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遅すぎた反省

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 景色が一瞬で変わり、ザガンは経験したことのない気持ち悪さを覚えた。

「うう……気持ち悪いでしょ?だから転移って使いたくないのよ。たまに失敗するし」

 エーレインは口元を抑え、眉を寄せている。
 転移魔法。それを使って移動したこと。自分の村の目の前にいることにザガンは気づいた。

「さあ、いってらっしゃい」
「え……?」

 最初、何を促されているのかザガンはわからなかった。
 少し経って村を見に行けという意味だと気づき、続いて「なぜ」と再び疑問を持つ。
 ザガンの全身に怖気が走った。彼女はなぜ「意味がない」と言ったのか。

「嘘だ……」

 エーレインは何も言わない。
 ただ、彼から顔を背けた。

「嘘だ!」

 彼は村の中へ走り出した。
 そこに貴族の兵は一人もいない。全員がエーレインのいた建物に向かったからだ。
 捕縛した村人を監視する者はいない。なぜか?

 彼は自分の中に浮かんだ答えを拒絶しながら村の集会所に駆けた。
 村を襲撃された際に立てこもるなら頑丈なその建物しかない。
 大きな扉は破壊され、ザガンの脳内で誰かが入るなと言った。
 彼は自分に逆らって飛び込む。
 血の匂い。血の色。戦えない者たちはそこにいた。全員が斬り殺されていた。

「嘘だ……嘘だよな……?」
 
 ザガンの脳裏に木刀で殴られた際の言葉が蘇る。
 村ぐるみの盗賊行為なんて本来は掃滅されて当然なんだぜ、と。

「う、おええええええっ!」

 ザガンは震えながら嘔吐した。
 弟はどこにいるのか。内心で答えはわかっていたが、それを認めず震える足で男の死体が散らばる村の中を探し回った。
 とある家屋の中で弟は見つかった。
 轡を噛まされ、兄が見たこともないほど憤怒と怨恨に染まった顔は胴体から分離していた。傍には服を破られた若い村娘たちが死んでおり、こちらの顔は恐怖で染まっていた。
 またあの男の言葉が蘇る。
 お前は盗賊にそういう事情があれば何されてもいいのか?
 もう吐くものはないのに胃がせり上がり、ザガンの目から涙があふれた。
 怒り。悲哀。絶望。原色といってもいい根源的な感情がいくつも湧き上がって彼は泣き喚き、弟の首を胴体に戻そうとするが上手くいかない。
 最後には家屋から飛び出て周囲にある物を手あたり次第殴りつけた。

「あのクソ野郎ども!うおおおおおおっ!」
 
 最初、彼は復讐を考えた。
 あの貴族と部下たちを苦しめて殺す。家族も一人残らずと。
 しかし、自分が襲ってきた旅人や行商人の顔が蘇り、自分を罵る。
 どんな気分だ。自分がしてきたことをされるのは。

(違う!俺は村のためにやったんだ!)

 ザガンは最初に弟と一緒に行商人を殺した時を思い出す。
 あの時にやめていたら。違う道を選んでいたら。
 酒と女。濃い快楽に満たされた道の先は地獄だった。
 自分を正当化しようとするが今までのように上手くいかない。
 今まで手にかけた犠牲者たちの怨嗟と笑い声が鼓膜を揺らす。
 どさりと音がして彼は涙と鼻水にまみれた顔をそちらへ向けた。

「ザガン……」

 一人の村人が担いでいた死体を落としていた。
 シュリケという男だ。家族も含めてザガンはよく知ってる。

「シュリケ……よかった……生きてたのか……」
「なんで……」

 シュリケの顔には再会の喜びではなく恐怖が浮かんでいた。
 様子がおかしい。

「なんで生きてる……」
「お、俺はある魔術師のおかげで……」

 お前はどうして助かったんだ。
 そう聞こうとした彼は時が止まったかのように動かなくなった。
 今まで抱えていた疑問の答えがちらりと見えてきたからだ。
 貴族はどうやってこの村の犯行を知ったのか。荷物から足がついたと最初は思った。だが、その点には自分たちも村人も注意を払っていた。もしも村の誰かが密告していたら。
 シュリケが見逃されてた事実が示す答えは一つだ。

「まさかお前……俺たちを売ったのか?」

 そう問われたシュリケは後ずさりして逃げる気配を見せたが、その足が止まった。
 悲痛に満ちた顔にある口が震えて動く。

「仕方なかったんだ……俺の家族を守るために……」
「何を言ってる……?」
「あんな事をしていたら必ずお貴族様に見つかる……いいや、違う……お前らは見つかるまで続けたんだ……負けると分かってる博打で……俺の女房と子供を死なせたくなかった……」
「てめえ!」

 ザガンは蛮刀を抜いた。
 弟や若い女、子供たちがどんな思いで死んでいったか思い知らせてやると思った。
 手は周囲の物を殴りつけて血まみれだが人一人を殺すくらいできる。

「俺を殺すか……ああ、いいさ。やれよ」

 シュリケはどこか自棄になっていた。

「俺は村長と数人が首をはねられるだけで済むと思ってた。だが、今日になっていきなり兵隊たちがやってきてこれだ。昨日まで一緒に飯を食ってたミルやゲルドたちが悲鳴を上げて殺されていったよ。あいつらの子も。俺はお貴族様に必死に頼んだけど無駄だった。もちろん言い訳にならんさ。さあ、殺せよ。女房と子供も家にいるぞ。でもな、ザガン。最後に教えてくれ。俺はどうすればよかった?」

 ザガンにとって裏切者である男も涙を浮かべていた。

「なあ、どうすればよかった?」
「シュリケ……」

 彼は蛮刀を仕舞うことも振ることもできず途方に暮れた。



 村の入り口には靴の先で地面に絵を描くエーレインがいた。
 あの男の事は忘れて遠い土地へ行ってしまいたい。あと1分経ったらそうしよう。
 そう考えて1分後、ぎりぎりの時間でザガンがとぼとぼと歩いてきた。
 彼女の前でザガンは信者のように跪く。子供のように泣きながら。

「俺はどうしたらいいんだ……わかんねえ……教えてくれ……わかんねえよ……」

 その男を見てエーレインは単純に困った。

(そう言われてもねえ……死ぬなら止めないけど、私が勧めるものでもないし……そういう悩みは教会とか神殿に行ってくれたら……あ、私、女神か……)

 彼女は死にかけた子猫に抱きつかれたような気分だった。
 この大きな子猫を放置してさっさと去りたい。しかし、一度拾った生き物を捨てるのはちょっと、という感情もある。

(誰かに預けられたらいいのに……でも、この世界じゃ誰も……あっ、待って!一人いるじゃない!)

 彼女は指を一本立てた。
 女神と男の姿は白い膜に包まれ、次の瞬間には消えた。

 その後、ザガンたちが暮らしていた村は新しい入植者たちを迎え、シュリケという村長が運営した。彼は村人全員に親身になって尽くし、彼らからも愛される好人物だったが村の過去について聞かれた時だけ口を閉ざし、しつこい相手には激高した。そして毎年ある日になると村の祭壇で一日中祈りを捧げた。
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