神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 3-5

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 夕方、ロベルトの執務室に忍び込み、アーサーは書類を漁っていた。というのも、近頃アーサーにとって、レイが少々不審な動きを見せていたからだ。ほぼ常に本部に泊まって書類を片付けていたレイが、残っている書類もそのままに遅くとも夕方には退勤していたからである。

(ドイツ自治軍の動向報告……これじゃねぇな。)

 執務机に生真面目に積み上げられた書類を無造作に漁り、アーサーは一つの、自分の知らない情報を見つけた。

(祭司長メアリーに関して?)

 前代の祭司長に関して事細かに書かれた昔の書類にアーサーは目を通す。そこには、彼女がいかなる罪を犯したか、そのようにして裁かれたか、どこに追放されたかが長々と書かれていた。

(なんで今更こんな書類を? 俺らがまだ随分幼い頃の話で、しかも解決したはずじゃ)

「中佐、なにをしている。」

 音もなく入ってきたロベルトを振り返り、アーサーは素早く書類を机に滑り込ませた。文章は全て暗記した。あとは理解をするだけである。

「あーいや、リーズが書類分別の時に、補佐官の書類を俺の所に入れちまってて……。」

「それにしてはよくまじまじと読んでいたな。その手に持っている書類を見せろ。」

 ロベルトが差し出した手の上に、アーサーは察されないようにすっと紙を差し出した。

「ドイツ軍の動向報告。ふん……またつまらない書類を読んでいたな。さっさと出ていけ。さもなくば国家反逆罪で即日銃殺するぞ。」

 紙を放り出して、ロベルトはアーサーと机の間に割って入る。降参、とばかりに両手を挙げて、アーサーは首を振った。

「へーへー。そうさせて貰いますよ、鬼補佐官。」

 アーサーが出ていくと、ロベルトがその背後で荒々しく扉を閉めた。



 少将執務室でゆったりとコーヒーを飲んでいたジークフリートは、思わぬ来客を受けた。バスカヴィルである。

「おやおや少将、こんな時間にコーヒーかい?」

 音なく戸口に立った不気味な声を、ジークフリートは思わず嫌悪感剥き出しの鋭い瞳で見つめた。ソファーからぐるりと首を回すと、元帥は相変わらず気味の悪いほど愛想のいい柔和な笑みを浮かべている。

「少し、休憩を……すぐに仕事に戻りますので。」

「いや、別にゆっくりしてくれて構わないよ。私は君にこれを渡しに来ただけだからね。」

 ぴらり、と一枚の紙を渡され、ジークフリートは訝しげにそれを受け取り、瞳を落とした。バスカヴィルの美しい筆跡で、まるでそれだけで芸術品のような文字が連なっている。

「本の回収。最後の一冊は、是非少将にと思ってね。」

 バスカヴィルの笑みが深くなったのに必死に目を逸らしながら、ジークフリートはその長々と連ねられた文章を読んだ。任務地はフランス、ヴェルサイユ宮殿。分家が紛失した数多くの書の最後の一つの回収についての書類である。

「僭越ながら閣下……自分のような人間が行くにはあまりに不相応かと……。」

 たかが本一冊、少将を出すには余りある仕事である。書類を突っ返そうとしたジークフリートに、バスカヴィルは笑みを崩さずに言った。

「私から直々に汚名返上の機会を与えたんだよ? 喜びたまえ。」

 ジークフリートにはすぐに分かった。目の前にいる男は今非常に憤っている。音のない怒気に空気が震えているのが、ジークフリートには身の毛がよだつほど感じ取られた。

「先日将軍が……私の息子がロンドンのほうに同じ任務に行ってきたのだがね。手に大火傷を負って帰ってきたよ。可哀想に。もう治りかけているけれど、怪我をしてすぐは着替えるのもやっとの程で。」

