長いため息を鼻から吐き出して、零はゴーレムのフードから目を逸らして再び外を見た。例え自分の体が元気でも、このような天候では出歩こうとは思えない。
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