神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 5-8

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 暑さの和らいだ頃の昼下がり。ロベルトはインクの入っていないペンを回しながら向かいにいるニコライ支部元帥の話を淡々と聞いていた。

「つまり、日本とドイツは確かに軍備を増強している、という事だな。」

「そうだ。」

 アイスコーヒーの入ったグラスに目をやり、ニコライは頷く。それきりロベルトは口を閉ざし、なにか考えに耽り始めた。次の指示を聞かずに外に出る事は出来ず、ニコライはソファーに座ったまま何百回と読んだドストエフスキーを貪りにかかる。涼やかな風がカーテンを通して部屋の中に入ってくると同時に、執務室の扉が開いた。アーサーはソファーに座っているシャンパンゴールドの髪の毛を見て少しぎょっとした。

「なんだよニッキー、報告か?」

 バスカヴィルの次に化け物じみた容姿、つまり元帥と同年代にも関わらず全くもって老けこんでいない顔をアーサーに向けると、ニコライは瞳だけで頷く。

「世間話は後にしろ。」

 報告は、とロベルトは間髪入れずにアーサーの言葉を促した。バツの悪そうな顔で暫く黙り続けたアーサーは、ニコライが痺れを切らして体勢を戻すとともに呟いた。

「あんたが合ってたよ。」

 視線は机と絨毯の接点を見つめたままである。表情一つ変えないロベルトは、手の中で弄んでいたペンを机の上に置く。

「何の話だ?」

 ニコライに答える者はだれもいなかった。



 書類を全て一つの封筒にまとめ、糸で封をする。表には署名者の名前を書く。すでに人の手に渡った書類を元帥に渡す時は、そうする事が義務付けられていた。中身の書類と名前を確認すると、バスカヴィルは封筒を左の引き出しに放り入れる。

「それで、話したい事とは?」

 ほんの限られた同期にしか見せないぞんざいな態度で、彼は目の前に立つロベルトに話しかけた。

「昨今噂されている日本とドイツによる違法軍備の件です。」

 ティーカップに口をつけながら、バスカヴィルはその先を促す。

「成る程、それで? 調査は終わったのかな。」

「結果はクロでした。」

 深いため息が執務室の空気を覆った。その後に続いたのは置き時計の秒針音だけだ。

「……恐らく、警告を出しても無視するかと。」

「構わない。重要なのは警告を受け入れて貰う事ではなく、警告を出す事だ。」

 ロベルトの懸念に、バスカヴィルはそう答える。二カ国が法に触れているという事を世界に知らしめる事が必要なのだ、とバスカヴィルは考えた。早速、突きつける書類を書こうと筆をとったところで、ロベルトは慌てて付け加える。

「もう一つご報告が。」

 デスクペンを持ち上げていた手を下ろし、バスカヴィルは怪訝そうにロベルトへ視線を戻した。

「軍内で二名、離反者が出ました。」

「ほう、誰かな?」

 デスクペンはもう一度取り上げられた。書類にさらさらと、皇族教育さながらの美しい筆跡が綴られていく。

「ヨハ……リチャード大佐です。」

 ペンは特に止まらなかった。ロベルトが言葉に詰まっているのを察して、バスカヴィルは彼を促す。

「それで、もう一人は?」

 能天気な奴め、とロベルトは内心悪態をついた。

「ジークフリート・フォン・ヴェーラー少将です。」

 筆記体を続けていたペンが想定外の方向へ走る。

「以上です。」

 バスカヴィルの耳に届いているのは、先程から鳴り止まない時計の秒針音だけだった。真っ白になった頭の中で、彼は辛うじて言語を構成する。

「……退出しろ。」

 一礼し、なにも言わぬままにロベルトは元帥執務室を後にした。持っていたままのペンをペン立てにさして、バスカヴィルは年相応の遅さで席を立つ。のろのろと扉へ歩き出し、だれも入ってこれないように鍵をかけた。ロベルトが座っていたソファーに腰を下ろす。ジャケットを脱ぎ捨てて横になる。バスカヴィルはゆっくりとため息をついて、顔を覆ったまま眠りについた。

 * * *

 彼に関して元帥が持っている最も古い記憶は、棺を前にしてただ立ち竦む少年の背中だ。父の遺体を瞳に写し、少年はしかし涙を流さなかった。バスカヴィルにとって、棺の中にいるのは、軍内の激しい闘争の中で命を落としたあまりにお人好し過ぎる中佐だ。

 * * *

「彼を養子に迎え入れたいところだが……。」

 そうぼやいたのは、まだまだ現役であったパーシヴァル将軍と、同期のニコライの前であった。二人の表情は彼の小さな要求を頑なに拒むものだ。バスカヴィル自身も、実現出来るとは到底思えない。

「ただの呟きだよ。」

 その話題は二度と口に登らず、忘却の果てへ埋もれていった。

 * * *

「首謀者はジークフリートのようです。生徒の一人が口を割りました。」

 そう聞いた時、彼に対して抱いた感情は、将来有望な士官生に対する失望ではなく、息子同然のように思っていた青年に対する底知れぬ悲しみであった。一瞬の後悔を覚えた。もし自分が、あの時自らを犠牲にして彼を養子にしていれば、決してこのような事にはならなかったのに、と。

「どう処分しますか。」

 ロベルトの声はただ頭に響くだけである。

「……放っておけ。」

 やがて絞り出した答えは、それだけだった。

 * * *

 ベルの音でレイは目を覚ました。ゆっくりと起き上がると、隣ではジャンヌがすっかり寝息を立てている。起きる気配も特になく、レイはナイトガウンを羽織って静かに玄関ホールまで降りた。

「はい。」

 扉を開けると、見知った顔が寝呆けたレイの視界に映る。

「ジーク?」

「こんな時間にすまない。」

 擦り切れた喉からジークフリートは乾いた声を出した。少し肌寒い空気を受けて、レイは身を震わせる。

「早く入ったほうがいい。少し寒いだろ。」

 蝋燭の灯りだけを頼りに、レイはジークフリートを屋敷の中に迎え入れる。とはいえ夜遅くにやってきた同僚を訝しんで、そっと口を開いた。

「何かあったのか? その格好は——」

 すっかり手入れの怠っていた屋敷を思い出し、その壁が崩れても無理はないとレイは思った。しかしジークフリートは、力なく首を振る。その格好は旅行者も同然だ。なにも語らずに漸く口を開いた頃には、ホールの寒さに肌が慣れ始めていた。

「なにも、聞かないでくれ。なにも。」

 まるでうわ言のようにそう呟いたジークフリートに、レイは彼が精神的に参っている事に気付く。目深に被っていたベレット帽をそっと取ると、疲れ切った目がレイを見上げた。

「これで最期だ。許してくれ。」

 ゆっくりと立ち上がり、ジークフリートは縋るようにレイを抱き締める。

 * * *
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