 ゆっくりと絨毯を踏み締めて、バスカヴィルは言葉を終えるとジークフリートに向き直る。

「大佐も少佐もきちんと帰ってこられたんだ。少将も、出来るね?」

 憤りはすでに消えていた。しかし代わりに、この上ない威圧感を孕んでいる。ジークフリートは書類を左手に持ったまま、右手を胸に当てて頭を下げた。

「お受けします、元帥閣下。」

 今ジークフリートの頭にあるのは、士官生時代の色褪せた思い出だけである。

 * * *

 レイは毎日、足繁く教会を訪れた。母のメアリーの顔を見るのはもう数十年ぶりである。記憶の中でのぼんやりと描かれていた母の輪郭は、徐々に正確さを帯び始めていた。そうして四日目。その日、レイは書類仕事を全て片付けて早々に教会へ訪れた。

「こんにちは、祭司長代理。」

「こんにちは閣下。もう薙で大丈夫ですよ。」

 連日教会に通い詰めていると、非常に無表情を貫いている薙のかすかな表情の揺れも分かるようになってきた。もう何度目かの案内を受けて、二人は親しげに言葉を交わしながら歩いていく。

「それでは、私はここで。」

 ありがとう、そう礼を言おうとした時、レイは扉の向こうの光景に固まった。いつもは横たわっているはずの母の体が、上体を起こしてベッドに座っている。

「レイ……? レイなのね?」

 腕をだらしなくドアノブから滑らせたレイに、メアリーは問いかけた。そうして恐る恐る床に足をつけて、彼女はレイに駆け寄る。

「本当にレイなのね? こんなに、こんなに大きくなって!」

 何度も顔と髪を撫でて、メアリーはレイの顔を何度も確かめた。ロイヤルブルーの瞳に涙を一杯溜めて、メアリーは息子を強く抱き締める。母の顔は胸に埋まってもう見えなかった。しかし、その胸に感じた温もりにレイの瞳から一筋の涙が溢れ出る。

「母、さん……母さんっ!」

 自分よりも華奢な母の肩をレイは抱き締め返した。黒い艶やかな髪に顔を埋めて、もう二度と言葉を交わす事も出来なかった筈の母の温度を確かめる。

「母さん、父上を呼んできますから。少し待っていて下さい。」

 メアリーから体を離して、レイはそう囁いた。

「まあ父上ですって! こんなに成長して……。ヴィルの為ならいくらでも待つわ。行って頂戴、レイ。」

 返事もそこそこに、レイは踵を返して長い廊下を駆け出す。



 レイが呼んでからバスカヴィルが教会を訪れるまでそう時間はかからなかった。長い廊下を渡るのさえもどかしく、バスカヴィルは立っている妻の姿を見た途端に駆け出す。

「メアリー!」

「あなた!」

 胸に飛び込んだメアリーを両腕一杯に抱き締めてバスカヴィルは大きく息を吸い込んだ。

「もう会えない筈だったのに……、神は私達を見放さなかった。」

 自らの長い指にメアリーの長い髪を巻きつけて、バスカヴィルは額にキスを落とす。夫の広い胸に頬を擦って、メアリーは小さく頷いた。

「えぇ、[神]は貴方を見放してなんて決してないわ。」

 メアリーがバスカヴィルから離れると、レイと薙は我に返ったように小さく身じろぎする。

「祭司長様、無事にご帰還なされて嬉しく思います。ですが……。」

 お茶を濁した薙にメアリーは小さく頷いた。

「分かっています。私が世界の最果てから戻ってきた事は、だれにも知られてはいけません。」

 すっかり事情を忘れて一緒に帰る気でいたレイは、その言葉で母が追われる身である事を思い出し、肩を落とす。メアリーはそんなレイにゆっくり微笑んだ。

「大丈夫よ、レイ。いつまでこの状況が続くか分からないけれど、いつかまた、一緒に屋敷で過ごせるわ。もしどうしても会いたくなったらここに来なさい。食事でも、お喋りでも、きっとなんでも出来るわ。」

 元気づける母の言葉に、レイは寂しそうに微笑む。メアリーも少しだけ寂しげに笑って、バスカヴィルに視線を移した。抱き締め足りなかったのか、バスカヴィルはもう一度メアリーを両腕に捕らえる。

「また来るよメアリー。」

「えぇ。いつでも来て頂戴、あなた。」

 メアリーはバスカヴィルに縋り付くようにして彼の背中に手を回した。

 * * *
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